一章

第1話 はい、詰んだー

 視界の光は徐々に収まっていき、完全になくなった時、私は薄暗い森の中に居ました。

 いきなり人混みの中に現れたりしたら、色々と厄介なことになるからでしょう。完全に人の気配がありません。

 よし、現状確認をしましょう。

 まず服装です! 元の世界の感覚で言えば、ごくありふれた、ちょっと貧相な村娘の格好ですね。恐らくこの世界でもそういう扱いだと思います。

 剣や鎧などの装備品は一切身に着けていません。

 次、身体を確認しましょう! 元の世界に居た時、魔王との死闘を終えた後は、回復魔法で回復しても治らない程、体にガタが来ており、腕を動かしただけで全身に激痛が走り大変苦痛でしたが、今は腕を動かしても、飛び跳ねてみてもどこにも痛みがありません。よく確かめてみると、古い傷跡とかも無くなっています。旅に出る前のキレイな軋みのない身体ですね。女神様に感謝します。

 うん? なんか少し違和感がありますね。

 腕の長さ、ちょっと短い? あれ、足も。って、これ、全体的に幼くなっているんじゃないですか?

 あっ! これ、多分、旅に出る直前じゃなくて、神託を受けたころ……つまり、特訓とかも何もしてない頃の体です! 8歳くらいだったのでしょうか。ぷにぷに。二の腕が柔らかい。

 筋肉質でガチガチだった腕が、ぷにぷにの柔らかくなっているのを堪能たんのうしつつ、そろそろ現実を見なければいけないと思う私です。

 場所の確認。深い森の中です。人の手も全く入ってない森のようです。今の私が四人になって手と手をつないで輪を作ったとしても、それでは収まりきらないほど太い幹がそこらへんに乱立しています。

 そして、絶対に無視できないだろう存在が目の前で鼻息を吹きかけてきます。


「女神様、なぜ『ドラゴン』さんの目の前なのですか……?」


 いきなりのピンチに現実逃避していた私を誰が責められるでしょうか。

 ドラゴンと言えば元の世界では最強の生物。戦って倒したこともありましたが、それは鍛え上げられた肉体と、対ドラゴン用の武装をフル装備した状態で辛勝といったところです。

 決して今の村娘状態でどうにかなる相手ではないのです。はい、詰んだー。

 人気も無いから助けを呼ぶこともできないし、こちらの世界でも相当に強い部類に入るはず。何せドラゴンですよ。しかもこの巨体。顔の大きさだけでも私の身長など軽く超えています。

「えっと、話し合いましょう? きっと話せばわかりあえます」

「フシュー…………フシュー……」

 鼻息を吹き付けられるだけで、言葉が通じた感じがない。当り前ですねっ!

 ただ、敵意も無いように思えます。このまま、ゆっくり離れていけば逃げおおせるのではないか?

 私はゆっくりと一歩下がってみます。

 すると、ドラゴンさんは伏せていた体を起こし、しっかりと足で立ちました。

「GYAAAAAAAAAAAAAAA!!」

「ダメだったあああああああ!!」

 つい癖で、一気に距離を取り、臨戦態勢になりましたが、……どうしましょう?

 ドラゴンさんのしっかりと開かれた目が、私を捉えて離しません。ていうか、デカい。

 ピロンッと聞きなれない音が聞こえたと思ったら、空中に文字が浮かんでいます。

 その文字はこちらの世界の言葉だろうけれど、何と書いてあるか理解できました。

『異世界転移特典、初回バトルチュートリアルを開始します。よろしいですか?』

「はい……?」

『では開始します。』

 最初の文が煙のように消えたら、次の文が現れます。っていうか、えっ? チュートリアル?

 私の混乱をよそに勝手に進んでいくチュートリアルとやら。

『まずは相手の動きをよく見ましょう。敵の攻撃に慌てず左に飛んでよけてください。上手く受け身をとれるとなお良いです。痛いのは誰だって避けたいものです。3,2,1きます。』

「ちょ、ちょっとまって~っ!!」

 そう叫びながら、指示通り左に飛んで逃げます。死にたくありません。

 受け身云々も慣れたもので、意識せずとも身体が勝手に受け身をとります。

『はい、よい回避行動でした。次に攻撃してみましょう。相手に警戒しながら近づき、攻撃します。武器をお渡しするので、お受け取りください。』

 おおっ!! 武器を渡されるらしい。これは嬉しいです。

 少し待っていると、ひゅーん、と空から何かが落ちてきます。あれ? 森の木々がこんなに生い茂っているのに、まさかピンポイントにあいだを縫ってくるとは……。

 っていうか、これ……

「木の棒じゃん!!」

『ノーです。ひのきの棒です。』

 結局、木の棒じゃん……。これであのドラゴンさんを……? いや、ただの木の棒と侮るのは早計ですね。一体どれだけの高さから降ってきたのかは分からないけれど、あれだけの勢いで地面に落ちても無事だった木の棒がただの木の棒であるはずがない……? 信じてみましょう。

 私の攻撃意思を読み取ったのか、次の文が現れます。


『いえ、それは何の変哲もないただのひのきの棒です。ドラゴンの鱗に叩きつけようものなら一回で砕け散ります。』


「なんなのよ、もおおおおおぉぉぉぉっ!!」

 すでにドラゴンさんに近づいていた私はそう叫びながら、思いっきりドラゴンさんの脛の辺りに打ち込みました。

 パアァァン、と破裂音が聞こえ、ひのきの棒はただの木片になってしまいます。

「GI……AAA……」

 ドラゴンさんが私の攻撃を喰らい、ふらふらと後退。あれっ? 効いている?

「あの、チュートリアルさん? 意外と効いているみたいなので、もう一本貰えますか?」

『初回、一本限定プレゼントなので、もうお渡しすることはできません。』

「はぁ~……。次は何すればいいのです?」

 何となくわかってきた、このチュートリアルとやら。

『相手が怯んでいる今が好機です、魔法で攻撃しましょう。ドラゴンは氷雪系の属性魔法を苦手としています。』

「魔法ですか。なるほど。それなら、使えるかもしれないですね」

 えーと、最近使っていたのはMPを大量に消費する大威力の魔法ばかりだったから、ここはだいぶさかのぼって……。

「凍える風、吹き付けろブリザード!」

 前に出した手からは何も出てこない……。

『話は最後まで聞きましょうね、このアンポンタン』

 いやだ、恥ずかしい。穴があれば入りたい。

 そうですね、ここは異世界。忘れていました。こっちで前の世界の魔法が使えないなんて、有り得る話です。あと、チュートリアルさん口が悪い。

 恥ずかしさで赤面した顔を両の手で覆っていると、ピロンッと音が聞こえました。

 手を下ろしてチュートリアルを見ます。

『一つ詠唱を書き出すので、続けて声に出してください』

「お願いします」

 一つ間を置くと、長い文章が現れました。

『復唱してください。――古より伝わりし太古の英霊よ、今我に力をお与えください。其の冷気は全てを凍てつかせ、全てを止める。神々に愛されたその力は永遠なり。零は始まりであり、終わりでもある。そこは白銀の世界。すべてが終わり、すべてが始まる。理不尽な其の力は人々から恐れられ、忌避され』

「古より伝わりし太古の英霊よ、今我に力をお与えください。其の冷気は全てを凍てつかせ、全てをって長い長いっ! ほらドラゴンさんも復活しちゃってる!!」

 復活したドラゴンさんは私を両目でしっかりと捕捉すると、大きく口を開けます。

『収束されたファイアブレスが来ます。避けてください。』

 その文を確認した直後、灼熱の熱線が吐き出されました。

「ひゃぁああああああっ!!」

 それを私は右に転がって避けきります。

 さっきまで自分の立っていた場所を見ると、地面に赤々とした液体の水溜りが出来ていました。地面が溶けて溶岩みたくなっている。あんなもの喰らったら、シャレにならない。

「あんな長い詠唱してたら、反撃されるに決まってるじゃないですか! 他に方法はないのですか!?」

『ふむ、しょうがないですね。では、詠唱省略のスキルを使いましょう。』

「どうすればいいのですか?」

『特別に貴女のスキルに追加させて頂きます。……あら? 既に持っていらっしゃいますね。転移ボーナスでしょうか。』

「どうでもいいからどうすればいいのよぉおおおお!」

 こうしている間もドラゴンさんからの攻撃が止むことはありません。当り前です。

 私は右に左に後ろへと転がりまくっていました。

 幸い、ファイアブレスとやらは連射できないらしく、さっきの一回以降使われていません。

『魔力を意識し、魔法をイメージして、魔法名を唱えればよいのです。サービスでイメージを直接伝えさせてもらいます。』

 私の頭の中に、ある一つの風景が現れます。

 その一瞬、私の足が止まりました。

 ドラゴンさんが大きく口を開けたのが見えます。

『魔法名はオリゴーグラキエースです。』

「詠唱省略、オリゴーグラキエースっ!」

 ドラゴンの頭上高く、森の木々よりも高く、雲近くに魔法陣が現れました。

 その魔法陣から青白い光が解き放たれます。

 光柱が、驚いて上を見上げたドラゴンさんを飲み込んだ次の瞬間、目の前が真っ白になりました。

 光が止むと、目の前には凍り付いたドラゴンさん。

 そして、辺り一面樹氷となっています。

「……これが、この世界の魔法、ですか」

 吐く息が白い。そして途轍もなく寒い。あと、すんごい疲れました。

 ピロンッと音が聞こえます。

『この世界での魔法は使用する魔法の階級により威力が決まっており、術者の魔法攻撃力等は関係ありません。使用する場合は気を付けてください。』

「なるほど、だいぶ今までの魔法と違いますね」

 今までなら、魔力、魔法攻撃力などによって威力が変わっていました。威力調整も意図的に出来ていたけども、この魔法は一切融通が利かないみたいです。

『なお、このような魔法を使う場合、自身に防御魔法を併用へいようするのが一般的です。』

「そういうことは先に言ってください!!」

 つまり、自分の魔法で自分もダメージを受けるということか。体の芯まで冷えているのはその所為か。

『これにてチュートリアルを終了します。最後に。倒した魔物や魔獣の爪やうろこを冒険者ギルドに持っていくと、換金してもらえます。では、良き転移ライフを』

 私が読み終わるとともにチュートリアルの文字が消え去ります。

「……それにしても、村娘にも倒せるなんて、この世界のドラゴンさんは弱い魔物になるのでしょうか?」

 よく考えてみると、そんな強い魔物にそうそう出逢であえる訳がないのです。でなくては生態系が保たれません。

 凍り付いたドラゴンさんに近づく。

 たしか、チュートリアルさんは爪や鱗を換金できると言っていましたね。

 前の世界でも倒した魔物を解体して生計を立てていたので、理解はあります。

 15年間旅していたからサバイバル技術も身に付くというものです。

 手始めに鱗に手をかけます。

 べりべり、と簡単に剥がれました。うん、持った感じも軽くていい感じ。防御力はヒノキの棒が木っ端になるくらいにはあるはず。なんたって、さっきそうなりましたからね。

 それに、厚みが凄い。今の私の掌を目一杯広げた状態で、親指の先から小指の先までの長さ。それが三つ分ですね。それでこの軽さなので、一体どういう成分なのでしょうか。

 二、三枚剥がしてみましたが、大きくて持って歩くのが大変そうです。

 次に爪。ぐいっぐいっとつかんで引っこ抜こうとしたけど、抜けません。むぅ……。ナイフも無いから、今回は諦めましょう。

 歯っていうか、牙。グラつかせたら抜けました。歯周病だったのでしょうか、歯茎は大事にしましょう。

 鱗の上に抜いた歯をゴロンゴロンと三本。鱗はもう少し持てそうなので五枚いで重ねました。

 他に収集物がないかとドラゴンさんの周囲をくるくる回っていると、ドラゴンさんの後ろの木の根元に土がこんもり積まれているのを見つけました。

 なんだろう、と近づいてみると、その土の山の隣にぽっかりと穴が掘ってあり、奇麗きれいな球状のものが一つ。大きさは大きいが何とか持てなくもない。これはもしや、卵?

 ドラゴンの卵といえば前の世界では高級食材でした。前にドラゴンさんを倒したときは探しても無くって、結局食べられなかったのです。……。…………。

「じゅるっ……ごくり」

 私は唾を飲み込み、その卵を他の収集物のところに持って行きました。ころころと転がして鱗の上に乗っけます。

「よぉーしっ。人里目指してがんばろぉー」

 …………。どの方角に進めばいいの?

 ぐるり見渡しても、木、木、木、木、木。目印などありません。

 今ある情報で推測するしかないですね。まずは太陽の位置。ふむふむ。木が生い茂っていて分かり辛いけど、よし、位置は覚えました。

 次は、そうですね、……あ、ドラゴンさんの立ち位置です。多分あのドラゴンさんとって人間は脅威でしょう。で、卵を持っていた。卵と人里の間に親ドラゴンさんが入るはずです。つまり人里はあっちの方角にある可能性が高いです。よし、行きましょう。

 気合を入れなおして荷物を持とうとしたけど、意外と大荷物になってしまいましたね。

 ……多くて持てないです。押して持っていきましょうか。魔法で地面が凍ってるから簡単に進みます。

 ずりずり、ずりずりずり。……ふう。

「ずっと中腰って疲れますね」

 腰が痛くなってきました。背伸びをして筋肉を解す。

「あら、つたがあります」

 上を見上げると、蔓状の植物が巨木から垂れ下がっていました。

 ふむ。えーと、何か固いものは……、あ、この石で良いですね。うんうん、いい感じに尖っています。あとは、あの木に登って……。

 助走をつけて、跳躍。勢いそのまま巨木の太い幹を二回ほど蹴り上がると、一番低い位置にある枝に手が届きます。

「よっ、ほっ」

 両手で枝をしっかりと握って体に勢いをつけて振り子運動。その勢いを利用して、枝の上に降り立ちました。

「うむうむ。このくらいの事ならまだ体が覚えているからできますね」

 と、枝の上で仁王立ち。スカートだけど、誰も来そうにないから気にしない。

 冷気は下に溜まっているので上の方に来たら大丈夫かと思ったけど、まだ駄目ですね。もう一段上はっと。

 再び同じ要領で次の枝の上に登ります。あ、ここの蔦なら柔らかいです。これを持ってきた石で適当な長さに……ちょっと長めにしましょう。石と切った蔦は下に落としといてっと。

 最初の枝に戻って手でぶら下がってから飛び降りました。あんまり無茶はできないですから。以前なら絶対すぐに飛び降りていましたね。そんなことしたら足を痛めてしまいます。

 ぽとぽとぽと、と飛び降りた衝撃で木になっていた木の実も一緒に落ちてきました。うん? 食べられるかな? ガリィッ、…………硬い、不味い、くそ不味いです。これは要らない。

 切ってきた蔦で荷物をくくり、引っ張れるようにする。卵は落ちて転がって行かないように雁字搦がんじがらめです。

 荷物から伸びている蔦を手に持ち、引き摺りました。

「うん。これなら行けます」

 これから数日間歩き続けることを私はまだ知らない。

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