ハイカラなホテル

第10話 バス旅終了

 続く緑の松の並木。瓦屋根の張り出すみやげ屋が続く海べりの道を抜けてバスは進む。誠は逆流する胃液を腹の中に押し戻した。


「だらしねえなあ!もうすぐ着くんだから大丈夫だよ」 


 かなめは青ざめた誠を見ながらジンの瓶をあおる。


 出発してすぐにアメリアの電波歌リサイタルが始まると、彼女の電波歌で頭をやられないように酒の瓶が車内に回された。意味不明な歌が流れるバスの中はもはや無法地帯状態になっていた。


 昼飯時には、しらふなのは運転していた島田、黙ってウーロン茶を飲みながら通信タブレットでスロットに夢中だったカウラ、そして給仕に明け暮れる家村親子と周りの景色に見とれていたひよこだけだった。ドライブインで電波歌にすっかりやられていた島田に代わり午後はカウラが運転を続けている。


 誠はアメリアの独壇場を阻止するものだと思っていたかなめはと言えば、サイボーグの利点を生かして一人脳内に響くお気に入りの歌声を聞きながらドライジンをラッパ飲みしていた。


「もうすぐ着くから大丈夫よ」 


 脂汗を流している誠にアメリアがいたわりの声をかける。繁華街を抜けたところで街道を外れ、バスはどこまでも続く平野に入り込んだ。


 ブロック作りの道のもたらす振動で、誠はまた胃袋がひっくり返るような感覚に包まれる。


「吐く時はこれにお願いね」 


 パーラがエチケット袋を誠に手渡す。


「大丈夫ですよ。これくらい」 


 とりあえず強がっている誠だが、口の中は胃液の酸が充満し、舌が苦味で一杯になる。


「見えたぞ!」 


 よたよたと起き上がった島田が外を指差す。瀟洒しょうしゃな建物が誠の目に入った。海岸沿いの断崖絶壁の上に、赤いレンガ調の建物は背後の海の青を背景として圧倒的な迫力で誠達の前に現れた。


「結構、凄いホテルですね」 


「アタシの被官ひかん筋が経営してるからな……無理も効くわけだ」 


 気取った姿のホテルを見上げるよれよれの誠にかなめはポツリとつぶやいた。


「いつもかなめちゃんのおかげで宿の心配しなくて済むから感謝してるのよ」 


 言葉に重みが感じられない口調でそう言ってアメリアが立ち上がる。バスが静かに正面玄関に乗り入れた。


「ハイ! 到着」 


 そのアメリアの言葉で半分死にかけていた乗員は息を吹き返した。小夏が素早くバスの窓から飛び降りる。誠もようやく振動が収まった事もあって、ゆっくり立ち上がると通路を歩き始めた。


「肩貸そうか?」 


 かなめがそう言うが無理やり余裕の笑みを作った誠は首を横に振ってそのまま歩き続けた。


「お疲れ様です、カウラさん」 


「貴様よりはましだ」 


 同情するような目で誠を眺めてカウラはそう言った。誠は彼女に見えているだろう青い顔を想像して一人で笑顔を浮かべていた。


「いらっしゃいませ」 


 誠がようやく地面の感覚を掴んだ目の前で、支配人と思しき恰幅のいい老人が頭を下げていた。さらにその後ろには従業員らしい二十人余りの人垣が一斉に頭を下げる。


「また世話になるぜ」


 かなめの声に合わせるように従業員達は一斉に頭を下げる。


「行くぞ、神前」 


 誠の手を引いてかなめはぞんざいにその前を通過しようとする。こういうことには慣れているのだろう、かなめは支配人をはじめとする従業員達の存在など別に何も思っていないというように建物の中に入る。そこにはロビーの豪華な装飾を見上げて黙って立ち尽くすサラと小夏の姿があった。


「おい、外道!お前……」 


 小夏はしばらく言葉をかみ締めてうつむく。かなめはめんどくさそうに小夏の前で立ち止まる。


「実はお前、結構凄い奴なんだな」 


 小夏は感心したようにそうつぶやいた。それに誠が不思議そうな視線を送っていると、かなめはそのままカウンターに向かおうとする。


「ちょっと待ってなアタシの部屋の鍵……」 


「待ったー!」 


 突然観葉植物の陰からアメリア乱入である。手にしたキーを誠に渡す。


「ドサクサまぎれに誠ちゃんと同衾どうきんしようなんて不埒な考えは持たない事ね!」 


 しばらくぽかんとかなめはアメリアを見つめる。そして彼女は自分の手が誠の左手を握っていることに気づく。ゆっくり手を離す。そしてアメリアが言った言葉をもぐもぐと小さく反芻しているのが誠にも見えた。


 瞬時にかなめの顔が赤くなっていく。


「だっだっだ!……誰が同衾だ!誰が!」 


 タレ目を吊り上げてかなめが抗議する。


「同衾?何?」 


 ひよこと小夏はじっとかなめの顔を覗き込む。二人とも『同衾』と言う言葉の意味を理解していないことに気づいてカウラは苦笑いを浮かべた。


「そう言いつつどさくさにまぎれて自分専用の部屋に誠ちゃんを連れ込もうとしたのは誰かしらね?」


 得意げに自分の指摘したことに満足するようにアメリアは腕を組む。彼女の手には誠のに渡された大きな文鎮のようなものが付いた鍵とは違う小さな鍵が握られている。 


「その言い方ねえだろ?アタシの部屋がこのホテルじゃ一番眺めがいいんだ。もうそろそろ夕陽も沈むころだしな……」 


 かなめはそう言ってようやく自分のしようとしていたことがわかったと言うようにうつむく。


「そう思って部屋割りは私とカウラちゃんがかなめちゃんの部屋に泊まる事にしたの」 


 アメリアが得意げに言い放つ。さすがにこれにはかなめも言葉を荒げた。


「勝手に決めるな!馬鹿野郎!あれはアタシのための部屋だ!」 


「上官命令よ!部下のものは私のもの、私のものは私のものよ!」 


「やるか!テメエ!」 


 かなめとアメリアはお互いに顔を寄せ合いにらみ合った。ひよこと小夏は既にアメリアから鍵を受け取って、春子と共にエレベータールームに消えていった。他のメンバーも隣で仕切っているサラとパーラから鍵を受け取って順次、奥へ歩いていく。


「二人とも大人気ないですよ……」 


 こわごわ誠が話しかける。すぐにかなめとアメリアの怒りは見事にそちらに飛び火した。


「オメエがしっかりしねえのが悪いんだよ!」 


「誠ちゃん!言ってやりなさいよ!暴力女は嫌いだって!」 


 誠は二人の前で立ち尽くすだけだった。誠と同部屋に割り振られて鍵がないと部屋に入れない島田と菰田がその有様を遠巻きに見ている。助けを求めるように誠が二人を見る。


「しかしあれだな……これはロダンだっけ?」


「オレに聞くなよ島田。でもまあいい彫像だな」


 二人はロビーに飾られた彫刻の下でぼそぼそとガラにもない芸術談義を始めるだけだった。


「わかりましたよ。幹事さんには逆らえませんよ」 


 明らかに不服そうにアメリアから鍵を受け取ったかなめが去っていく。


「このままで済むかねえ」 


「済まんだろうな」 


 島田と菰田がこそこそと話し合っているのを眺めながら、誠は島田が持ってきた荷物を受け取ると、大理石の彫刻が並べられたエレベータルームに入った。

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