第23話 界隈町、町内会議
三月初週の週末。私は人生で初めて界隈町の町内会会議なる物に出席した。町内集会所には三十人程が集まっていた。
ただの一町民である私がこの会議に顔を出せたのは、ひとえに町内会長である遠道さんの計らいだった。
「彼女は「またたび商店」の従業員で金梨ふさよさん。金梨さんはこの界隈町を盛り上げる為の提案をお持ちで、本日はそれを皆さんにお話する為に出席して頂きました」
町内会長の遠道さんの穏やかな紹介に、各所からささやきが漏れる。その中には、今月一杯で閉店する「またたび商店」を惜しむ声もあった。
突然この町内会議に姿を現した小娘。それに対しての町内会の皆さんの視線は思ったよりも冷たくなかった。
それは、私が「またたび商店」の者であり
、社長夫妻の権蔵さんと小夜子さんが商店街の皆さんから慕われているからだ。
私は座布団から立ち上がり、集まった町内会の皆さんに頭を下げる。
「界隈町内会の皆さん。初めまして。金梨ふさよと申します。本日は皆さんに御提案を申し上げたく、図々しくもこの会議に出席させて頂きました」
私が町内会の皆さんの顔を見回しながらそう言うと、畳に座る一人の初老の男性が声を上げた。
「さっき遠道さんがこの界隈町を盛り上げる提案と言ったが、どんな提案だい?」
私は緊張から激しく動く心臓を必死に落ち着かせ、昨夜遅くまで考えた口上を述べる。
「私がこの界隈町に移って来たのは八年前の事です。以来、私はこの町に愛着を持って過ごさせて頂きました。そして少しだけこの界隈町の歴史を学びました」
私は自分が知ったこの界隈町の歴史の一端を町内会の皆さんに話して行く。この町はその昔、尊楽能猫神と言う名の神を信仰していた。
だが、時の流れと共にその神の名は忘れ去られた。だが「またたび商店」の裏庭に猫神様の祠が残っていた。
それが界隈町の人々が猫神を信仰していた証であり、忘れ去られた猫神をもう一度復活させる。
図書館で読んだ界隈町の歴史には、毎年三月の末に尊楽能猫神を祀るお祭りが毎年開催されていた。そのお祭りを再び開く。
ついでに猫神を界隈町のシンボルにする。商店街の入口に猫の石像を置く。もっとついでに、ゆるキャラにして商店街の活性化に繋げる。
もっともっとついでに、あわよくばそれを話題にして他の町からも人を呼び込む。
「キャッチフレーズも考えました!「猫神がいる町。ちょっと行ってみたいな界隈町」です!!」
私は右腕を突き上げ、自分の考えを力説する。畳に座る町内会の皆さんは弱冠口を開けてぽかんとしている。
私は間髪を入れず猫の絵が描かれたケッチブックを皆さんに見せる。私は事前に大学の後輩であり、美術部サークルの一員である椎名君にこの絵を依頼していた。
「違う!もっと愛らしく。親しみを持って貰えて、それでいて気品を兼ね備えている猫にして!」
私は椎名君の猫の絵に何度も駄目出しした
。椎名君は半ば呆れながらも、私の無理難題に応えてくれた。
椎名君は自分も住むこの界隈町の為になるならと、この依頼を引き受けてくれた。外見は金髪で派手だけど、やっぱり椎名君は真面目な性格なのだ。
スケッチブックの絵には、椎名君の苦労が
結実していた。行儀良く座った白猫の身体はふっくらとしていた。両眼を閉じ、首を少し傾けた顔は愛らしくもあり何処か凛としていた。
私は早る胸の鼓動を感じながら町内会の皆さんの反応を待つ。
「金梨さんと言ったかね。町を盛り上げる祭りは歓迎するが、それには準備金。つまり金が必要だぞ」
「そうだな。さっきの白猫の石像一つとってもな。重さん。その猫の像作るとしたら幾らかかる?」
重さんと呼ばれた六十代に見える男性が腕を組みながら私のスケッチブックを鋭い目つきで眺める。町内会長の遠道さんの話では、重さんは石材店を営んでいるらしい。
「······そうさな。商店街の入口に建てるなら猫像の大きさは百センチは欲しい所だ。あとは台座も含めると八十万位はかかるな」
は、八十万円!?私は心の中で激しく動揺する。更に、商店街の皆さんはその他にも祭りの準備にかかる費用は五十万前後かかると教えてくれる。
「今月は年度末だが、板倉さん。町内会の予算の余りはあるかい?」
町内会の会計係を務めていると言う板倉さんが長テーブルに置かれた帳簿を慣れた手付きでめくる。
「今年度の予算の余りは四万二千だ。夏の台風で鯨河が氾濫したからな。被害は軽微だったがその補修費やらで大分予算を使ったからな」
会計係の板倉さんのこの言葉により、集会所に集まる町内会の皆さんの雰囲気が急に白け始めた。
話題はいつの間に来年度の役職者の選定に移ろうとしていた。私はスケッチブックを胸に抱きしめてその話題に口を挟む。
「······お金が。必要な予算が集まれば。このお祭りを開催して頂けますか?」
私の問いかけに、石材店の重さんが厳しい表情で私を睨む。
「だからその予算の見通しが立たねぇと俺らは言ってんだ」
「集めます!!私が何とかしてその予算を集めます!!だがら。だがらこのお祭りを真剣に考えてみて下さい!!お願いします!!」
町内会の皆さんに私は必死に頭を下げる。だが、私の耳に聞こえてくるのは困惑した小声だけだった。
私の隣で座布団に座っていた町内会長の遠道さんがゆっくりと立ち上がったのはその時だった。
「皆さん。金梨さんはね。月に二回行っている商店街の早朝掃除に参加してくれているんですよ。今回のお話のお祭りもね。こんなに若いのに、彼女はこの界隈町を思ってくれての事なんです。そこを加味して考えてみてくれませんか?」
遠道さんの優しい言葉に、私は泣きそうになってしまった。再びざわつき始めた集会所の中で、石材店の重さんの鋭い声が響いた。
「期限は一週間だ。今月末の土日に祭りを開くとして。その猫の石像の納期を逆算すると
、一週間後には作業に取り掛からないと間に合わねぇ。アンタは一週間で百三十万を集められるのか?」
重さんの鋭い眼光と過酷な条件に、私は足がすくみそうになった。でも。それでも私は後に引かなかった。否。引けなかった。
尊能楽猫神の名をもう一度この界隈町に復活させる。それは、必ずこの町に良い影響をもらたすからだ。
「やります!やって見せます!!だがら。だから皆さん!どうかよろしくお願いします!
!」
私の叫び声で、集会所は静まり返っていた
。私はこの時、間違い無く利己的な考えのみで行動していた。
猫神の名を復活させ地主神をやる気にさせる。そして不方さんの呪いを解いて貰う。更にお祭りを商店街の活性化に繋げる。
私は本当に心から猫神である地主神の事を思っているの?打算ばかりじゃない。もう一人の私が心の中でそう問いかけてくる。
だが、私はその声を無視した。今の私は、目の前の厳しい現実に向き合う事で精一杯だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます