最初で最後のラブレター

イノウエ マサズミ

最初で最後のラブレター

 中学校の卒業式の2日前、小坂智子は親友の井本沙織に、手紙の文面を見せた。


「ねぇ、これで上手く彼に思いが届くかな…」


「そうね…。まあ、悪くないと思うよ!ちゃんとトモちゃんご自慢の綺麗な字でこんな思いを書かれたら、あの彼じゃなくても、イチコロだと思うよ。自信もって!」


「うん…ありがとね」


 小坂智子は、卒業式の前日に、3年間片思いし続けた同じクラスの男子、井村純一へラブレターを渡す予定を立てていた。

 卒業式当日は、式典後は混乱して渡せなくなる危険があるのと、もう一つ別の計画を秘めていたからだった。


 小坂智子は、これまで井村純一とは、クラス替えもあったものの、3年間奇跡的にずっと同じクラスだった。だが部活は一緒ではなく、小坂はテニス部、井村は陸上部と、体育系だが異なる部活という、そんな関係だった。


 @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@


 中1のある日のことだった。

 いつもはテニス部も陸上部もグランドで練習するのだが、警報が出るほどの大雨が降り、体育系の部活は休みになるか、体育館で狭い場所を取り合って練習するかを迫られた日があった。


 元々体育館を使っている体操部や卓球部もいるので、広い場所が必要なテニス部はその日は休部になったのだが、小坂が休部と聞いて帰り支度をしていたところ、井村は陸上部の練習の用意をしていた。


 その姿を見て、小坂は初めて井村に声を掛けた。


「い、井村くん、陸上部は体育館で練習やるの?」


「いや、陸上部も休部って連絡があったよ」


「えっ、じゃあなんで部活の準備してるの?」


「市の体育館で自主練しようと思ってね。新人戦も近いし、市の体育館なら2階で周回出来るから。じゃ、行くね。小坂さんも大雨だから、帰りは気を付けてね」


「う、うん。頑張ってね」


「ありがとう。頑張ってくるよ!」


 市の体育館へと向かう井村の背中を見送りながら、小坂はあっという間に井村に心を奪われている自分に気が付いた。


(カッコいいな…井村くん)


 小学生の時から男子とあまり喋ったことがなく、初恋も未経験だった小坂は、井村の自分で市の体育館へ行ってまで自主練するストイックさと、小坂に気を付けて帰ってねと言ってくれた優しさに一目惚れした。


 初めての恋に落ちたのだった。


 その日以来小坂は、クラスでは井村のことを見つめ続け、部活中はテニスの練習をしながら、遠くに見える陸上部の練習を頑張っている井村を目で追うようになった。


「そんなに好きなら、告白しちゃいなよ」


 小坂の小学校時代からの親友、井本沙織はそう小坂に言った。


「ううん、告白はしない」


「なんで?」


「だってアタシが告白して、もしダメって言われたら、アタシ、立ち直れないもん。アタシは遠くから井村くんを見ていられればいいんだ」


「えーっ、そんなんじゃ、他の女子に井村くん取られちゃうよ?井村くん、カッコいいし、モテるタイプだし」


「…それでもいい。アタシは付き合いたくて井村くんを好きになったんじゃないし。カッコいい井村くんを見ていられれば、それでいいの。もし彼に彼女が出来たら、おめでとうって思うよ。それでも、アタシは井村君のことを見ているだけでいいの」


「トモちゃんは恋愛初心者だなぁ…。小学生か!って突っ込まれちゃうよ?」


 小坂と井本は家が近いこともあって、幼馴染の親友だった。井本の方が積極的な性格で、小坂の方はどちらかといえば消極的な性格ということもあり、いつも井本が小坂をリードする形で、親友として付き合っていた。


 小学生の時は、男子にスカートめくりされて泣いている小坂を助けようとして、井本がイタズラした男子を捕まえて土下座させ、小坂に謝らせたこともあったほどだ。


 逆に、井本が昼休みに男子と追いかけっこをしていて、つい教室の花瓶を割った時、小坂は井本を庇って、アタシがやりましたと先生に言い、小坂なら仕方ないなと言わせ、何事もなかったようにしたことがあった。


「トモちゃん、本当に告白しないの?」


「一つだけ考えてることがあるんだけどね」


 小坂は小声で、井本にその考えを伝えた。


「えーっ?そんなに長い間、待つの?その間にバレンタインとか、修学旅行とか、文化祭、体育祭、色んなイベントがあるよ?その時に井村くんに彼女が出来ちゃったらどうするの?」


「それはそれで仕方ないよ。それでもアタシは井村くんのことを思い続けて、さっきの考えを実行するんだ。それでダメなら、諦める」


「ウーン、トモちゃんの考えは固そうだね…。分かった!そんな密かな片思いも、あってもいいかもね。アタシ、全力でサポートするよ!」


「ありがとう、サオちゃん。その日が近付いたら、改めていろいろ教えてね」


 2人は固い約束を交わした。


@@@@@@@@@@


 中学校の卒業式前日、小坂は前日に井本に見てもらって合格した手紙を封筒に入れ、登校してすぐに井村純一の下駄箱に入れた。


 まだ上履きが入っている状態だったので、井村より先に登校出来たのだが、それはそれで小坂は


(いつあの手紙を読んでくれるだろう)


 という、新たな心配を抱えることになってしまった。


 ドキドキしていると、井村もそのうち登校してきて、友達とおはよう~と朝の挨拶を交わしていた。


 小坂も気になり、一瞬だけ井村の方を見たが、手に持っていたのはカバンだけで、手紙は手に持っていなかった。手紙に気付かなかったのか、気付いてくれてカバンの中に入っているのか、そんなことですら小坂は気になってしまい、ドキドキが止まらなかった。


 その日は卒業式の予行演習がメインで、授業などはもうなく、午前中だけで学校は終わり、放課後となった。

 井村は特に小坂のことなど気にすることもなく、普段通りに帰って行った。


 小坂は井村が帰った後、あえてしばらく待ってから、下校した。

 その際、井村の下駄箱を見たら、手紙は無くなっていた。

 だから井村の手に、手紙が渡ったことは分かった。

 だが今日、学校の中で読んではいないのだろう。

 もし読んだら、それだけで小坂のことを気にする素振りをするはずだからだ。


「トモちゃん!」


「ワッ、ビックリした!」


 中学3年生では別のクラスになっていた親友の井本が、声を掛けてくれた。


「うまく例の手紙、彼に渡せた?」


「…んーと、朝下駄箱に入れた手紙が、今見たら無くなってたから、井村くんには届いてると思うの」


「良かったじゃん!じゃあ成功も約束されたようなものだよ!」


「えー、分かんないよ…。最後の最後に突然あんな手紙を読んで、井村くんがどう思うか…。今まで、ほんのちょっとしかお喋りしたこと、ないんだもん。手紙でお願いしたことを、明日井村くんがしてくれるかどうか、最後まで分かんないから」


「まあ確かにね。アタシも井村くんに近付く女子はいないかどうか気にはしてたけど、気付かない内に彼女を作ってる恐れもあるしね」


「そうだよね。明日どうなるのかな…。もし失敗したら、サオちゃんの胸で泣かせてね」


「いいよ!アタシのペタンコの胸で思い切り涙を流しなよ!って、ペタンコじゃないっつーの、アタシの胸は」


 井本はワザと小坂を笑顔にさせようとして、一人突っ込みをしていた。小坂も不安そうな顔が和らぎ、その後は2人でワイワイ言いながら、下校した。




 そして卒業式当日になった。


 予行演習は前日やったものの、やはり本番となると来賓や保護者が沢山来校するので、緊張感も違うし、これで本当に中学校生活が終わり、みんなバラバラになるんだと考えると、小坂は寂しかった。


 式典後教室に戻り、最後の学活を終えた後、小坂が外を見ていると、案の定凄い状態になっていて、モテる男子はあっという間に学ランのボタンが全部なくなっていた。


 その中に小坂が3年間片思いし続けた井村もいた。

 井村の学ランも、ボタンが全て無くなっていた。それは遠くからでもハッキリと分かるほどで、小坂の恋心を打ち砕くには十分すぎる光景だった。


(あっ…井村くんのボタン、全部無くなってる…。アタシの思いは届かなかったんだ…)


 小坂は卒業式前日に、井村の下駄箱へラブレターを入れていた。


 この3年間、ずっと好きだったこと、でも勇気がなくて告白出来ず、バレンタインにもチョコを渡せなかったこと、だけど井村のことはずっと思い続けていたこと、卒業式は告白できる最後のチャンスなので思い切って手紙を書いたこと、そしてもし出来たら、放課後教室でずっと待っているので、制服のボタンを1つ下さい、という内容だった。


 だが外にいる井村の学ランのボタンが全部無くなっていたのが見えた時は、さすがに小坂もショックを受け、そのままフラフラと自席に戻り、誰もいなくなった教室で、一人で机に突っ伏して泣いていた。


 ふと人影を感じ、顔を上げると、井本沙織が来てくれていた。


「トモちゃん、その様子だと、あんなに一生懸命書いた手紙、井村くんの手には届いたけど、心の中には届かなかったんだね」


「サオちゃん…アタシ、やっぱりダメだった…」


「分かったよ。このアタシのペタンコな胸で、思いっきり泣きなよ」


「ありがとう、サオちゃん」


 小坂は初めて井本の体に顔を預け、ワンワン泣いた。

 井本はまるで我が子のように、そっと小坂の背中を撫で続けた。


 どれだけ時間が経過したか分からなかったが、小坂も落ち着いてきて、外の喧騒も静かになってきた頃、小坂と井本はどちらともなく帰ろうか、と言って、教室に忘れ物はしていないか最後の確認をして、教室を出ようとした。


 その時だった。


 誰かが教室に向かって、階段を全力で駆け上がってくる音が聞こえた。


 小坂と井本は顔を見合わせた。


「誰?」


「忘れ物した子じゃない?」


 と言いつつ、誰が上がってくるんだという好奇心で、ちょっと待っていたら、そこに現れたのは、なんと井村純一だった。


「えっ!」


 小坂は驚いて固まった。井本は一瞬で状況を察し、小坂よりも後ろの方へと下がった。


「ハァ、ハァ・・・。ま、間に合ったかな・・・、こ、小坂さん・・・」


「い、井村くん、どうして?」


「だって・・・、昨日もらった手紙・・・、俺、ちゃんと小坂さんのお願い・・・、聞かなきゃダメって・・・思ってさ、ハァ、ハァ・・・」


 小坂は一度乾いた涙が、再び溢れてきそうになった。


「手紙、読んでくれたの?」


「ハァ・・・、当たり前じゃん。下駄箱に手紙入ってたら、男は単純に喜んじゃうって」


「ほ、本当・・・?」


「でも、手紙は誰からか分からなかったから、とりあえずカバンにしまって、昨日家に帰ってから読んだんだ。そしたらさ、3年間一緒のクラスだった小坂さんがこんなに俺のことを思ってくれてたなんて…。全然気が付かなくてゴメン、本当にそう思ってさ」


 小坂は溢れる涙を手で拭きながら、井村の言葉を聞いていた。


「それで、手紙でお願いされた俺の学ランのボタン、はい、これだよ」


 井村はズボンのポケットから、学ランのボタンを取り出し、小坂に渡した。


「えっ、ボタン、アタシに?」


「うん。最後の学活が終わった後、小坂さんのために事前に第2ボタンを外しておいたんだ。だからこれは、俺の学ランの第2ボタン。大事にしてくれたら嬉しいよ」


「アタシ、アタシね、井村くんが外で女の子にボタンを奪われてる姿を教室から見てて、アタシの願いは届かなかったって、思ってたの」


「とんでもないよ!俺の気持ちこそ、昨日の夜に手紙を読んだ時点で、小坂さんに届いてほしいって思ってた。ありがとう。本当に嬉しかったよ。こんな俺を3年も思ってくれたなんて、小坂さんの気持ちに応えなきゃ、男としてこんな恥ずかしいことはないよ。だから、俺から言わせて。小坂さん、好きです。付き合って下さい。お願いします」


 小坂は泣きながら頷き、右手を差し出した。

 2人は握手した。

 とても他人が離そうとしても離せないような握手だと、ちょっと下がったところで見ていた井本は感じた。


(井村くんも気付かなかったとか言ってるけど、本当はトモちゃんのことが、心の何処かにあったんじゃないかな)


 そう思いながら、井本も一粒の涙が零れ落ちた。




P.S.10年後


「また結婚式の案内~。アタシャ寿貧乏だよ・・・。今度は誰から?」


 井本沙織の家に結婚式と披露宴の案内が届くのは、これで何十通目だろうか。

 確かに今年は25歳。

 友達は次々と相手を見付け、毎年の年賀状は『苗字が変わりました』『新しい家族が増えました』ばかりになっていた。


 井本は大学を出た後、商社に勤めるキャリアウーマンとして頑張っていた。

 恋愛もそれなりに経験したが、仕事が忙しく、とても結婚を考える余裕は無かった。

 中学、高校、大学時代の友人が次々と結婚していくのを見送るばかりで、本当に寿貧乏状態だった。


「今度は誰だろ?それほど付き合いが深く無い方ならパスさせてもらおうかな」


 井本が恐る恐る封筒の裏の差出人を見たら、


「これに欠席したらいかんでしょ。親に借金してでも出るよ!」


 差出人は、井村純一、小坂智子の両名となっていた。


「あの2人、結婚にまで辿り着いたんだね・・・。良かった・・・」


 井本は早速、返信ハガキの出席に丸をし、メッセージを書き込んだ。


〘ご結婚おめでとう!馴れ初めから知ってる幼馴染みとして、喜んで出席します。末永く幸せにね!井村くん、トモちゃんのこと、頼んだよ!〙

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