第22話 白猫と地主神

 1DKの部屋のリビングに、黒い霧が充満して行く。玲奈の警告を聞いて私は即座に立ち上がり窓際に後退る。


 パパ(不方さん)に何が起こっているのか私にはまるで理解出来なかった。だが、この禍々しい感じは以前、地場霊に引き込まれようとした時と同じだった。


 そして、黒い霧が急に変化し、人の形に変わっていった。


「······貴方は」


 私は恐怖からか声が震えていた。パパの背後に現れたのは、不方さんに呪いをかけた張本人である地場霊だった。


「······?また君か。君は相変わらずお日様の匂いがするね」


 ······お日様の匂い。前回も地場霊に同じ事を言われだが、やっぱり私は誰かにこの言葉を言われた気がしていた。


 一体誰に言われたのだろうか。私のごく身近な人物にその言葉を言われた気がする。


 地場霊は全身を覆う黒いコートの腕を上げ、その手を私に向ける。その瞬間、私は全身に鳥肌が立つような悪寒を感じる。


 理屈では無かった。この地場霊の闇に引きずり込まれる。そう私は感じていた。その時

、一匹の猫がちゃぶ台に駆け上がって来た。


「シャーッ!!」


 白猫は全身の毛を逆立て、地場霊に対して威嚇の声を上げる。地場霊は伸ばした手を戻し、足元から床に沈むように消えて行った。


「······ミ、ミケランジェロ?」


 口の中が乾き切った私は、ようやく自分の救いの主の名を呼んだ。視界の先にある玄関を見ると、ドアが少し開いていた。


 ミケランジェロは甘い鳴き声を発しながら私の足元に擦り寄って来る。パパ(不方さん)はちゃぶ台の上に頭を乗せて眠っていた。


 私は座り込みミケランジェロを抱きしめる

。そして、救世主の瞳を凝視する。


「······もしかして。貴方なんですか?地主神様」


 私の問いかけに、ミケランジェロは不思議そうに首を傾げる。そして私の手から逃れる様に床に降り立った。


「ほう。感性の鋭敏さとは無縁と踏んでいたが。意外性は兼ね備えている様だな」


 突然人語を発した白猫に、驚いた私は床にお尻を付く。そして素早く窓際まで移動した。


「や、やっぱり貴方だったんですね。前に地場霊から助けてくれたのも」


 私が恐る恐るそう問いかけると、白猫は姿勢よく前足を揃える。


「私の本意では無い。この白猫に泣きつかれての事だ。お前を救ってくれとな」


 尊大な声色の白猫。否。地主神に対して私は必死に自分を落ち着かせようとしていた。


「······二度も助けてくれてありがとう。地主神様。いえ。尊楽能猫神様」


 私のこの言葉に、地主神は僅かに耳を動かした。


「ほう。その名で呼ばれるのは久しいな。記憶を遡るのが難儀なくらいにな」


 ミケランジェロに乗り移った地主神は、その細い猫目を真っ直ぐ私に向ける。


「尊楽能猫神様。この界隈町はその昔、貴方を信仰し祀っていた。でも、時の流れと共にそれが失われた。それが貴方には許せませんか?」


 私の質問に、白猫は視線を横に逸した。


「······時は移ろう。人間の心なら尚の事だ。その様な詮無き事に固執するなど無益な事だ」


 地主神は自分を忘れた人間達へ恨み言は口にしなかった。でも、地主神に初めて会った時のあの何処か寂しそうな目を私は忘れる事が出来なかった。


 その時、私は町内会長遠道さんの母であるキヌエさんの昔話を思い出していた。そして一つの考えが頭に浮かぶ。


「······尊楽能猫神様。その昔、貴方を祀るお祭りがこの界隈町にありました。それをもう一度。もう一度この界隈町で開きます」


 私は突然閃いた考えを地主神に伝える。地主神は大口を開けて欠伸をする。


「突拍子極まりないな。人間の娘よ。そんな祭事を開いてなんの益がある」


「······貴方を。この界隈町を永きに渡って見守って来た界隈町の神様を。町の皆に思い出して貰う為です」


「無駄だな。現し世の人間達はそんな殊勝な心も、暇も持ち合わせていないだろうよ」


 この地主神の言葉が勘に触った私は憤慨して立ち上がる。


「やってみなきゃ分からないでしょう!!いいから黙って見てなさいよ!!」


「だあぁからふさよちゃん!!地主神様に失礼は止めて!!」


 怒りの叫び声を上げた私の背後に現れた玲奈が、泣きそうな声で私を羽交い締めする。


「······ふん。精々無駄な骨を折るんだな」


 地主神はそう言うと、半開きのドアを通り外に消えて行った。私は更に叫ぼうとしたが

、必死の形相の玲奈に口を手で塞がれた。


「ふ、ふさよちゃん。どうしてお祭りを開くなんて地主神様に言い出したの?」


 玲奈に問いただされ、私は改めて自分の思いつきに関して考えを巡らせる。


「······寂しそうだったから。かな」


「え?さ、寂しそう?」


 大きい瞳を丸くする玲奈に私は頷く。地主神は守るべき界隈町の住民が自分を忘れた事が寂しいのでは無いのか。


 だったら。界隈町の町の皆に思い出させて貰えばいい。この町を守り続けた地主神の存在を。


 またたび商店が閉店する迄残り一ヶ月。私はそれ迄にすべき事をはっきりと自覚した。不方さんの呪いを解く。


 そして、この界隈町の町の皆に地主神を思い出させる為のお祭りを開く事だ。安らかな寝顔の不方さんを見つめながら、私は心の中でそう決意していた。


 

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