第37話 地主神様の宿題

 焼きそばの出店を手伝った私は、今度は界隈町の商店街入口に向かった。尊楽能猫神の石像の前では、私と同じく巫女の格好をした女性が道行く人達にチラシを配っていた。


 そのチラシには界隈町と猫神の歴史や、今日のお祭りの露店の配置が書かれていた。私はその女性とチラシ配りを交代しようとした


「果歩ちゃん。お疲れ様。交代するから後はお祭りを楽しんで来てね」


 私は長いストレートパーマを結い上げた稲荷果歩からチラシの束を受け取る。後で他の人から聞いた話では、可愛らしい巫女姿の果歩ちゃんは大人気で一緒に猫神の石像と記念写真を撮って欲しいと大忙しだったらしい。


「不方さんがやってる露店に行こうかなあ」


 果歩ちゃんはチラシを見ながら、私に聞こえるようにわざとらしくそう言う。


「不方さんなら社長夫妻と一緒におにぎりのお店をやっているわよ」


 私のその発言が余裕と受け取られたのか、果歩ちゃんは結い上げた髪を乱暴に解きながら私に好戦的な視線を向ける。


「······か、金梨さん。今は不方さんとどんなプレイをしているんですか?」


 私と不方さんの怪しげな関係を探るように

、果歩ちゃんは恐る恐るそう聞いて来た。私は下手な演技力を総動員して深刻な表情を作り、そっと果歩ちゃんの耳元に呟く。


「······人には絶対に言えないプレイよ」


 それを聞いた瞬間、果歩ちゃんの顔色がみるみる内に青ざめて行く。


「わ、私諦めないから!絶対に不方さんを諦めないんだから!!」


 半泣き状態の果歩ちゃんはそう言い捨てて去って行った。すると、突然私の背後から別の泣き声が聞こえた。


 後ろを振り返ると、そこには猫神の着ぐるみが立っていた。着ぐるみの頭部が外されると、中に入っていた稲荷孝さんがはらはらと泣いていた。


「か、金梨さん! 俺も金梨さんを諦めないから! 例え不方とどんな破廉恥なプレイをしていようとも! あ、俺羞恥プレイとかも嫌いじゃないから! う、うわーん」


 稲荷孝さんはちょっと聞き捨てならない発言を残して泣きながら走って行った。周囲にいた子供達が面白がってその後を追いかけて行く。


 私は稲荷兄妹が諦めてくれる事を心から願いながらチラシ配りに勤しんだ。そしてチラシも無くなりかけた頃、私は猫神の石像を眺めている者に気付いた。


 ······がっしりとした体格。腰まで届く白い髪。着物も足袋も草履も。顔色すら全てが白かった。逞しい顔つきには不似合いな猫の様な髭が生えていた。


 私はそこにだけ純白の雪が積もっている様な錯覚を覚える。


「······地主神様。見に来てくれたんですね」


 私はこの界隈町の地主神に話しかける。地主神は自分の石像を見続けている。


「······あの時は助けようとしてくれてありがとうございます。地主神様には結局、三度も助けられましたね」


 そう。白猫のミケランジェロの身体を使い

、地主神様は魍魎墜ち寸前の南耕平から私を助けに来てくれたのだ。


「······何度も言わせるな。あれは白猫に泣きつかれたからだ。最も。力の弱った私には大した事は出来なかったがな」


 地主神様は自嘲気味にそう言った。玲奈から聞いた話の通りなら、その地域に存在する八百万の神々は人々の信仰心を力の源にしているらしい。


 界隈町では猫神祭りが途切れ、猫神への信仰心も薄れて行った。その中で力を弱めて行った地主神の猫神様も歯がゆい気持ちだったのかもしれない。


「······その。怒ってます?お店の裏庭にあった祠の石像をここに移した事を」


「······移した理由は?」


 地主神様は相変わらず自分の石像を見つめながら私に問いかけてきた。


「······寂しそうだったからです。お店の裏庭じゃ日当たりも良くないし、誰の目にも止まらない。それじゃあ寂しい。そう思ったんです。でも、この界隈町の商店街の入口なら多くの人達に見てもらえる。そうしたら、寂しくないかなって思ったんです」


 私の返答に、地主神様は小さく笑う。


「フッ。人間の娘よ。お前から見たら私は孤独に塞ぎこむ子供の様に映るらしいな」


 私はゆっくりと歩き出し、地主神様の正面

に立った。


「······地主神様。もう寂しくないよ。私が。私達界隈町の人達がこれからずっと貴方を見続ける。昔の様に厚い信仰心は望めないかもしれない。けど、この石像がここにある限り、界隈町は猫神様の町なんだと皆に分かって貰える」


 地主神様は一瞬だけ私の両目を見た後、再び自分の石像に視線を移す。


「······現し世の人の心は移ろいやすい。お前達が天寿を全うした後、元の木阿弥に戻るだけでは無いか?」


「次の世代に。私達の子供に語り継ぐわ。貴方達八百万の神々が人間と共に存在している事を。その大切さをしっかりと子供達に伝える。そうすれば、その子供達も自分の子供に同じ事を必ず教え伝えるわ」


 私はこの時、突然後ろめたい気持ちになった。私がこの猫神祭りの復活を計画したのは、全てが打算だった。


 祭りを復活させて地主神様にやる気を取り戻させる。そして不方さんにかけられた呪いを解いて貰う。ついでに猫神祭りを界隈町の活性化に利用する。


「······ごめんなさい。地主神様。偉そうな事を言ったけど、本当は猫神祭りを利用して利益を得ようとしていただけなの」


「ほう?急に殊勝になったな。それ程後ろめたい悪事を画策していたのか?」


「······ごめんなさい」


「······今の冗談だ」


「え?」


 思い寄らない地主神様の言葉に、俯いていた私は顔を上げた。


「万事何事にも表と裏がある。純粋一辺倒の人間など薄ら気味が悪い。お前の様な計算高い考えを持つのが人間だろう。それこそが人間たる所以だ」


「······地主神様」


「やってみろ」


「え?」


「人間の娘よ。お前の言葉が真実なら、お前の子供達に私の事を伝え残してみろ。残念だかそれが叶ったかどうかはお前は自分の目で見る事は出来ん。その前に寿命が尽きるからな。だが、私が代わりにそれを見届けてやる」


 ······地主神様は笑みを浮かべていた。人間の娘が大言通り尊楽能猫神を次世代に語り継げるか。それを見守ると地主神様は確かにそう言った。


「は、はい! 必ず成し遂げて見せます! 貴方の事を。尊楽能猫神様の事を子供達に伝えます!!」


 両拳に力を込めて、私は地主神様にそう宣言した。地主神様は小さく頷くと、その身体が急速に薄れ始めた。


 薄れた身体が猫神の石像を包むように広がり、そして消えて行った。


「······もう寂しくないからね」


 石像と一緒に写真をと通行人に求められるまで、私は猫神の石像を見つめ続けていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る