第19話 無愛想男の過去

 ······月日の歩みは人間達を後ろから追い立てるように、そして早足に駆けて行く。私は無用の長物となった二月のカレンダーをめくった。


 私の大切な職場であり、居場所でもある「

またたび商店」がこの界隈町で営業する最後の一ヶ月となった。


 毎週月曜日は「またたび商店」の定休日であり、界隈町の多くの商店が同じ様に休む。


 月曜日は人が行き交う商店街の大通りは静まり返る。まだ薄暗い早朝、私はマフラーを首に巻きながら商店街の一角に立っていた。


「皆さん。休みの朝早くからご苦労様です。

では有志による商店街の掃除を始めましょう


 お腹の張りが豊かな六十代男性が、鼻水を啜りながら集まった商店街の人達に挨拶をする。


 この男性の名は遠道繁(とおみちしげる)さん。この界隈町の町内会長を務めている。

とても穏やかで優しそうな人だ。


「またたび商店さんはこっちの通りをお願いしますね」


 その遠道さの指示で、私と不方さんは右手にトング、左手にゴミ袋を持ちながら掃除を始める。


 不方さんと一緒にいる時間が欲しいと言う不純な動機でこの早朝掃除に参加したけど、

自分の住む町を綺麗にしていると思えば気持ちもいい。


 その不方さんは相変わらず無愛想顔で黙々とゴミを袋に入れて行く。


「······あと一ヶ月ですね。お店が閉店する迄


 ロンマンスの欠片も無い話題を口にした私は、心の中で自分の頬を叩きたい気分になっていた。


「······金梨さんは、どうして「またたび商店

」で働こうと思ったの?」


 不方さんの突然の質問に、私はトングで掴んでいたペットボトルを落としてしまった。


「え?わ、私ですか?え、えーっと。内定が決まっていた会社が倒産して。途方に暮れていたらたまたま「またたび商店」の入口に貼られた求人募集に飛びついて。ほ、本当にあれは助かりました。採用してくれた社員夫妻が救いの神に見えましたから!」


 私はまくし立てる様に当時の心境を語った

。不方さんは無表情のまま私を見ている。あ

、あれ?私、何か変な事を言ったかしら?


「ふ、不方さんは?お店で働くきっかけとかあったんですか?」


 沈黙に焦った私は、逆に不方さんに質問をする。すると、不方さんは足元に落ちていたポケットティッシュをトングで拾い上げる。


「······俺。大学卒業した後、三年間家に引きこもっていたんだ」


「······え?」


 不方さんの予想だにしなかった返答に、私は間抜けな声を出してしまった。


「······俺。この通り仏頂面だから。愛想笑いとかも出来なくて。就職活動は面接で全て落とされて。精神的に参って実家に引きこもっていたんだ」


 私は凍る様な寒さも忘れ、不方さんの衝撃的な過去の話に耳を傾けていた。不方さんが引きこもって三年目。


 唯一外出する心療内科の帰りに、不方さんは突発的に電車に乗り見知らぬ町に降り立った。


 そしてある商店街を彷徨う様に歩き、小さな商店の前で足を止めた。自分の足元に頭を擦り付けてくる白猫がいたからだ。


 その白猫は何処かで喧嘩をしたのか、頭から出血していた。不方さんは白猫を抱き抱え

、動物病院に連れて行こうと思った時だった


「ミケランジェロ?」


 商店の中から老夫婦が姿を現し、不方さんが大事そうに抱えていた猫の名を呼んだ。白猫ミケランジェロは、不方さんの手を目を細めて舐めていた。


「······それが、権蔵さんと小夜子さんとの出会いだったんだ」


 トングで掴んだポケットティッシュをゴミ袋に入れながら、不方さんは昔話を続ける。

不方さんはその日、社長夫妻に招かれ自宅で夕食を共にした。


 不方さんの身の上話を聞いた権蔵さんと小社長夫妻は、即決でこの「またたび商店」で働かないかと不方さんを誘った。


 どうして初対面の引きこもりを従業員として雇うのか、不方さんには一向に理由が分からなかった。


「君にミケランジェロも懐いているしね。猫好きに悪い人はいないよ」


 権蔵さんのその言葉を聞いた時、不方さんは自分でも気付かないまま涙を流していたと言う。


 翌日から不方さんは「またたび商店」で働く事になった。三年間のひきもり生活は不方さんの心身を鈍らせていた。


 ダンボールを数個運んだだけで息が切れ

、お客さんとの対面レジでは頭が真っ白になって何も出来なかった。


 それでも社長夫妻は温かい目で不方さんを見守り、時間と共に不方さんは目覚ましい働きぶりを見せる様になった。それは説明が不要な程私も良く知っている事だ。


「権蔵さんと小夜子さんのお陰で俺は引きこもりから社会復帰出来たんだ。二人にはとても返せない恩があるんだ」


 不方さんはそこ迄言うと、トングに掴んだ空のカップラーメンの容器を地面叩き付けた


「······でも。俺は何も出来ない!またたび商店がこのまま閉店するのに!何も出来ないんだ!!」


 不方さんは声を荒げ俯く。私は不方さんのお店に対する愛情の深さを見た気がした。


 ······それなのに。以前、私は不方さんにお店が無くなっても何とも思わないのかと言ってしまった。   


 何とも思わない筈が無かった。不方さんにとっても、このまたたび商店は大切な場所だったんだ。


 私は緩んだ涙腺を引き締め、私の好きな人に今言うべき事を言葉にする。


「······不方さん。出来る事、ありますよ。まだあります」


「······え?」


「笑顔です。笑顔ですよ。不方さん。お店が閉店する迄の最後の一ヶ月。精一杯の笑顔でお客さんを接客するんです。それが出来れば

、権蔵さんと小夜子さんもきっと喜びます

!!」


 私は両腕の拳に力を込め力説する。だが、不方さんは再び俯く。


「······無理だよ。金梨さんも知ってるだろう

。俺のこの仏頂面は一生直らないよ」


「そんな事無いです!不方さんだって笑顔になれます!だって、ミケランジェロの前ではあんなに優しそうに笑うじゃないですか!!


 ······そう。私は貴方のあの笑顔に心を奪われ、恋に落ちたの。


「え?ミケランジェロ?」


 不方さんは暫く考え込んでいたが、心当たりがあったのか、顔を真っ赤にして口を手で押さえる。


「たがら不方さん。笑顔の練習をしましょう

。この「またたび商店」の看板娘が徹底的に練習に付き合いますから!!」


 私は叫びながら、何処か自分の事を滑稽に感じていた。本当に伝えたい事を隠して、私は何を必死になっているのかと。


 ······でも。不方さんが笑顔を表に出せる様になれば。それは不方さんのこの先の人生で必ず大きな財産になる。それは間違い無かった。


 その時、離れた距離にいた町内会長の遠道さんに駆け寄る男女が見えた。


「す、すいません!!寝坊しちゃって」


 遠道さんに平謝りしているのは、私と不方さんがこの早朝掃除ボランティアをしている事を何処かで嗅ぎつけた稲荷兄妹だった。


 また乳児プレイフレンドがどうのこうのと言われるのかと思うと、私は暗澹たる気分に陥る。


「······金梨さん。俺。やってみるよ」


 人間よりも寝起きが悪い太陽が、やっとその日差しを界隈商店街に届け始めた時、私と不方さんの姿を見つけた稲荷兄妹がこちらに猛然と走って来た。

 

 私はその光景を眺めながら、不方さんの決意をその耳で聞いていた。


 







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