第14話 地場霊の恐怖

 ······肩より長く伸びるボサボサの黒髪。丸縁の眼鏡。細い顎。黒いセーターに黒いズボン

。そして全身を覆う様な黒いコート。


 靴は履いて無かった。否。足先が無かった

。足首の先は地面と同化し、周囲に黒い靄を漂わせていた。


 ······黒い。全てが漆黒の闇だ。私は異様な恐怖感に襲われ足がすくむ。地場霊は眼鏡の中の虚ろな両眼を私に向ける。


 が、頑張るのよ私!この人が不方さんに呪いをかけた張本人。この地場霊が呪いを解いてくれれば万事全てが解決するんだから。


「······あ、あの。地場霊さん。私は金梨ふさよと申します。えーと。その。地場霊さん。い、いや。貴方のお名前をきいてもいいですか?」


 私が恐る恐る問いかけると、地場霊は静かに頷いた。


「······名前······自分の名前。あれ。なんだっけな。思い出せないな」


 地場霊は首を傾げてそう言った。私は逸る気持ちを抑え慎重にゆっくりと話す。


「あ、あの。地場霊さん。ここの建物の二階に住む不方さんが貴方の呪いを受けたの。で 、出来ればその呪いを解いてくれませんか?


 私の要望に地場霊は再び首を傾げる。そして何だか困った様な表情を見せる。


「······呪い?僕が?誰を?分からないよ。何も分からない。何も思い出せないんだ」


 地場霊は地面を見つめながら両手で頭を掻き始めた。わ、分からないってどう言う事なの?


 この地場霊。自分の名前も思い出せないなんて。記憶喪失なのかな?で、でも。物腰も柔らかいし。思っていたより恐い人じゃないかもしれない。


 私はその時、心の緊張感を解いていた事に気付かなかった。それは、玲奈に強く戒められていた事だった。


『ふさよちゃん!!精神の緊張を解いては駄目よ!!』


 頭の中に玲奈の叫び声が響いた。私は気付くと、地場霊の目の前に近付いていた。な、何で?私は玲奈に言われた通り地場霊から距離を取っていたのに!?


「······君は。君は何だかお日様の匂いがするね」


 お日様の匂い?地場霊のその言葉に、私は何処かで聞き覚えがある気がした。以前誰かに同じ言葉を言われたような。


 地場霊は私の思考を中断させる様にその細く長い手を私に伸ばして来た。地場霊に引きずり込まれる。闇の深淵へ。私は理屈では無く本能でそう感じた。


「きゃあああ!!」


「シャーッ!!」


 私が恐怖による叫び声を上げると同時に、猫の鋭い鳴き声が聞こえた。私は視線を下に落とすと、白猫のミケランジェロが地場霊に向かって全身の毛を逆立てて威嚇していた。


「······分からない。思い出せない。僕は何処へ帰ればいいんだ?」


 地場霊は明らかにミケランジェロを嫌がり後退して行く。そして、小さく呟きその姿を黒い靄に同化させ消えて行った。


 私は全身に虚脱感を感じ地面に座り込む。

商店街の大通りを通り過ぎる自転車に乗った人がそんな私を一瞥して行く。


 私は左手の震えが止まらず右手で必死に押さえる。


「ニャーン」


 白猫のミケランジェロが私の膝に乗り震える私の左手を舐める。すると、嘘みたいに手の震えは止まった。


「······ミケランジェロ。ありがとう。ありがとね」


 私は半泣きでミケランジェロを胸に抱きしめた。何故猫のミケランジェロが地場霊を見えたのか。そして追い払えたのか。


 確実に分かっている事は、この白猫は私を窮地から救ってくれたと言う事実だった。


「金梨さん?」


 聞き慣れた声が私の背後から聞こえた。私は地面に座り込んだまま振り返ると、そこには不方さんが立っていた。


「どうかしたの?顔色が真っ青だよ」


 不方さんの顔を見た私は、張り詰めた緊張感が途切れ泣き出してしまった。不方さんは私を支え、二階の部屋まで付き添ってくれた


「とにかく。今日は休みなよ。社長には言っておくから」


 不方さんはそう言って時期に営業時間を迎える一階の店に降りて行った。去り際に「後で様子を見に来るから」の言葉に私はまた泣きそうになる。


 私は有り難く休息を取る事にしてベットに横たわった。天井に貼った超マイナーバンド「へべれケーズ」のポスターが私を見つめていた。


「······ごめんね。ふさよちゃん。私がもっと注意を払うべきだったわ」


 甘い薔薇の香りと共に、玲奈が私の前に現れた。私は首を横に振る。


「玲奈のせいじゃないわ。私が色々と油断していたからよ」


 私が弱々しくそう言うと、何時も天真爛漫な玲奈は更に落ち込んだ表情になる。私は何とか明るい話題は無いかと思案する。


「そ、そうだ。玲奈は何で「理の外の存在」に入ったの?以前は人間だったって言ってたわよね?」


 私がそう言うと、玲奈は微笑みくるりと一回りする。白いフリフリドレスのスカートが浮き上がり、薔薇の香りが一際香った。


 そして玲奈は両手を細い腰に手を当て豊かな胸を張って見せる。


「ふふふ。ふさよちゃん。こう見えて私は人間の時、結構な両家のお嬢様だったのよ。二十歳の時に病気で死んじゃったけど」


 え?ええ?は、二十歳の時に?そ、そうだったの?突然の衝撃的な過去を玲奈はニコニコしながら話す。


「······私ね。物心つく頃から周囲の人達とちょっと違っていたの。普通の人には見えない物が見えたり。人には聞こえない声や音が聞こえたり」


 そ、それって?言わいるシックスセンス?霊感的な物かしら?


「······少しだけど、稀に未来の事も予感出来る事があってね。何となく自分は長生き出来ないと感じていたの」


 玲奈は明るい口調で淡々と語る。玲奈が死んだ時、玲奈の目の前に「理の外の存在」が現れ彼女に選択を迫った。


 このまま来世に生まれ変わるか。それとも組織の一員になるか。玲奈は迷わず後者を選んだ。


 それを選んだ確固たる理由は玲奈には無かった。ただ、そうなるのが必然だと彼女は感じていたらしい。


 以降、百年以上と言う長い時間を玲奈は組織の中で過ごして来た。その間、組織の為に尽力したと言う。


「······私は直接関わってないけど、この世界の暦。つまり自然と気象が危機的状況になってね。それを二人の少年少女が食い止めようとした事があったの」


 玲奈には仕事に関する守秘義務があるらしく、それに抵触しない範囲で私にこれまでこなしてきた仕事を話してくれる。


「······私達組織の手違いで本来とは違う容姿に生まれてしまった女の子もいてね。その女の子を本来の容姿に戻す為に、必死になった組織の後輩もいたな」


 玲奈はどこか懐かしそうな瞳で過去の出来事を話してくれた。そして思い出した様に何時もの笑顔に戻る。


「自分の事を誰かに話すなんて思い出せない位久し振りだったわ。危うく自分の過去も忘れる所だったわ。ふふふ」


 万人が美女と称えるであろうその笑顔に、私は思わず見惚れてしまった。そして、玲奈の言葉で聞き逃せない単語があった。


 ······過去。忘れる。時間。私は飛び起きる様にベットの上で起き上がった。


「······玲奈。あの地場霊は言っていたわ。何も思い出せないと。地場霊として長く過ごすと、自分の事も忘れるのかしら?」


 私の質問に、玲奈は細い両腕を組んで考え込む。


「······あり得なくは無いわ。死者が地場霊になるとね、生者だった記憶も闇に取り込まれると聞きた事があるわ。あの地場霊も自分の事を見失ったのかもしれない」


 玲奈の説明に、私は一筋の光明を見出した


「玲奈。あの地場霊の事を調べる事が出来たら、もしかして説得出来るかもしれない」


 地場霊の身元を明らかにし、本来の名前を思い出させる。私はこの時知る由も無かった。私のこの思い付きは、この界隈町の歴史を知る事に繋がるのだった。




 


 




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