あなたにナイショの君物語
朝の業務を終え、小走りで
今執筆中の『
しかし、何日も考え続けても、奥ゆかしい字面の向こうからありありと透けて見える、烈火のような恋心を和歌で表現しきれなかった。
今ようやく、その難問の答えが天から下りてきた。きっとこの和歌は、恋する者に刺さるはずだ。
「これで紫式部よりも上位に
顔のニヤニヤが止まらない。
この緩み切った顔を誰にも見られませんようにと願いながら、すり足で
最近、
毎月ランキング形式で順位が発表され、紫式部の『源氏物語』が十ヶ月連続で首位をキープ中だ。
私の『
どうしても紫式部に勝ちたくて、夜な夜なネタを練ったり、宮中の恋愛模様をチェックしたりしている。その努力の甲斐あって、先月は
先日思い付いた、激しい感情を乗せた和歌の回を公開したところ、読者の反応は今までで一番良かった。
これで勝負! と意気込んでいたのに、紫式部は今月の新作をまだ書いていないそうだ。あと一週間で今月が終わるのに、どういうことだろう。
このまま不戦勝で首位を奪っても何も嬉しくない。順位よりも、
紫式部の様子が気になった私は、彼女の部屋に乗り込んだ。彼女は文机に向かって難しい顔をしていた。
鼻息荒く現れた私に動じることなく、ぼんやりとこちらに目を向ける。
「あら、
「どうしました? じゃないでしょ! なんで書いてないの!? 勝負にならない!」
「そう言われましても……何だか想像が膨らまず、筆が進みませんで……」
申し訳なさを含んだ消え入りそうな声だった。シュンとしていて、いつもより元気がなさそうだ。
どうにかして勝負をしたい私は頭をひねり、
「じゃあ、二人で物語の人物を演じて想像してみるのは?」と言ってみた。
すると、彼女の顔がぱっと輝く。
「それは名案ですね! では、私が光源氏、葵染衛門は葵の上をお願いします」
素直に提案に乗ってくれて、ちょっぴり嬉しい。でも、その気持ちを知られたくなくて、綻びそうになる口元を引き締めた。
「で、悩んでるのはどんな場面?」
「それが……光源氏と葵の上が、情事に至るまで、でして」
「そこね! 見せ場だし悩むよね! ……って、ええ!?」
「素直になれない葵の上をどう表現しようか、美しく落とすにはどうしたらよいかと、ずっと考えているのですが、しっくりくるものがなくて……」
再び紫式部の顔が暗くなる。
言い出した手前、
「あー、もう仕方ない! やる、やります、やればいーんでしょ!」
「ありがとうございます! ……では、参ります」
正面から彼女に抱きしめられた。
衣から甘くスパイシーな香りが
鼻先が触れそうなほどの距離から、少し潤んだ真っ黒い瞳が向けられた。
――あれ、こんなに可愛かったっけ?
そう思った瞬間、全身の血が沸騰しそうなほどに熱を発した。
自らの状態に驚いた私は、急いで彼女を両手で引き
「おおおお! 文章が湧いてきました! これで続きが書けそうです!」
微笑む彼女の視線を浴びて、私の胸は
「そ、それは、よよよかった! じゃあね!」
動揺していることを彼女に気付かれまいと焦って、口がうまく回らなかった。
逃げるように自室に戻っても心臓の鼓動は強いまま。胸から飛び出てきそうな気さえする。
「どうしよう、先日思い付いた恋の歌が……しみる」
両手で顔を覆い、
私は情熱の
「見てなさい! 絶対に一位を取って、振り向かせてやるんだから!」
と叫び、紫式部との脳内恋愛物語を書きつけていった。
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