第29話 地場霊の正体
三月も中旬。まだまだ寒さの厳しい界隈町がにわかに活気づき始めた。猫神祭りの開催が正式に決定され、その準備が商店街で慌ただしく進められて行った。
私は相変わらず早朝から駅に立ち、お祭りの開催を知らせるチラシを配り続けた。その私の隣には一緒にチラシを通行人に渡す不方さんの姿が在った。
界隈町で猫神祭りが正式に決定され、市役所の地域振興課の水野さんは市の広報に祭りの告知を掲載してくれる事を約束してくれた。
そしてお店の開店前には不方さんとレジ前で笑顔の練習。お祭りの打ち合わせの時は、仕事を抜けさして貰い細かい段取りを決めて行った。
夜に発動する不方さんの呪いはと言うと、私が嫁入り前と言う設定が暫く続いていた。
目が回るような忙しさの中、おめでたいニュースが入って来た。
「まあ。産まれたの?母子ともに異常無し?
良かったわ」
小夜子さんはお店の蔵(バックヤード)で
その一報を受けた。社長夫妻の末っ子である幸子さんが、四十代と言う高齢出産ながら無事に出産を終えた。
電話を受けた権蔵さんが目を細めて喜ぶ。
来月の予定日が早まって出産だったが、母子共に健康なのは何よりだった。
「長野に行く前に孫に会えそうだ。猫神祭りも見れるし最後にいい思い出が出来るよ」
権蔵さんと小夜子さんは嬉しそうにそう言ってくれた。そう。後二週間でこの「またた
び商店」は四十年の歴史に幕を下ろすのだ。
「金梨さんは来月からどうするの?」
お昼休憩の時間、私と不方さんは蔵(バックヤード)で小夜子さん特製弁当を一緒に食べていた。来月から仲良く無職になる私達には、不思議な連帯感が生まれていた。
社長夫妻の好意で来月以降も数カ月はお店の二階の部屋を使用していい事になっていた
。そしてお店の買い手が現れた時、本当にこの「またたび商店」とお別れになる。
早朝の町内会掃除に参加したお陰か、有り難い事に私と不方さんは幾つかのお店から誘いの話が舞い込んでいた。
「はい。暫く実家に戻ろうかと思います。少しは親孝行しないと。その後はまた界隈町で住まいと仕事を探すつもりです。不方さんは
?」
「うん。俺も実家に戻るよ。金梨さんと同じで親孝行しないとね。でも、俺もまた界隈町に戻るつもりだよ。俺もこの町に以前よりも愛着が湧いたんだ。きっと金梨さんが全身から振りまく界隈町愛の影響かな」
······何と言う変化だろうか。あの無愛想で素っ気ない不方さんが、冗談の様な軽口を私に言ってくる日が来るなんて。
「え?わ、私の影響ですか?何だか自分が病原菌みたいに思えてきました」
「あはは。病原菌は酷いね」
······それは、何気ない一瞬だった。空になったお弁当箱を持ちながら、不方さんは笑った。それはとても自然で、ひいき目無しの素敵な笑顔だった。
「······不方さん。今、不方さん笑ってました
。笑顔になっていましたよ!!」
少し裏返った私の叫び声に、不方さんは驚いた表情で自分の顔に手を当てる。
「······本当に?俺、今笑ってた?」
「はい!完璧な笑顔でした!!笑えましたよ
不方さん!!」
私は嬉しさの余りに不方さんの両手を強引に握り、何度も。何度も振り回した。
「······ありがとう。金梨さんの。金梨さんのおかげだ」
「あ!今!また笑顔になりましたよ!」
人は、笑顔一つでこんなに嬉しさを表現出来るのだろうか。蔵の中で、私達は盛大にその喜びを分かち合った。
声を聞きつけ蔵にやって来た権蔵さんと目が合った時、手を繋ぎあっている事に気付いた私と不方さんは同時に硬直し、そして赤面した。
次のお店の定休日、私は菓子折りを持って北坂兼石さんのお宅を訪問していた。後で知った事だったが、猫神祭りの為に町内会の皆さんが資金を出し合ってくれた中に、兼石さんの名もあったのだ。
町内会長の遠道さんの話では、兼石さんはその昔町内会長を三期務めていた事があったらしい。
猫神祭りの準備でバタバタしていたので、
中々兼石さんにお礼が言えずにいたのだった 。
「別に。猫神祭りの為じゃない。小夜子の店の者のアンタが困りきっていたからだ」
縁側でお茶をすすりながら、兼石さんは素っ気なくそう言った。全ては昔好きだった小夜子の為。私は心の中で兼石さんの言葉をそう翻訳した。
「本当にありがとうございました。北坂さんも猫神祭りに是非いらして下さいね」
地面に背中を付きお腹を見せる三太郎を撫でながら、私は大恩ある小夜子さんの幼馴染である兼石さんに感謝する。
「あ。湯呑みは私が持って行きますね」
私は空になった二つの湯呑みをお盆に乗せて台所に運ぶ。縁側に戻る為に広い居間を通った時、私は無意識に壁にかけられた額縁の写真を見た。
何故この時、私はそうしたのか。自分でも理由は分からなかった。ただ一つ確かなのは
、以前この写真を見た時に既視感を覚えたと言う事だった。
······近所の知人親戚達が集まった写真。前に兼石さんがそう言った写真を私は見上げていた。
まだ乳児の小夜子さんが誰かに抱かれている。その人物の服装に、私は見覚えがあった
。私は小夜さんを抱く人の足元から上に視線を移して行く。
······黒いズボン。黒いセーター。肩まで届きそうなボサボサの髪。丸縁眼鏡の中の優しそうな瞳は、自らが抱く愛娘に向けられていた。
「······北坂さん。赤ちゃんの小夜子さんを抱いているこの人は」
「ああ。小夜子の父親だ。小夜子が一歳の頃
、交通事故で亡くなった」
······交通事故。私の頭の中で、何かが一つに繋がりそうな気がしていた。
「······事故の場所は御存知ですか?北坂さん
」
「今の「またたび商店」がある建物の前だと聞いている。帰宅寸前で家の前で事故に遭うなんてな。小夜子の親父さんはついてなかった」
······写真の下の白い余白には、この集合写真に写った人達の名前と思われる文字が書かれていた。
小夜子さんを抱く男性の所には「南耕平」
と書かれていた。南は小夜子さんの旧姓だ。
私は何かに急かされように縁側に走り靴を履く。
「すいません!北坂さん。急用を思い出したのでこれで失礼します!」
「なんだ。蔵の中は見ないのか?」
「あ!み、見たいです!今後またお邪魔するので見せて下さい!!」
私は三太郎の頭をひと撫でして北坂家を後にした。日頃の運動不足が祟ったのか、急いで走っても直ぐに息が切れる。
それでも私は足を止めなかった。西日の日射しに目を細めながら、私は界隈町を駆けた
。
お店に辿り着いた私は、勢いそのままに階段を駆け上がる。社長夫妻の玄関のインターホンを押す。幸い返答があり、私は中に通された。
部屋の中は賑やかだった。居間には権蔵さん。小夜子さん。不方さん。そして社長夫妻の末っ子であり、先日出産を終えた幸子さんが我が子を連れて来訪していた。
「あら。ふさよちゃん。久し振りね」
「お、お久しぶりです。幸子さん。御出産おめでとうございます」
私は幸子さんに挨拶を返すと、四人目の孫に目尻を下げる小夜子さんに向き合った。
「······小夜子さん。御足労ですが、ちょっと外まで来て貰えますか?お願いします」
腰が悪い小夜子さんを歩かせるのは気が引けたが、今はどうしてもその必要があった。
「あら?ええ。いいわよ。少し待ってね」
先に階段を下りた私に続いて、小夜子さんはゆっくりと階段を下りて来てくれた。
「······出て来て!!近くにいるんでしょう?
お願い出て来て!!」
私は「またたび商店」の前で地場霊に向かって一人叫んだ。玲奈に教わった正式な呼びかけも無視し、ひたすら周囲を見回す。
「貴方の。貴方の事が分かったの!!だから出て来て頂戴!!」
多くの店が定休日のこの日、商店街の通りは無人だった。その中で私の声だけが響く。
「ふ、ふさよちゃん?誰に叫んでいるの?」
私の後ろから小夜子さんの戸惑った声が聞こえた。私の叫び声を聞きつけ、権蔵さん達も二階から下りてくる。
私は構わず地場霊を呼ぶ為に叫び続ける。
その時、頭の中に玲奈の鋭い声が聞こえた。
『ふさよちゃん!!さがって!!』
玲奈の警告を聞いた私は一歩後ろに退く。目の前の地面から、黒い瘴気が立ち昇って来た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます