アナタと私の交差点

 陽気な音楽に、止むことのないガヤガヤ音。

 荒波の船では平気なのに、目の前を行き交う人の群れには酔いそうだ。

 私は首から下げた指輪に手を当て、深呼吸をした。


 地元の漁業組合からの要請で、東京開催の「全国お魚フェスティバル」に出店している。看板商品は、地元で獲れた新鮮な魚を厚切りにして載せた海鮮丼。初日の売り上げは予想以上で、地元の味が好評で嬉しかった。



 イベント二日目の土曜日。人々が楽し気に、右に左に通り過ぎる。その誰もが着飾っていた。

 それに比べて、私は漁港ロゴ付きのダボっとした黒トレーナー。毎日のように漁に出ているから高校球児のように肌は焦げ、髪は紫外線のせいで痛み気味だ。

 きっと東京では、こんな二十八歳は絶滅危惧種、というよりも新種発見の方かもしれない。


 ――こんな姿、あいつには見られたくないな。


 でも、ここに来るかどうかだって分からない。考えるだけ無駄なほどに遭遇率そうぐうりつは低いだろう。



 お昼時になり、店の列が長くなってきた。


「海鮮丼二つ、お待たせしました!」

 手早く渡し、次客のオーダーから会計までを流れるように済ませる。次々と押し寄せる大きな波を船でずんずん乗り越えていくかのように、ひたすら客をさばき続けた。


「次の方、ご注文を――」


 そう言いながら顔を上げた瞬間、時が止まった。

 目の前に、未だ忘れられない高校時代の恋人、中嶋怜なかじまれいがいたからだ。

 怜は呆然ぼうぜんとする私をじっくり見て、合点がいったように目を見開く。


「……もしかして、美波?」

 口を半開きにして固まる私は、同僚に「少し話してきな」と耳打ちされて、店の外に押し出された。


 サッカー部で真っ黒だった怜の肌は脱色され、きっちりメイクがされている。短かった黒髪は茶色に染まって肩まで伸び、緩いカールがかかっていた。


 遠距離になるからと別れて十年。すっかり怜は東京の人になっていた。


「久しぶり」

 こくんと頷いて返事をする。


「美波、変わったね! 美術部で青白かったのに、こんがりしちゃって! 全体的にたくましくなった感じがするし、誰だか分かんなかったよ」

「……私はすぐ、分かった。……別人みたいだけど」

「でしょー? 頑張ったんだ」


 自慢げに笑う顔に、怜への想いが引きずり出される。思わず左手が胸元に伸びた。


「まさかそれ、私があげたヤツ?」

「ちちち、違う! これは……べ、別の!」


 急いで指輪をトレーナーの首元から中に入れた。

 「ふーん」と怪しげな視線を投げつけられたけれど、気付かないフリをする。


 本当は、ずっと会いたかった。けれど、意地を張って連絡できなかった。

 怜は遠距離でもいいと、会いに来ると言ってくれたのに、あの時の私は寂しがり屋で、怜が東京で変わることを恐れて別れを選択した。


 でも今なら、この距離も、会えない時間も耐えられる。また会えたのは、私の人生が怜のそれと交わって、ここからまた始められるからかもしれない。

 私はありったけの勇気を出して、想いを声にした。


「今日、仕事おわったら、ちょっとぎま……話っこ聞いてけんね?」

「その喋り方、懐かしい」


 はにかんだ怜の顔に、かつての日に焼けた顔が重なる。嬉しいような、悲しいような、複雑な感情にさらされて胸が苦しい。


「でも……」


 怜は振り返って飲食テーブルの方に目をやる。すると、華奢きゃしゃで小動物のように可愛らしい女性が小さく手を振った。


――そう、いうこと、ね。


 潤み始めた瞳を怜に向けると、口の形だけで「ごめん」と怜が答えた。


「お詫びにこれ。東京のおすすめ」


 怜はビール瓶を私に渡し、何か言いたそうな表情を残したまま彼女のもとに向かった。

 私は遠ざかる怜を、またしても見送ることしかできなかった。



 時折ぼんやりしながら仕事をやり終えた私は、独り残って夜空を見上げる。

 ビルの隙間から僅わずかに月が姿を見せた。


「月がキレイ……でしたね」


 頬に一筋、涙が流れた。

 怜にもらったビールの栓を開け、ぐびっと飲む。


「あー! 東京は、苦い……」


 口いっぱいに広がるビターな味が身に染みる。

 夜風がひんやりとした空気を連れてきた。それは私の目鼻を冷やし、優しく慰めてくれているかのようだった。

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