第38話 赤髪女とへべれケーズ
······へべれケーズ。知る人ぞ知る超マイナーロックバンドだ。このロックバンドはメンバーの構成からしてぶっとんでいる。四人のメンバーは全て元アル中患者だ。
彼等は歌う。酒の恐ろしさを。酒に呑まれた時の無残な姿を。そして酒の魔力を。パフォーマンスも歌詞もとにかく普通じゃない。
千鳥足で歌い楽器を演奏する。そして「昨日ちょっと飲んじゃった」と際どい歌詞を口ずさむ。まだアル中なんじゃない?と、見てるこちらが心配する程だ
自分でも全く理由は分からないが、とにかく私はこのイカれたバンドの熱狂的なファンになった。
そして今夏彼等の全国ツアーが決定した。
へべれケーズは異常に分をわきまえている。
自分達が超マイナーだと熟知していた。
全国ツアーと言っても全国七箇所の小さい市民体育館で開く慎ましいツアーだ。そして当然観客席も少ない。
だが、彼等は気付いていなかった。全国に存在するごく少数のへべれケーズファンよりも観客席を少なく設定するもんだから、少数のファンによるチケットの争奪戦が勃発するのだ。
だが、私はチケットをゲットした。それも二枚もだ。年間五千円の痛い出費を支払いへべれケーズのファンクラブに入り、ファンクラブ優先チケットを入手する事に成功した。
狂喜した私は二枚のチケットをお守り代わりに何時もお財布に入れていた。もう一枚のチケットは私の口の悪い友人の分だ。
······今日の私は大忙しだ。細かく分単位でスケジュールが決まっている。お昼休みは十五分だけ。その貴重な時間を使い、私は神社のベンチに座りおにぎりを頬張っていた。
「あれ? 今日は幸薄い顔してないじゃん」
何時もの失礼極まりない挨拶と共に、上着に赤いジャージと赤い髪をした女が私の前に現れた。
······昔からそうだった。小夏は私の前にふらりと現れ、ふらりと去って行く。ベンチに座る私は小夏を見上げる。
······私の胸がざわつき始めたのはその時だった。そして前々から疑問に思っていた事を小夏本人に直接ぶつけた。
「ねえ。小夏。覚えている? 大学で初めてアンタに会った時、私になんて言ったか?」
赤いジャージのポケットに手を入れたまま、小夏は迷う事なく首を横に振った。ちょい。少しは考えなさいよ。
「初対面の私にこう言ったのよ「アンタ幸薄い顔をしているね」って」
「え? そんな失礼な暴言を吐いたっけ?」
「ちょい。今しがたも吐いたし、毎回アンタは私にそう言っているわよ」
「えー? そうだっけ? 最近物忘れが酷いのかなあ」
小夏はわざとらしくとぼける。私はざわつく胸を必死に落ち着かせ、静かに口の悪い友人に語りかける。
「初対面で悪口を言うアンタと何で友達になったのかずっと不思議だったわ。でもね。その理由をやっと思い出したの。アンタは初対面の私に失礼な事を言った後、こうも言ったの」
わたしは小夏の両目を真っ直ぐに見つめる。
「でもアンタはお日様の匂いがするって」
私のその言葉に、小夏の瞳に影がかかったように見えた。それは、地場霊だった南耕平に幾度と無く言われた言葉だった。
成仏出来なかった人間達には太陽の日差しが感じられない。何時も薄暗く寒い世界の中に彼等は存在している。そう玲奈に教えて貰った。
故に死者は暖かい太陽を常に渇望していると言う。何故か私は地場霊から見て太陽の匂いがした。
それは、死者が自分の姿が視える生者と出会えた事と同義らしい。
「······参ったなあ。ふさよはいつから気付いていたの?」
小夏は困った様に苦笑し、赤い前髪を掻き上げる。冷静に考えれば、不審な点は幾つもあった。
小夏と一緒にお店に入っても、お冷とおしぼりを置かれるのは何時も私だけ。周囲から気付かれないのは小夏の存在感が薄いから。
私は安易にそう片付けていた。でも小夏は飲食店で一切何も注文しない。更に私は小夏の部屋に一度も行った事が無い。何処か一緒に遠出した事も無い。
私が予想した、否。ほぼ確実となった答えを小夏本人が肯定した。でも、私はその現実に目を背けベンチから立ち上がった。
その勢いで膝に置いてあった食べかけのおにぎりが地面に転がる。わたしはそんな些末な事を無視して小夏に二枚のチケットを差し出した。
「小夏! 今年の八月二日! へべれケーズが隣の県の市民体育館でライブをやるわ! アンタの分をもチケットを取ったから、絶対に一緒に行くわよ!!」
「······無理だよ。ふさよ」
「なんでよ!? アンタね! 出不精も時と場合によっては犯罪よ!!」
「······私は遠くに行けないの」
「だから何でよ!!」
「······それは。私が幽霊だから」
······どうしてだろう。既に理解していたつもりでも、小夏本人から直接真実を言われると、胸が苦しくなり痛い。
私は二枚のチケットを握り締め、ここから立ち去りたい気持ちを必死に堪えていた。これ以上、小夏から何も聞きたくなかった。
「······ふさよ。アンタに話したわよね。私は最悪クラスのブラック企業に勤めていたって」
小夏は弱々しく微笑みながら自分の事を語り出した。そう。小夏はその日々に嫌気が差し、会社を辞めて今は気楽に過ごしている。私はそう小夏から聞いていた。
「······会社を辞めたってのは嘘なんだ。毎日深夜まで残業しているとね、もう思考力が麻痺するの。辞める選択肢すら考えもつかなかったわ。月に二百時間残業した後に、二日間徹夜したのが致命傷だったみたい。職場で意識を失い、そのまま目を覚まさなかったの」
······小夏は続ける。意識を取り戻した時、小夏は自分の身体が棺に入れられ、火葬場に運ばれる光景を見ていた。
時間が経過していく内に、自分はどうやら成仏出来ずに幽霊になったと理解した。そして許される行動範囲は、自分の住むこの界隈町だけと知った。
だが、不思議と隣町にある自分が通っていた大学にだけは移動出来た。ある日、校内のカフェテラスで疲れ切った顔で椅子に座る女子を小夏はみかけた。
何故か小夏はその女子からお日様の匂いがした。それに惹かれるように、小夏は女子の前に立つ。
「うわあ。アンタ、幸薄い女って感じだね」
小夏は生来の口の悪さを如何なく発揮し、生者に聞こえる筈の無い暴言を吐いた。その女子は疲れ切った両目で小夏を見上げた。
小夏は内心で驚愕した。自分の声が生者に聞こえた事に。自分の姿が生者に見えた事実に。
「······でも。アンタって何だかお日様の匂いがするね」
「······それ、どういう意味?」
······それが、小夏と私の出会いだった。
「······ごめんね。小夏。もっと早く気づいてあげられなくてごめんね」
私は小夏の顔を正視する事が出来ず、顔を下に向けて涙声を出す。
「······何でアンタが謝るのよ。ふさよ。私の方こそ、本当の事を言わないで悪かったよ」
小夏は両膝を曲げてしゃがみ込み、私が落としたおにぎりを見つめる。
「······ふさよ。私本当は気付いていたの。私がその気になれば、割と簡単に成仏出来るって。でもね。何でかな。私は直ぐにそうしなかった。何でだろう。この世にそんなに未練は無いつもりだったんだけどね」
「······そんなの決っているじゃない」
「え?」
「小夏。アンタは救いようの無い出不精だからよ。成仏してあの世に行くのが面倒で先延ばししていたのよ」
「······そうか。そっか。ふふふ。あはははっ。そうだね。私が出不精だからか」
涙を流す生者と成仏しなかった死者は、互いに顔を合わせて笑い合った。そして小夏は、地面に落ちたおにぎりを愛おしそうに見つめた後、勢い良く立ち上がった。
「いい機会だ。理由が分かった所でそろそろ重い腰を上げようかな」
別れを示唆する小夏のその言葉に、私の胸に鋭い痛みが走る。
「······小夏。やだよ。まだここにいてよ。お願いだから」
私は駄々をこねる子供の様にか細い声で小夏を引き止める。
「······ごめんね。ふさよ。でも、そろそろ行かなきゃ。幽霊があんまりこの世に長居すると、質の悪い地場霊になるらしいの。ふさよ達が住むこの界隈町に迷惑はかけたくないからね」
私は咄嗟に小夏の手を握ろうとする。だが
、私の手は小夏の手のひらをすり抜ける。
「······小夏。もう会えないの? もう二度とアンタに会えないの?」
「大袈裟だね。ふさよは。人間は皆いずれ死ぬのよ。それが早いか遅いかの違いよ。アンタも後六十年くらいしたらおいで」
小夏は私の頭を撫でる仕草をする。そして私に背中を見せ歩いて行く。
「へべれケーズのライブはアンタの想い人と一緒に行きなよ。あ、後その落ちたおにぎりちゃんと食べてよ。私はもう味も忘れたけど、アンタはちゃんと味わえるんだから」
小夏は私に背中を見せたままそう言った。私が一瞬おにぎりを見た後、小夏の姿は消えていた。
······神社の外からは、お祭りの賑やかな音と声が聞こえた来る。私はしゃがみ込み、落ちたおにぎりの土を払う。
私はそのおにぎりを大口を開けて頬張る。そして何度も咀嚼して味わう。それはまるで、生者に課せられた義務の様に。
頬をつたう涙がおにぎりに落ちる。私は構わずそのおにぎりを口に入れた。
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