第21話 笑顔の練習

「違います。不方さん。もっと表情筋を緩めて下さい」


 開店前のお店のレジ前で、私は不方さんと向かい合っていた。不方さんは店員役。私はお客の役だ。


 私はあの手この手で何とか不方さんの笑顔を引き出そうとするが、不方さんは引きつった怪しい表情しか作れなかった。


 そうこうしている内に開店時間になり、不方さんの笑顔の練習は打ち切られた。


「······ごめん。金梨さん。せっかく練習に付き合ってくれたのに。全然駄目で」


 不方さんは自分の頬を手で掴みながら悔しそうに呟く。


「まだ初日じゃないですか。練習すればきっと笑顔を作れる様になりますよ」


 私は不方さんにそう言いながらも違和感を覚えていた。果たして笑顔とは作る物なのだろうかと。


 心の中で笑えるから、自然と表情が笑顔になるのではないか。私は不方さんに社会人が日常的に行っている作り笑いを習得させようとしているのか。


 でも、私達は接客業だし、やっぱり作り笑いでも必要なのでは?いやでも不方さんに必要なのは心から笑顔になれる気持ちなのでは?


「今日も幸薄そうな顔してるわね。ふさよ」


 一人思案に耽ながらレジに立っていると、長い髪を赤く染めた女が失礼極まりない言葉を私に浴びせて来た。


「小夏?こんな朝からアンタこそ何してんのよ?」


 私は大学以来の友人の来店に驚く。小夏は基本夜型生活で、朝九時から開店している「またたび商店」に来店するなど初めての事だった。


「最近、朝方目が覚めちゃってね。あちこち散歩してんのよ。ほほう。あれがふさよの片思いの彼か」


 小夏はモップで床を掃除している不方さんの姿を遠目に見ながら薄ら笑いを浮かべる。


「ちょっと小夏。冷かしてないで何か買って売り上げに貢献しなさいよ」


 私がそう言うと、白猫のミケランジェロがレジ台に飛び乗って来た。ミケランジェロは小夏を見上げじっと見つめる。


「私、貧乏暇ありなの。じゃあね。まだ散歩の途中だからさ」


 小夏はそう言うと私に背中を見せながら手を振り去って行く。いや。それを言うなら「貧乏暇無し」でしょう。


 あの万事無精女が散歩なんてどう言う心境の変化かしら?


「······金梨さん。今、誰と話していたの?」


 ミケランジェロの頭を撫でていると、隣に不方さんが立っていた。


「え?あ、ああ。今の学生時代からの友達なんです」


 私がそう返答すると、不方さんは怪訝な表情になり先刻まで小夏が立っていた場所を見つめる。


「······金梨さんの前には誰も居なかったよ。少なくとも俺にはそう見えた」


 え?や、やだなあ。不方さん。この白猫のミケランジェロも小夏を見ていましたよ?確かに小夏は存在感が異常に薄いですけど、妙な事を言わないで下さい。


 それじゃあまるで小夏が······


 私は頭の中に浮かんだその言葉を、何故か考えないようにした。何故私がそうしたのか自分でも分からない。


 ただ一つ確かなのは、お客さんがレジに来たので私と不方さんの会話はそこで打ち切られたと言う事だけだった。


 

 ······その日の晩、私は強制的ライフワークとなった片思いの男性宅への訪問を違えず行っていた。


 私と呪いが発動したパパ(不方さん)は、ちゃぶ台を挟んで和やかに夕食を摂っていた。


「ふさよ。もう直ぐ高校受験だね。勉強ははかどってる?」


 パパ(不方さんの)の問いかけに、私はお箸で掴んでいた煮物を思わず落としてしまった。


 ついこの前、パパ(不方さん)の中では小学生から中学生になった私だったが、既にもう中学三年生になっているの?


 ······私はこれ迄の呪い変化に思考を巡らす

。一番最初、パパ(不方さん)から見て私は乳児だった。


 その期間が一番長かった。あの乳児プレイ

の日々は忘れたくても私の脳髄に深く刻み込まれいる。いや。と言うか永遠に消えない。


 それが幼児、小学生、中学生と余りに駆け足過ぎないだろうか?何故乳児の期間が特別長いのか?


『······乳児の時しか思い出が無いから?』

  

 私は以前「理の外の存在」正規雇用社員である玲奈に話した仮説を思い返す。あの地場霊は幼子を残して死んだのかもしれないと。


 愛娘の世話と言うやり残した無念さが不方さんに呪いとして投影された。もしそうなら、パパ(不方さん)の手慣れた世話振りとあの幸せそうな表情が腑に落ちる。


 だが、乳児から幼児になって以降、パパの私に対する態度は何処か手探りな感じがする。


 思春期の娘に対する父親の気持ち。それは実際娘の立場だった私には測り兼ねるが、幼児からの成長速度が早すぎる。


 それはつまり、乳児以降の子育て経験が無いからではないだろうか。私は前々から密かに考えていた事を実行しようと決めた。


 私は事前に用意した一枚の用紙をパパに差し出す。


「受験勉強は進んでいるよ。それよりパパ

、願書を出すのに保護者の書類が必要だから書いてくれる?」


 私がちゃぶ台に置いたのは、受験生の保護者の個人情報を記載する書類だった。そこには氏名、年齢、職業、住所を記名する欄があり、それは私が知りたい地場霊の情報だった。


「分かった。直ぐに書くね」


 パパは笑顔を私に見せながらポールペンを左手に持つ。不方さんは右利きの筈だったが

、どうやら地場霊は左利きのようだった。


「えーっと。住所は······あれ?住所?年齢?職業?」


 パパの表情から笑顔が消えたのはその時だった。パパは自問自答しながら時間と共に険しい顔になっていく。


「······名前?あれ?僕の名前は何だっけ?名前······僕の名前は」


 パパは俯き、その表情は私から見えなくなった。私は背筋に悪寒を感じた。この感じは以前にも覚えがあった。


『ふさよちゃん!!不方君から離れて!!』


 心の中で玲奈の鋭い声が聞こえた。両手で頭を抱えるパパの背後から、黒い霧が周囲に広がっていた。




 


 


 


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