第27話 薄幸女と無愛想男

 一万円札が百枚。頭では大金だと分かっていても、実際にその手に持った実感は意外と軽い物だった。


 だが、その大金を貯蓄するのにどれ程の労力が必要なのかは、実際に労働を重ねないと絶対に分からない。


「百万入っている。それを猫神祭りの準備金に使って」


 つい先刻まで一緒にチラシ配りをしていた不方さんは、大金が入った封筒を私に強引に握らせた。


 余りの金額の大きさに咄嗟に理解が出来なかった私の頭は、急にその目的を思い出したかの様にフル回転する。


「ふ、不方さん。何を言っているんですか!

?も、貰えません!こんな大金!」


 私は両手に持った厚みのある封筒を直ぐ様正統な持ち主に返そうとする。だが、不方さんは受け取らない。


「いいんだ。それは決して無理して出したお金じゃない。俺って無趣味で物欲もあんまり無いし。気にしないで猫神祭りの為に使って欲しいんだ」


「気にします!駄目です!受け取れません!来月から私達無職なんですよ?不方さんだって生活があるじゃないですか!一円だって無駄に出来ない筈です!」


「······無駄じゃないよ」


「······え?」


 不方さんは手袋をはめた両手を握りしめて私を真っ直ぐに見つめる。


「猫神祭りが実現すれば、権蔵さんと小夜子さんのいい思い出になる。そして界隈町の活性化にも繋がるかもしれない。それに。何より。その」


 不方さんは何やら口ごもり、恥ずかしそうに目を逸らす。


「······俺は。ずっと金梨さんが羨ましかったんだ」


「······え?わ、私が?」


 不方さんは小さく頷き、再び私の両目を見つめる。


「金梨さんのお客さんへの笑顔が、ずっと俺には羨ましかった。あんなに自然な笑顔で接客出来たらどんなにいいだろうって。小夜子さんが金梨さんの事を看板娘と言っていたけど本当さ。俺も心からそう思うよ」


 ······今私はどんな顔をしているのだろうか

。何時も無愛想で口数が少ない片思いの人が雄弁に語っている。


 その内容がよりによって私の事だ。胸の鼓動が少しずつ大きくなって行く。


「そ、そんな。わ、私なんて不方さんに比べたら大した仕事はしていません」


 私が恥ずかしさの余り俯くと、不方さんは一歩踏み出し私に近付く。


「······仕事でミスして落ち込んでいても、お客さんが来店すれば直ぐに笑顔で接客する。

同じミスは繰り返さないように常にメモ帳に対策を書いている。お客さんが忘れ物をすれば、全力疾走で追いかけて行く。足が悪いお客さんには、かごを持って商品を探してあげる。店を閉めた後、シャッターに書かれた「またたび商店」の店名をいつも手拭いで丁寧に拭いている」


 ······何かが私の頬をつたい落ちていく。私は自分が涙を流している事に気付くのにかなりの時間を要した。


 何故私は泣いているのか。答えは簡単だ。好きな人が。不方さんが私の事を見ていてくれた事実に、私の涙腺は震えていた。


「······なんで。なんで今そんな事を言うですか?ずるいですよ。不方さん。そんな事を言われたら私」


「······四年間一緒に働いて来たんだ。それ位の事は分かるよ。そんな金梨さんだから俺は力になりたいんだ。こんな無愛想な俺に、笑顔の練習に付き合ってくれる金梨さんの役に立ちたいんだ」


 ······不方さんは感情がこもった声でそう私に言った。涙が止まらない私のスカートを誰かが引っ張ったのはその時だった。


「ワンワン!!」


 長いリードに繋がれたシェルティ犬が私のスカートの裾を噛み元気よく吠える。


「え?あ、貴方、三太郎?」


 私は見覚えのあるシェルティ犬の首輪のリードの元を辿る様に見る。すると、リードを持った八十代に見える男性が私と不方さんの前に歩いて来た。それは、先日知り合った北坂兼石さんだった。


「······先に理っておくぞ。ワシはお節介でも説教好きでも無い。だがな、白昼から女を泣かすのは感心せんな」


 兼石さんはそう言うと、私の手首を掴み強引に歩き出した。え?ええ?ちょ、ちょっと兼石さん?何か誤解をされておりませんか?


 一度だけ後ろを振り返ったが、不方さんは呆然と公園に立ち尽くしていた。


「き、北坂さん!違うんです!」


「黙って付いて来い!!」


 結局私は兼石さんの邸宅まで連れて来られた。リードを外された三太郎は嬉しそうに私の足元に座り込む。


「さっきも言ったがワシは人に余計な世話などせん。アンタが小夜子の店の人間だから仕方なく首を突っ込んだ。それだけだ」


 兼石さんは一方的にそう言うと、ズボンのポケットから煙草を出しライターで火をつける。


 どうやら兼石さんは私が不方さんに泣かされたと思い込んでいるらしい。少々強引だったけど、兼石さんは私を助けようとしてくれたのかな。


 私は広い縁側に座り、兼石さんが淹れてくれたお茶を頂く。お茶はかなり濃かったけど

、広い庭を眺めていると不思議と気分が落ち着く。


「そうだ。小夜子さんが兼石さんの事を随分ご無沙汰だと言っていました」


 私が思い出した様にそう言うと、三太郎におやつをあげていた兼石さんは「そうか」と素っ気なく答えた。


「······権蔵さんとは、あまり仲良く無いんですか?」


 前回の兼石さんの権蔵さんへの発言。それに兼石さんの話題を耳にした時の権蔵さんの苦笑した表情。


 兼石さんと権蔵さんは良好な関係では無い

。私は何となくそんな想像をしていた。


「······小夜子はな。本当だったら俺の嫁になる筈だったんだ」


 ポツリと呟いた兼石さんのその言葉に、私は首を捻りその意味を考える。え?小夜子さんが?本来なら兼石さんの嫁に?え?ええええ!?


「それが権蔵が。長野の田舎から出てきたアイツが小夜子をかっさらいやがったんだ」


 兼石さんの口から次々と飛び出す衝撃的発言に、私はただ口を開けたまま聞き入っていた。


 権蔵さん。小夜子さん。兼石さん。三人の若かりし頃、今で言う所の三角関係的な青春時代があったのかと私は何となく頭に思い描いた。


 結局その恋模様は権蔵さんと小夜子さんの結婚で幕を閉じた。兼石さんも二人に少し

遅れ家庭を持ったらしい。


「で。猫神祭りの資金集めは進んでいるのか

?」


 兼石さんは靴の裏で煙草の火を消しながら私に痛い質問をして来た。その問題の最中に兼石さんに連れて来られたのだけど。


「······資金集めは駄目でした。でも、必ず猫神祭りは実現させます。今日はその為にお金を借りようとしていた所だったんです」


 兼石さんに返答しながら、私の視界に居間に飾られた額縁に入れられた写真が映った。

部屋を囲う様に写真は幾つもあった。


 兼石さん夫婦の写真。子供と一緒の家族写真。親戚と思われる人達との集合写真もあった。


「大勢いますね。ご親戚の写真ですか?」


 私の目を一際引いた白黒写真には、複数の老若男女が一緒に写っていた。


「まだワシがガキの頃に近所の連中と一緒に撮った写真だ。ほれ、左端の赤ん坊は小夜子だ」


 写真の中央には、当時五歳と言う兼石さんが笑顔で写っていた。そして端には眠っている赤ちゃんが誰かに抱かれていた。


 乳児の小夜子さんを抱く人物の顔は光が当たって良く見えなかった。その時、私は何故か既視感を覚えた。


 ······あれ?何だろう。この何処かで見た覚えのある感覚は。その時、私のスマホが音を鳴らす。


『ふさよちゃん。今どこだい?大事な』


 それは、権蔵さんからのラインメッセージだった。文書が途中で途切れていた事に不安を覚えた私は、権蔵さんに電話をしたが繋がらなかった。


「北坂さん。私帰ります。ええと。お話聞けて嬉しかったです!」


 私は三太郎の頭を急いで撫でると、兼石ささんにおじぎをして去ろうとした。


「何だ。蔵の中は見ていかないのか?」


「あ!そ、そうだ。見たいです!今度是非見せて下さい!あ、後、猫神祭りが実現したら北坂さんもお祭りに来て下さいね!」


 主人の代わりに返事をする様に、三太郎が二度吠える。私は先程感じた既視感を抱えながら、自宅でもある「またたび商店」に戻った。

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