第33話 七十年振りの再開

「······声だ。赤ん坊の泣き声だ。帰らないと

。そうだ。僕は家に帰る途中だったんだ」


 地場霊こと南耕平は、独語しながらゆっくりと歩き出す。その先には「またたび商店」が。


 そして、店の前には小夜子さん。権蔵さん。そして泣き声を上げる赤子を抱く幸子さんが立っていた。


「······そうだ。僕の名は南耕平。仕事が長引いて、急いで家に帰る所だったんだ」


 南耕平が私と不方さんの横を通り過ぎて歩いて行く。その視線は、幸子さんが抱く赤子しか見ていなかった。


「······僕の帰りが遅いと、あの娘は何時も泣いてしまうんだ。急がないと。早く帰らないとあの娘が可哀想だ」


 南耕平は玲奈と李さんの間を覚束ない足取りで歩いて行く。李さんが槍を構えようするのを玲奈が静止する。


「······パパが今帰るよ。もう直ぐ帰るからね

。?名前は?あの娘の名前は?」


 南耕平は怯える幸子さんの前に立つ。そして赤子にその手を伸ばそうとした時だった。南耕平の手を握る者がいた。それは、小夜子さんだった。


「······パパ。随分帰りが遅かったわね。七十年は少し待たせ過ぎよ」


 小夜子さんは微笑みながら南耕平に語りかける。南耕平は小夜子さんを凝視する。


「······さよこ。そうだ。小夜子だ。僕の命より大切な娘。小夜子。小夜子だ」


 享年二十九歳だった南耕平が、七十一歳の小夜子さんの手を握り返し涙を流す。


「パパ。パパが迷子の間にね。私は色々とあったの。本当に色々よ。でも、今はとっても幸せよ。権蔵さんに出会って。子宝に恵まれて。色んな人達に支えられて。素敵な人生を歩んで来たわ」


 小夜子さんも泣いていた。写真でしか見た事の無かった父親との再開。それは、七十年の時を経て実現した。


「······そうか。小夜子は幸せだったんだね。良かった。権蔵さん。小夜子を幸せにしてくれてありがとう」


 南耕平が権蔵さんに深々と頭を下げる。権蔵さんは杖で半身を支えながらそれを止めさせようとする。


「······頭を上げて下さい。お礼を言うのは私です。私こそ小夜子さんに幸せにして貰いましたから」


 南耕平は感無量と言った様子で権蔵さんと握手を交わす。そんな南耕平の背中に小夜子さんが手を添える。


「パパ。この娘は幸子。パパの孫よ。そして赤ん坊はパパの曾孫よ」


 小夜子さんの説明に、南耕平は泣き崩れる


「······僕に孫が。そして曾孫までもが?なんて事だろう。なんて幸せなんだろう」


 幸子さんが抱く赤子は相変わらずか細い声で泣いていた。南耕平はその赤子の泣き顔を覗き込み両肩を震わして嗚咽を漏らす。


 ······南耕平に変化が生じたのはその時だった。全身黒衣の身体が淡い黄金色に包まれていく。


 そして、南耕平の黒いコートの一部が欠けると、形を変え輝く水滴の様に空に昇って行く。


 それに続くように南耕平の髪の毛が、黒いセーターが、手のひらの一部が。ゆっくりと

、だが確実に南耕平の身体を消失させつつあった。


「······小夜子。パパはどうやら長い間迷子になっていたようだ。でも、小夜子が僕を見つけてくれた。これでやっと還れるよ。パパが本来居るべき場所へ」


 南耕平はそっと小夜子さんを抱きしめる。小夜子さんは再開したばかりの父の胸に顔を埋める。


「······そこには。パパの還る場所には、ママもいるかしら?」


 ······小夜子さんの小さな背中も。その声も震えていた。七十年振りに再開した父娘との時間は、余りにも短過ぎた。


「······ああ。きっとママもいるさ。ママに会ったら、小夜子が幸せな人生を送っていると直ぐに話すよ」


「······私も。私もきっとパパとママと同じ所へ行くから。それ迄待っていてね」


「······ああ。勿論待っているよ。でもね。小夜子はもう少し後でおいで。小夜子には、まだ沢山の大切な人達がいるのだから」


 ······小夜子さんが涙に濡れた顔を上げた時

、南耕平の身体は完全に消え、黄金色の光の雨は空に還るように昇って行く。


「······小夜子。僕の大切な娘。愛しているよ

。ずっと。何時までも」


 空を見上げる小夜子さんへ届けられた最後の言葉がそれだった。光の雨は空に還り、空に溶け込んで行った。


 小夜子さんは何時までも空を見上げていた

。そして、小夜子さんの側に歩み寄っていた私の両手を握る。


「······ありがとう。ふさよちゃん。貴方のおかげでパパに会えたわ。そして、やっとパパにさよなら出来た」


「······小夜子さん」


 私は両目から涙が溢れる。自分の事を娘の様に思っていると言ってくれた人と、私は抱きあった。


「······虹?」


 その時、私の涙に濡れた瞳に映ったのは、空にかかる七色の虹だった。雨も降っていないのに輝くその虹は、まるで迷い人を還るべき場所に導く道標に見えた。


 


 


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