水面の列車

増田朋美

水面の列車

今日も、暦の上では当に秋といわれているのに、日差しが強くて、夏みたいな天気だった。雨が降れば、大雨になって、雷が落ちるという事になってしまうので、みんな困ってしまって、何も対策のしようが無いという日々が続いていた。

そんな中でも、杉ちゃんたちは、水穂さんと彼の知人である、花村義久さんと一緒に、接阻峡温泉に出かけていた。杉ちゃんたちがでかけていた頃、富士市では。

いつもどおり、岳南鉄道の駅員をしている今西由紀子は、今日も岳南鉄道吉原駅で、駅員の仕事を続けていた。どうせ駅員と言っても、岳南鉄道は、特に沿線に観光名所が有るわけでもない田舎電車で、することといえば、電車の乗り降りを管理するだけである。

「まもなく、2番線に、普通列車、岳南江尾行が到着いたします。危ないですから、黄色い点字ブロックの、内側までお下がりください。」

と、由紀子は言って、電車がやってくるのを出迎えた。電車と言っても、一両編成しか無い、古ぼけた電車である。幸い、気動車ではないのが、まあいいところかなと思われる。

「吉原、終点吉原です。お降りの方は、お忘れ物のなどございませんよう、お手回り品を今一度お確かめください。」

由紀子は、電車を降りてくるお客さんたちを誘導した。お客さんの中には、正しく苦労そのものをしているような感じの、ひどく悩んでいるような人もたまにいた。由紀子は、客を誘導しながら、其の人が、なにか解決してくれるといいなと思うのだった。

由紀子は、全部の客を電車から下ろしてしまうと、掃除のおばさんに、電車を掃除してくれるようにお願いした。そういう事は、駅員ではなく掃除のおばさんがやってくれるようになっている。掃除のおばさんは、何か自分よりも生きがいがあるように思える。だって、電車をきれいにするわけだから、お客さんの快適に乗っている顔が見えることだろう。それだって、嬉しくなるはずである。駅員なんて、ただ電車の時刻を言って、それだけのことであるから、掃除のおばさんのほうがずっと良い。

「この電車は、清掃と車内点検が終了後、岳南江尾行となります。ご利用のお客様が、しばらくお待ち下さい。」

と、由紀子がそう言うと、不意に、近くにいた乗客が、駅員帽を被っている、由紀子をちょっと見た。

「由紀子!由紀子じゃない!JRに就職したと思ってた。こんな田舎電車で何をしているの?」

いきなり乗客にいわれて、由紀子はびっくりする。

「ああ、あら、野川さん!」

由紀子もびっくりした。確か由紀子が東京にいた頃、高校時代に同級生だった野川美代子さんであった。

「今は、野川じゃないわよ。堀場美代子。去年の夏に結婚して、こっちにきた。」

と、美代子さんは言った。由紀子がどこまで乗っていくのと聞くと、

「ええ、岳南富士岡駅。そこに私の店があるのよ。」

美代子さんは、答えたのであった。岳南富士岡駅に店。ということは、なにか商売でもしているのだろうか。なんの商売をしているのか、聞いてみたかったが、其時は電車の発車時刻が近づいてしまったので、由紀子は、それ以上話を聞くことはできなかった。

それから数日後。由紀子は岳南鉄道本社に用事があって、今泉の本社に行って用事をすませてきたあと、ちょっと、岳南富士岡駅に行って見ることにした。由紀子は急いで、岳南富士岡駅近くに、ポンコツの車を走らせる。

岳南富士岡駅近くにある、岳鉄機関車広場の前を通りかかったところ、一つの小さな建物が見えた。周りに、塀も有るわけでもなし、表札も看板も有るわけでもなし、目隠しなんてなにもない、むき出しの状態で立っている家だった。

其の中から、子供が一人出てきたので、由紀子は急いで車を止めた。それと同時に、むき出しの玄関の扉がガラッと開いて、由紀子の前に、野川美代子、今は堀場美代子になっている女性が、顔を出した。

「ほら、亮太くん、直ぐに家を出ちゃだめよ。ちゃんと、一つ数えてから動こうねって、言い聞かせているじゃないの。あら、そこに居るのは、由紀子じゃない!」

と、美代子は、由紀子に言った。店というのだから、商品が陳列していて、それを売る店という形式か、あるいは、客になにか食べ物を食べさせるという形式であるはずなのに、其のような雰囲気は何もなかった。

「美代子さん、店というのは、この建物が店なんですか?」

と、由紀子は思わず言ってみる。

「ええ、そうよ。由紀子も入りなさいよ。ここは誰でも入れるようにしてあるのよ。」

由紀子は、美代子にいわれて、その建物の中に入った。建物は、入り口から入ると広い部屋があって、三人の子供が思い思いのおもちゃで遊んでいた。でも、今流行りのテレビゲームなどではなく、木でできた鉄道模型を組み立てたりとか、思いつきで絵を描いている子も居るし、なにかお人形の服を着せ替えている子供もいる。性別は男の子が一人と女の子が一人居ることはわかるのだが、鉄道模型を組み立てている子は、男の子であるようであるが、着ている服は、女の子のものであった。今であれば、許される性別であるが、昔だったら、そういう事は許されなかったかもしれない。

「あの、この子達は、どうしたの?美代子さんのお子さんでは無いでしょう?」

由紀子が思わず聞いてみると、

「ええ。私の店はここよ。私、大学卒業したあと、しばらく働いたんだけど、そこでお客さんに病気を移されてしまって、子供が産めないからだになってしまってね。それで、せめて他人の子供を世話するのが好きだったから、保育士の資格取って、ここで預かってる、いわば預かり屋をやってるの。」

と、美代子は、にこやかに笑って言った。お客さんに移されて、そういうふうになる疾患というのは、おそらく梅毒とかそういうものだろう。つまり美代子は、そういう仕事をやってきたということである。

「まあ、由紀子にしてみれば、すごく汚い仕事をしているかもしれないわね。由紀子は、JRに就職して、立派な駅員になってるのに。ほんと、こういう人間に偏見があるんじゃないかな。」

美代子は、そう言ってふっとため息を付いた。

「いいえ、そんな事は思わないわよ。あたしも、JRは大昔にやめちゃった。今は、岳南鉄道だもの。田舎電車の田舎駅員よ。」

と、由紀子は、急いで訂正した。

「でもどうして由紀子がこんな田舎電車に居るの?由紀子は水面にかけられた鉄橋を走るような、そういう電車の駅員になっていると思ったわよ。だってあのときの由紀子は、そう言ってたもんね。田舎なんて、自分の性に合わないって。それなのに、なんで、こんな田舎電車の駅に。」

美代子は、まだ信じられないような顔をする。

「え、ええ、まあ事情があって。」

と、由紀子はそういうのであるが、美代子は由紀子を疑い深い目で見た。

「まあ、そうかも知れないけど、由紀子は、高校生の時は、アイドルがすごく好きで、そのグッズばかり集めてばかりいた、そういう高校生だったじゃない。それが全然別の世界で生きている女性みたい。なんでそんな女性になっちゃったの?」

美代子にいわれて由紀子は、

「好きな人が居るの。其の人がここに住んでいるから、そばにいてやりたいと思って。」

と、正直に答えた。

「まあ、由紀子らしくないわね。由紀子が、そんな男性を作っちゃうなんて。由紀子は、アイドルなら好きになるのかもしれないけど、実際の人間を好きになって、彼を、追いかけてこんな田舎で働いているなんて、思っても見なかったわよ。」

「そうかも知れないわね。」

と、由紀子は、そういう美代子にそういう事を言った。

「でも、あたしは、あの人を、ずっと忘れないでこれからも生きていくつもりだから。美代子さんみたいに、何人の男と関係を持てるようなそういう人間じゃないから。」

「由紀子、変わっちゃったわね。」

美代子は、またため息を付いた。それと同時に、おばちゃん、おやつ頂戴と、あの性別不明の子供が、美代子に声をかけてきた。

「はいはい、じゃあ、ちょっと待ってて。今、おやつを出すからね。」

美代子は、直ぐにテーブルの上に置いてあったクッキーを、その子に渡した。

「あの子、見た目は男の子のはずなのに、自分では、女の子だって思ってるのよ。保育園では、其の事を、かなり責められているようだけど、ここでは女の子になってもいいよって言ってあるのよ。そうなると、誰かを好きになることは、できるのかわからないけど、でも、自分になれる時間が有るのは幸せなことよね。」

「美代子さんも変わったわね。美代子さんは、高校時代は、そんなに男が好きなら芸者になってしまえなんて、担任の先生にいわれてたじゃない。」

由紀子はそう説明する美代子に、そういう事を言った。

「まあ確かにそうだったわね。ほんと、クラスでイケメンは誰だとか、そういうことばっかり言って、勉強なんかろくにしなかったものね。まあ私は、担任の先生に、そういわれるほど、不良生だったわ。もしかしたら、学生の時全く勉強しなかったのが裏目に出たのかも。」

美代子は苦笑いをした。

なんだか由紀子も美代子も似たような感じかもしれなかった。ふたりとも、若いときには、大人に反発ばかりが目についていたので、大人になってから、苦労したのかもしれない。

「でも、由紀子は幸せよ。好きな男がいて、その人を追いかけて、こっちへ来られるなんて。あたしとは偉い違いだわ。それは良かったわね。」

美代子にいわれて、由紀子は、そうかしらとだけ言った。

「由紀子が好きになった男って、どんな男だったの?社交界で有名なプレイボーイとか?」

「そんなんじゃないわよ。」

由紀子は、急いでそういった。

「とてもきれいな人だけど、私には、手が届きそうもない。すごくピアノがうまくて、いろんな曲を弾きこなせる人だけど、重い病気でずっと療養してるの。今は、奥大井で転地療養に行ってるわ。私の手には届かないところにいってしまった。」

「まあそうなの。由紀子にしては珍しいわね。由紀子が道ならぬ恋をするなんて。あたしは、若いときはね、いろんな企業の御曹司とか、そういう男性と関係を持って、本気でこの人なら、愛せるかもしれないって思った事もあったけど、私は叶わなかった。由紀子には、思いっきり恋を楽しんでもらいたいな。やっぱり恋をするって、誰でも楽しいものだからね。」

美代子は、由紀子にそういうアドバイスをしてくれた。

「もし、本当にその人の事が好きだったら、彼に思いっきりアタックしちゃいなさいよ。もしかして、ほかに付き合っている人が居るとか、そういう事をしていると言っても、彼にちゃんと気持ちを伝えることは、必要なことだと思うわよ。」

「そうね、、、。」

由紀子は、そういう事を言うのは果たしてできるかどうか、わからないという顔つきで、美代子を見た。

「まあ、いいじゃないの。あたしみたいに、まともな仕事をしていなかったわけじゃないんだし。告白する権利は十分持ってるはずよ。それに、家で預かっている、あの子達みたいに、事情があるわけでも無いんだし。だから、由紀子は、ちゃんとできる。頑張って!」

美代子に肩を叩かれて、由紀子は思わずええとだけ言った。

「よし、それなら大丈夫!好きな人に、絶対アタックして!」

まるで、自分のできなかった夢を由紀子に仮託しているような感じで、美代子は、そういうのであった。

「そうねえ。まあ、できるかどうかわからないけど、やってみるわ。」

そう言って、由紀子は、美代子の店を出た。なんだか、私、何をしに行ったんだろうと思ったが、急いで由紀子は、自宅へ向かって、ポンコツの車を走らせる。

自宅へついた由紀子は、家の中へ急いで入った。家の中に入っても、家族は居るわけではないし、ペットが居るわけでもない。由紀子は、誰にも挨拶をせず家に入る。そして、何もする気のないまま、ため息を付いて、椅子に座ると、壁にかかったカレンダーが目に入った。由紀子が見てみると、明日は土曜日か。ちょうど、仕事は休みだし、水穂さんが帰ってくる日でもあった。確か、予定では、電車で富士駅へ戻ってくるといっていた。由紀子は、先程、美代子にいわれた言葉を思い出す。美代子の家にいた、あの性別不明の子供よりも自分は恵まれているのは確かである。だからこそ美代子は、由紀子に、早く告白するようにといったのだ。それなら、行動に移したほうがいいと由紀子は思った。よし、そうしたら、水穂さんを迎えに行こうと由紀子は決断した。明日、富士駅に行ってみることにしたのである。

その翌日。由紀子は、接阻峡温泉駅から発車する、最初の電車の時刻を調べてみた。千頭行は、10時59分にならないと来ない。それなら、水穂さんたちはそれで来るだろう。そして、千頭駅から、金谷駅まで電車で一時間半ほど。金谷駅から富士駅までは、一時間十三分。大体、2時近くに、富士駅に到着することになる。由紀子は、其の時間に、富士駅へ行った。ところが、由紀子がいくら待っても、水穂さんらしい人はどこにもいなかった。富士駅は電車の本数が多いため、いくつか遅い電車で帰ってくるのかなと思ったが、それでもなかった。由紀子は、水穂さんは帰ってこないのではと不安になった。なにかあったのだろうか?だってあの三人は、車の運転免許なんて持っていないはずだ。だから車で帰ってくることは絶対に無いはずなのであるが。

一時間以上そこで待ったが、由紀子の待つ人は来なかった。由紀子は、どうしたんだろうとおもった。心配というより、恐怖の気持ちのほうが強かった。水穂さんは、本当になにかあったのだろうか?もしかしたら、井川近くの病院にでも入れられたのかも?由紀子は、逆に怖くなった。

と、近くから誰かが足を引きずって歩いてくる音がする。誰だろうと思って、由紀子が後ろを振り向くと、亀山弁蔵さんであった。由紀子にも、亀山旅館と書かれた羽織を着ていたから、彼が亀山旅館の関係者だとすぐにわかった。水穂さんが亀山旅館に泊まったことは、由紀子も知っていた。そこで水穂さんは、療養していたのだ。接阻峡で、湯治目的で訪れる客を受け入れているのは、亀山旅館であるから。現在、うつ病などで接岨峡に療養に行く客の多くが亀山旅館に泊まることが多いと由紀子はインターネットのニュースで見たことが有る。

「あの、すみません。亀山旅館の方ですよね?」

由紀子がそうきくと勉三さんは、ええそうですがと答えた。

「あの、亀山旅館に、磯野水穂さんという方は、いらっしゃいませんでしたか?」

「はい、水穂さんなら、僕達の旅館で療養しておられました。今日帰る予定だったんですが、水穂さんが、具合が悪かったので、タクシーで送ってもらうようにしてもらったんです。ある意味、宿泊していた僕達の責任でもありますから、それで僕も一緒についてきました。」

由紀子の問いかけに、勉三さんは答えた。

「そうだったんですか。水穂さん、そちらに居るときは、どんな様子でしたか?」

と、由紀子は勉三さんに聞いてみる。

「ええ、僕達ものんびりしてほしいと思ったんですが、それは叶いませんでした。水穂さんは、からだがうまく動かなくて、というより、ほとんど食事をしてくれませんでね。僕達がなんの助けになれたかどうか、全然わかりませんでした。」

と、弁蔵さんは答えるのだった。

「そうだったんですか。水穂さんはそれだけ悪かったということでしょうか?」

由紀子が聞くと、

「ええ。そういうことだと思います。僕もなんとかしてあげたかったけれど、水穂さんのことは、やっぱり本人にしかわからないですね。僕達は、何もしてあげられなかった。」

と、弁蔵さんは答える。その言い方は、真剣な答え方で間違いなく嘘も偽りもなかったのであるから、由紀子は其のとおりなんだなと思った。

「そうだったんですか。私が、水穂さんにしてやれることは有るのでしょうか。私、水穂さんのことが本当に好きなんです。だって、私が、こっちで暮らすきっかけを作ってくれたのは、水穂さんだったんですから。私は、そうしなければ、こっちには着ませんでした。きっと久留里線の田舎駅で、つまらない人生しか送れないはずでしたから。」

「あなたも、水穂さんが好きなんですね。」

と、弁蔵さんは、由紀子に言った。

「そういうことなら、水穂さんに、あなたのような存在がいてくれることを、もっと伝えてやってくれませんか。損得勝ち負け関係なく、水穂さんの事を愛してくれる存在に気がついてくれれば、水穂さんだって、変わると思いますよ。それは、水穂産だけではない。誰でもそうですよ。」

そう言って居るのだから、自分のしていることは間違いではないのだろう。由紀子は、そう思った。

「僕も、水穂さんには生きていてほしいですよ。あんな優しい人がいてくれたら、きっと世の中のためになってくれますよ。だから、水穂さんは、きっと必要なんです。それをわかってもらわないと。水穂さんに生きてもらうために。」

弁蔵さんは、大きなため息を付いた。

「私も、そう思います。ああいうふうに。損得関係なく動ける人ってそうはいないですから。駅員しているとね、この人は冷たい人、この人は優しい人ってわかるようになるんですよ。水穂さんもその一人だと私は思います。」

由紀子は、しっかりと弁蔵さんに言った。そして、自分が水穂さんに、なにか伝えてあげればいいんだと思った。

「ええ、ぜひ、水穂さんに言ってあげてください。僕は、これで失礼しますが、あなたのような人がいてくれれば、きっと水穂さんも生きようとしてくれますよね。」

弁蔵さんは、にこやかに笑って、富士駅の切符売り場へ向かっていった。なんだか足を引きずって歩いている弁蔵さんに、由紀子は、負けては行けないような気がした。由紀子は必ず、自分は水穂さんの役に立つんだと思って、富士駅をあとにした。








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