第18話 パパとのお風呂からの卒業
極寒の二月も終わろうとしていた下旬のある日。私は「またたび商店」のレジに立ちながら深いため息をついていた。
私は地場霊の身元を調べる為に、足繁く界隈町にある図書館に通い過去の新聞記事を調べたが、一向にその手掛かりになる情報は得られなかった。
そして毎夜発動する不方さんにかけられた呪いは更に変化していた。この前まで四歳児だった私の設定は小学生になった。
心無しか設定の年齢が上がる度に不方さんの目の輝きが増し、本当に幸せそうな表情を私に見せていた。
地場霊を何とかしなければ不方さんにかけられた呪いが解かれない。私は悶々としつつも、唯一の楽しみは毎週月曜日の定休日、不方さんと一緒に界隈町の早朝掃除に出掛ける事だった。
「なんか幸薄そうな顔してますね。先輩」
レジ台に小夜子さん特性弁当が置かれた時
、私は顔を上げた。目の前には、腰まで伸びる長い金髪と赤いコートを着た若者が立っていた。
「し、椎名君?い、居たの?」
「店の店員としてあるまじき発言ですよ。それ」
金髪の若者はその派手な外見とは裏腹に、リュックからマイバッグを取り出す。彼の名は椎名六郎君。
たまにこの「またたび商店」を利用してくれる界隈町の住人だ。以前、彼が店内で封筒を落とし、それを私が拾った。
封筒には私の通っていた大学名が記されていた。椎名君は大学生であり、私の後輩だったのだ。
それ以来、椎名君が来店した時は挨拶程度は交わす仲になった。
「······そ、そんなに幸福が遠そうな顔してた
?」
私はお弁当のバーコードを機械に通しながら、椎名君に問いかける。
「うーん。よく分かんないけど、先輩って余計なもんを背負い込んで損するタイプに見えるかな」
イケメン顔の金髪君は淡々と私をそう評し、代金を払いお弁当をマイバッグに入れる。
「ふ、ふん。流石に彼女が出来た人は言う事が違うわね。しかも?相手は女子高生だもんねー」
私が意地悪っぽくそう言うと、椎名君は途端に頬を赤くする。
「な、何で知ってんだよ!?」
「······いや。その。この前、鯨河沿いを椎名君が女子高生と一緒に歩いているのを見かけたの。じゃ、じゃあ!本当にあの高校生の娘が彼女なの!?」
「き、きったねーな!カマかけたな!!」
椎名君は更に頬を赤くする。一見、派手で遊び人に見える椎名君は、中身は真面目そうな性格だと私は見ていた。
憤慨して大股で出口に歩いていた椎名君が、突然長い脚を止めたのはその時だった。
「······先輩。何か、甘い薔薇の香りがしないか?」
「え?薔薇の?」
椎名君の言葉に私は鼻を周囲に向ける。だが、私には何も匂わなかった。
「······気のせいか」
椎名君はそう言い残して帰って言った。去り際の彼は、何処か懐かしそうな表情をしていた。
そう言えば玲奈が現れた時、何時も甘い薔薇の香りがしていたっけ。
『玲奈?近くにいるの』
私は心の中で「理の外の存在」の正規雇用社員に問いかける。だが、彼女からの返答は無かった。
······その日の晩、私は不方さんの部屋で日課となった呪いの相手をしていた。焼きそばの夕食を終え、不方さんがお風呂の準備をしていた時だった。
「······ふさよは、学校でいじめとかにあってないか?」
パパ(不方さん)は聞きにくそうに私に質問する。私は暫く考え込み「大丈夫だよ」と返答した。パパは安心したように微笑む。
······そうか。親は子供がいじめにあってないかどうか心配するのね。私は自分の子供時代を思い返す。
私自身の両親もさっきの不方さんみたいな問いかけをした記憶があった。ん?私の小学生時代?
私は自分の記憶を掘り起こして行く。そうだわ。小学生の頃だった。それ迄お父さんと一緒に入っていたお風呂を一人で入る様になったのは。
「ふさよ。お風呂溜まったよ。入ろうか」
パパが濡れた手を吹きながらリビングに顔を出した時、私は首を横に振った。
「パパ。ふさよ一人で入れるよ。もう小学生だもの」
······そうだ。私は小学生の頃、ある日突然こうやって自分の父親にそう告げたんだ。
パパ(不方さん)驚いた表情を見せた後、少し寂しそうに微笑んだ。
「······そっか。ふさよももう十歳だもんな。パパとのお風呂は卒業だね」
浴室に向かうパパ(不方さん)の背中は、心無しか小さく見えた。私の父もそうだったのかな?今の不方さんの様に寂しそうにしていたのかな?
自分の父親とパパ(不方さん)の背中が重なった時、私はパパ(不方さん)の背中に抱きついた。
「······やっぱり今日だけパパと入るよ」
私がそう言うと、パパ(不方さん)は私の頭を撫でながら嬉しそうに微笑んだ。
······就寝後自分の部屋に戻った私は、久し振りに父親に電話した。電話に出た父は少し酔った様子だった。
私は父に質問する。子供の頃、一緒にお風呂に入る事を拒否した事が寂しかったかと。
「ん?ああ······。そりゃあ悲しかったぞ。ふさよが家を出た時よりもずっとな。多分ふさよがお嫁に行っても、あの時の方が寂しさの方か大きいだろうな」
父は電話越しにそんな事を言った。私は父に。そしてパパ(不方さん)に何かとつもない親不孝をした様な気分になった。
「でも父親なら誰も通る道さ。それに、ふさよが俺とのお風呂を嫌がったのは、自立する大人への記念すべき第一歩だと俺は思っているよ」
陽気な口調で父はそう言ってくれた。父に一緒にお風呂に入らないと言ったあの日。今晩みたいにあと一度だけ一緒に入ってあげれば良かった。
父の声だけが響く静まり返った部屋の中で、私はそんな事を考えていた。
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