第26話 借金と言う名の最終手段

 猫神祭りを開催する為の資金集めを始めてから四日目。今日は月曜日でお店の定休日だ。私は今朝も駅前でお祭りの寄付を募るチラシを配った。


 私一人では無く、不方さんも手伝ってくれた。その後の会社巡りも同行すると言ってくれたが、私はそれを謝絶した。


 不方さんには深く感謝していたが、今日の私の行動を見て欲しく無かったのだ。私は資金集めを完全に諦めていた。


 残り三日で百三十万の大金を集めるのはもう不可能だ。私に残された手段はもう借金しか無かった。


 ······私の実家は貧乏だったが、両親は決して借金だけはしなかった。借金の恐ろしさを幼い頃から教え込まれた私は、自然に借金に対して強い嫌悪感を持つようになった。


 大学の奨学金も立派な借金であり、本来であれば避けたかったが、大学に行く為には他に方法が無かった。


 だから私は大学時代に取り憑かれた様にバイトをこなし、少しでも借金を早く返済出来るように赤貧洗うが如しの日々を送った。


 幸運にも権蔵さんと小夜子さんお陰で、ついこの前に奨学金を完全返済出来た。借金の重しから開放されたその喜びは巨大だった。


 私は普段飲まないお酒を片手に持ち、一人祝杯を上げた程嬉しかった。なのに。それなのに。


 私は再びその借金を背負おうとしていた。それも自らが望んで。運がいいと言うべきか

。幸いと言うべきか。


 今はキャッシングコーナに行けば簡単に大金を借りる事が出来る。勿論、その借金には高い利息がつく。


 私は暗澹たる気持ちでそのキャッシング機がある場所へ向かっていた。猫神祭りを開く為には仕方無い借金だと自分に言い聞かせながら。


 気づくと私は公園の前にいた。気持ちを落ち着かせる為にベンチに座り一休みする。公園の砂場には、誰かが忘れたのかサッカーボールが寂しそうに佇んでいた。


「うわぁ。何時にも増して幸薄い顔してるねアンタ」


 朝の無人の公園でため息をつく私に、突然遠慮呵責無い言葉が浴びせられた。


「······小夏」


 長い赤髪にジャージとジーンズ。ポケットに手を入れたまま、小夏は私の隣に座る。


「平日の朝から散歩?小夏は気楽でいいわね


「まあね。昔の社畜時代に比べたら今は天国よ。私に言わせれば、ふさよは働き過ぎだよ


 小夏は長い足を組みながら白い歯を見せて笑う。私は以前から思い出そうとしている事を本人に聞いて見る事にした。


「ねえ。小夏。初めてアンタに会った時、さっきみたいに失礼極まりない台詞以外に私に何か言ったわよね?」


「え?私ふさよに何か言ったっけ?そんな昔の事覚えて無いよ」


 小夏は高らかに笑う。前に小夏が「またたび商店」を訪れた時の不方さんの言葉が私の脳裏を過る。


 私はその言葉を振り払う様に首を横に振り

、小夏の前に立つ。


「小夏。今年の夏にへべれケーズの単独ライブが決まったわよ。何が何でもチケットを取って必ず行くわよ」


 どん底のマイナー臭を放つロックバンド「へべれケーズ」私と小夏の唯一と言っていい共通の趣味だった。


「······それって、何処で演るの?」


「え?ああ。隣の県の小さい市民体育館よ」


 私の返答に、小夏は赤い髪を無造作に掻きながらため息をつく。


「······遠い所は無理かなあ。私は出不精だからさあ」


 私以上にへべれケーズの熱烈ファンである小夏のこの一言に、私は胸の中に育ちつつあった不安が強烈に刺激された。


「······小夏。何か行けない理由でもあるの?


 私の逃げを許さない圧を感じたのか、小夏は勢いよくベンチから立ち上がりそそくさと歩き出す出す。


「ふさよ。理由なんて無いよ。ただ私は出不精なだけ」


 小夏は何時もの様に背中を見せながら手だけを振って去って行った。この界隈町で妙な体験を重ねる内に、私には以前よりも感覚が鋭敏になっていく自分に気づいていた。


 その感覚が私の中で何度も同じ事を言ってきた。小夏には、およそ生者から発せられる生気が感じられなかった。


 私はベンチに座り込み、頭を両手で抱えながらその考えを必死に否定しようとしていた


 その為か、目の前に誰かが立っている事に気付かなかった。


「······失礼。あたなは確か「またたび商店」の方ですか?」


 黒いスーツに黒縁眼鏡。七三に分けた髪の五十代に見える男性は、姿勢良く直立しながらベンチに座る私に話しかけて来た。


「······は、はい。ええと。貴方は」


「鯨信用金庫の大仏(おおふつ)と申します


 私は大仏と名乗った男性の顔を見て思い出した。以前「またたび商店」に来て社長である権蔵さんの所在を尋ねられた事があった。


 出勤前の大仏さんは、通勤路であるこの公園で見覚えのある私に思わず声をかけてしまったと言う。


「······従業員の皆様にも申し訳ありません。融資が通れば「またたび商店」が閉店する事も無かったのですが」


 大仏さんは一従業員である私に丁寧に頭を下げてくれた。私は慌てて立ち上がり頭を上げて下さいと言う。


「や、やっぱりご時世ですかね。融資する方の目が厳しいのも」


「······その件なんですが。どうも腑に落ちないんです」


 大仏さんは眼鏡の中で両目を曇らせ言葉を続ける。


「私の経験から「またたび商店」への融資は確実に許可されると考えておりました「またたび商店」は規模は小さくても開業以来、無借金の実績があります。何故上層部が融資の許可をしなかったのかどうしても分からないのです」


「······そ、そうなんですか?」


 私が曖昧な返答をすると、大仏さんは何かに気付いた様に我に返った様子だった。


「失礼しました。今更何を言わんやですね。お忙しい所をお邪魔致しました。失礼致します」


 大仏さんは最後まで礼儀正しく挨拶をして去って行った。公園の周囲ではだんだんと通勤通学に急ぐ人達の姿が増えて来た。


 私はかつて玲奈が話していた事を頭の中で反芻していた。その土地の地主神の影響力が低下すると、土地には様々な悪影響が出る。


 今回の「またたび商店」への融資が下りなかった理由もその一つだろうか。私は答えの出ない考えを振り払い、目的地であるキャッシング機がある場所へと歩き出そうとした時だった。


「金梨さん!」


 聞き覚えのあるその声に、私は直ぐ様振り返る。そこには、息を切らせて駆け寄る不方さんの姿が在った。


「良かった。見つけられて。これを金梨さんに渡そうと思ってたんだ」


 不方さんはそう言うと、厚みのある封筒を私に差し出した。その封筒には、百万もの大金が入っていた。

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