第25話 兼石さんとシェルティ

「か、勝手に入って来てすいません。インターホンが無かったものですから。あ、わ、私は「またたび商店」の者で金梨ふさよと申します」


 私は腰を曲げて不法侵入の非礼を侘びた。

地面を見ると、嬉しそうに舌を出すシェルティと目が合う。


「······なんだ。アンタ小夜子の店の者か」


 八十代に見える男性は、手に持った枝を折り、炎が勢いよく揺れる缶に放り込む。


「え?さ、小夜子さんを御存知なんですか?


「小夜子とは昔馴染だ。権蔵は違うぞ。アイツは長野の田舎から来た余所者だ」


 男性はそう言いながら私を手招きする。私はシェルティと共に焚火に近付き、有り難く暖を取る。


 私が恐る恐る名を尋ねると、男性は北坂兼石と名乗ってくれた。


「で?アンタは何の用でここに来たんだ?」


 燃える小枝を片手で掴み、その火で器用にタバコに火をつける兼石さんは私に当然過ぎる質問をする。


 私は界隈町の失われた猫神祭りの事を兼石さんに説明する。


「······猫神祭り。ガキの頃お袋にそんな祭りが昔にあったって聞いた事があるな」


 私が作ったお祭りのチラシを見ながら、兼石さんは細い両眼を私に向ける。


「それで会社関係から資金援助を申し出に来たのか。表の看板を見たか。だが、味噌作りはもうやってねぇ。あの看板は下ろすのが面倒だからそのままにしているだけだ」


 私は兼石さんの言葉を半ば聞いていなかった。兼石さんの背後に建つ白い建造物に見入っていたからだ。


「······あれって、蔵ですか?」


 瓦の屋根に白い壁の建物を指差して私は兼石さんに問いかける。広い敷地の屋敷の主は

口から煙草の煙を吐きながら灰を足元に落とす。


「味噌を作っていた頃に使っていた蔵だ。何だ。アンタ蔵に興味があるのか?」


 蔵を見る興味津々の私の表情を見て、兼石さんが再び煙草を口にくわえる。私の働く「またたび商店」のバックヤードは小夜子さんが「蔵」と呼んでいる。


 その影響か、いつの間か私は本物の蔵に強い興味を持つようになっていた。


「蔵の中を見たかったら見せるぞ?」


「え?ほ、本当ですか?」


 兼石さんの意外な言葉に、私は是非と言いそうになる口を寸前で止めた。時刻はもう直ぐ夕暮。


 急いで帰宅しなければ不方さんの呪いが暴走してしまう。


「す、すいません。北坂さん。今日はこれで失礼します。また今度是非、蔵の中を見せて下さい!!」


 私は兼石さんに挨拶をして早歩きでこの広い敷地の入口に向かって行く。シェルティが元気良く吠えながら私に付いて来る。


「あの!このシェルティの名前は何て言うんですか?」


 私は一度立ち止まり、小さくなった兼石さんに大声で質問する。


「三太郎だ」


 気品溢れる人懐っこいシェルティの名を知った私は、今後こそ北坂家を後にした。大急ぎで店に戻った私は、今日一日仕事に穴を開けてしまった事を社長夫妻と不方さんに謝罪した。


 三人はそれよりも資金集めの進捗状況が気になっていた様子で、私は不甲斐ない気持ちを抱えながらも正直に全て皆に報告した。


「まあ。兼ちゃんと会ったの?長い事ご無沙汰だったから。元気だった?」


 北坂兼石さんと昔馴染の小夜子さんは嬉しそうに両手を合わせていた。一方、権蔵さんは兼石さんの名を聞くと苦笑いの表情だ。


 兼石さんの権蔵さんに対する発言といい、権蔵さんと兼石さんはあんまり仲が良くないのかな?


「······一日中歩き通しで疲れたでしょう?大丈夫?金梨さん」


 不方さんの労りの言葉に、私は僅かに身震いした。わ、私。今、好きな人に心配されてる?


「だ、大丈夫です!まだ日数はありますから。また朝のチラシ配りから頑張ります!」


 私は三人に力強く宣言したが、心の中ではもう最終手段しか無いと半ば諦めていた。



 ······お店が閉店した後、私は何時もの様にパパ(不方さん)とちゃぶ台を挟んで夕食を摂っていた。


 パパが作ってくれた煮魚は絶品でご飯が進む。私は絶対にお替りをしようと食いしん坊的な事を考えていた時だった。


 パパの様子が何やらおかしかった。落ち着かないと言うか、そわそわしている。


「······ふ、ふさよも高校生だし。そ、その。す、好きな人とか出来たのかな?」


 パパの眼鏡の中の両目は完全に泳いでいた

。聞きにくそうな事を聞きにくそうに問いかける。パパの様子は正にそんな感じだった。


 私はパパの姿を自分の父親に重ねる。年頃の娘を持つ父親は色々な心配事を抱えているのだろうか。


「うん。いるよ。好きな人」


「え!?い、いるのか?」


「嘘。いないよ。好きな人なんて」


「え!?う、嘘?」


 私の意地悪な言葉に、パパは慌てふためく

。その複雑そうな表情を見て私はパパが気の毒になってしまった。


 好きな人がいるかどうかでこんなに動揺するなんて、私がお嫁に行くなんて言ったらどんな顔をするのか。


 年頃の娘とその父親は、慎ましく和やかな夕食の時を過して行く。この奇妙な父娘の時間がもうすぐ終わりに近づいている事も知らずに。

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