第7話 暴走するドラゴン(1)
黄色い空で煌々と輝いていた太陽が、やっと南頂を通り過ぎた。後六時間もしないうちに、きっと太陽が沈む。そうしたら、この戦いは一時休戦となるわけだ。だから、あと五時間、とにかく動き続ければいい。とにかくとか、そんな甘っちょろい表現が不似合いなことは解ってる。楽な話じゃない。
さて。現実逃避もこの辺にしておこうか。俺的には今いる世界こそ夢の世界な気がしてならないんだけど、実際はこっちが現実だ。
茫然としていると、後ろから
「な・・・、亀まがいが、誰かに仕えるだって?」
「亀まがい=
あれ?何かこっちに向かっている気が・・・。気のせいかと思っていたけども、やっぱりそうじゃなかった。柳崎が素早い動きで俺に向かって剣を突き出す。速い。避けきれない。そう判断し、意味もなく腕を顔の前でクロスさせて、目をつむってしまった。
キンッ
甲高い音がしてハッとする。そう言えば、警棒持ってたんだっけ?でも警棒は無意味に天に向かって伸びている。バカな使い方だ。正直この高さにぶつけられるほど、柳崎は背が高くない。本気で意味のないガードだった。恥ずかしい。
じゃあ何の音だ?なんで俺は無事なんだ?恐る恐る目を開けると、宝亀が腰に携えていた細身の剣で、柳崎の剣の切っ先を受けていた。本を手にしていない今、彼女の「怪力」は無効になっているようだ。宝亀がいつこちらに回ったのかは解らない。それに・・・
「え、なんで助けてくれんの?」
助けてもらったのにいう言葉じゃないなとは思う。ちゃんと思ってますよ。でも契約なしの手助けは、この世界では重大な違反だ。犯罪だ。俺のせいで宝亀が犯罪者になったら、後味が悪い。
「従属したからに決まっているだろう。『提供』に主の意思は関係ない」
あ、そういやあったね、「提供」って。もう「契約」しか頭に残っていなかった。
相当間抜けな顔をしている俺の頭に、ポンと手が置かれた。腕を追いかけると、
「よっしゃ、じゃあオレも仕えるか」
柳崎が剣を振り下げ、宝亀の剣と擦れて不快音を奏でた。ぞっと鳥肌が立つ。俺こういう音に人一倍弱いんだよ。
「グリフォンが誰かに仕えることはもう驚かない。先代は赤に仕えていたしな」
赤と白の戦争は長いらしい。少なくとも、殺すのを躊躇わなかった「アリス」がいた時代の「先代」が生きていた時からあるわけだ。推察されるところの「先代のアリス」は戦争があった時代なわけだから、日本人であればもう六十年だか七十年だか前の話になる。そんなに長く続いてるわけ?この世界の戦争は・・・
「だが!」という柳崎の言葉で我に返った。
「亀まがいは誰にも仕えないことを信条としていたはずだ!平等な立ち位置にいると・・・」
「今の時代の何が平等だ」と嘲笑い、宝亀は続ける。
「私は見たいのだ、最前線で、『戦い』を知らぬこの『アリス』が、どのようにこの『戦争』に関わるのかを!」
ただひたすらの好奇心。理由としては、宝亀らしい。会って間もなくてもそう感じるのだから、昔から宝亀を知っている連中は、納得せざるを得ないセリフだったのだろう。
柳崎は身を震わせると、再び本を手に取り、片手でグイと持ち上げた。やばい。卵、卵は何処に行ったっけ?俺どこに置いた?
「アリスッ」
鷲尾の声に振り向くと、何かが飛んできた。卵だ。さっき柳崎を助けるために、投げ出してしまったらしい。
「ってか、卵を投げるな!」
生卵だかゆで卵だか、もしかしたら温泉卵かもしれないけど、とにかく投げてぶつけて割れたりしたらどうすんだ!
慌ただしく手を動かして、結局バンッと両手で挟んでしまった。その瞬間、卵がペタンコになる。顔が青ざめてる、と実感したのは初めてだ。本当に血が逆流したような感覚になる。
「や、ばい!やばい、やばいって!宝亀、俺武器壊しちまった」
卵の殻が感じられない。やばいじゃん。投げる、放る、叩くと、卵にしちゃあいけない行為三連弾。そりゃ、そりゃあ当然壊れるよね。それも粉々に。きっと投げた時点で亀裂が入ってたんだ。どうしよう。
宝亀は本を持ち上げる柳崎に向かって駆け出す。姐さんカッコいいです。カッコいいんですけど、今それどころじゃないです。俺を助けて。
「宝亀!」
「大丈夫だ、手を離してみろ」
姐さん、せめてこっち見て!状況を把握して下さいよ!
「ダメだって、黄身とか白身がデロッて出るって」
だって割れてるんだもの。生卵だったっぽいんだもの、手触り的に。
宝亀の言うことを聞かない俺にやきもきしたのか、鷲尾が走ってきて、俺の手を掴む。そして力づくでこじ開けようとした。
「ちょ、ちょっと待てって」
「宝亀を信じろ。あいつは嘘を言うやつじゃない」
不安なのと、信じているのは違う話だと思う。心理学的とか、脳科学的とか、そういう観点からは同じなのかもしれないけど、俺は違うと思う。
結構抵抗したんだけど、さすがに体格が違うから、力の差も大きいみたいだ。俺の手が開かれ、その中身が目に映る。
何か、ネバッとしていた。語彙不足で申し訳ない。実際にねばねばしてる感覚はないんだけど、両掌に糸を引いているその感じに対して、俺はその表現しかできない。しかもそれは少し橙色に輝いていて、綺麗というより熱そうだ。あ、溶かした硝子ってこんな感じか?もしかして。
開かせた癖に鷲尾もよく解っていないようで、びっくりしてそれを見ていた。この世界では卵の中はこれだ、というわけではないらしい。ちょっと期待してたんだけど。
「なんだ?この光・・・」
無責任に驚く鷲尾をよそに、光の付いた手をぶんぶんと振ってみた。これで剥がれてくんねぇかなぁ・・・
「わっかんねぇよ!なんかオレンジで熱そうだしさぁ」
「いや、光がオレンジなのは当たり前だろ」
面倒だな、もう。光の色まで違うのかよ!
それにしても、この光は手を伸ばせば伸ばすほどのびる。どこまで行くんだ?
ドンッ
勢いよく、何かが鷲尾にぶつかってきた。彼が倒れることはなかったが、すこしよろめく。ここで倒れないところが少し悔しい。いや、仲間なんだけどさ。
ぶつかったのは、宝亀だった。大した傷はないようだが、柳崎の本にやられたらしい。うめき声をあげて、顔を痛みで歪ませている。やはり、無効化なしでは彼女の怪力にかなわない。
宝亀は鷲尾に礼を言うと、すぐ体制を戻す。そしてこちらを見た。柳崎に向けていた攻撃的な目が戻っておらず、いらん恐怖を覚える。何もしてないです、はい、ごめんなさい。
「有須、目一杯手を伸ばしてみろ」
「もう伸ばしてるんだけど・・・」
「光が体についても問題ない。だから目一杯伸ばせ」
確かに体に付かない程度しか開いてない。俺は言われるままに思いっきり伸ばそうとすると、その前にポンと光が切れた。しかも形が変わり、ぽとっと物体となって落ちる。
あー・・・、なんて言うんだっけか、これ。あれだよ、あれ。船漕ぐやつ。モーターとか、スクリューじゃなくて、もっと古典的な・・・
「オールになった・・・」
そうだ、オールだ。鷲尾のつぶやきのおかげで思い出す。いや、覚えていると思ってただけで、知らなかったかもしれない。デジャヴ的な・・・ね?
「『亀まがい』の知識によると、アリスの武器は変化するそうだ。卵の時は能力を無効化、オールのときは・・・」
「無視するな!」
頭上にあの巨大な本を掲げた柳崎が飛んできた。あの本持ってジャンプできるとか、怪力の域出てるって!あのメイド服と言い、アクティブすぎだろ、この世界の女子!
宝亀が言いかけた話によれば、オールのときには別の能力があるらしい。つまり言い換えれば、「ジャバウォッグ」の力を無効化できないってことだ。
さらに簡潔に言うなら一言。
ものすごくやばい。
自分の語彙力のなさや、表現ベタな点は反省するけど、ほんとそれどころじゃない。
宝亀をその場に座らせた鷲尾が、首輪につけていた鎖を掴んだ。その鎖をぐっと引っ張ると、首輪からジャラジャラっとさらに鎖が出てくる。首輪のどこに収納されていたんだよ、その量!
もどもどしていると、鷲尾が走り出した。首輪に繋がったままの鎖を投げると、鎖が本に巻きつく。念力でも持ってるのか?
「そんなもので止まるものかっ!」
そういう柳崎の足は止まらない。しかし。
「止まらなくてもいいんだよ」
鷲尾が勢いよく鎖を引いた。柳崎は止まらない。が、彼女が縦に持っていた本は、勢いよく倒れたのだ。彼女の本は大きいものだし、重たいものだ。だからこそ、すこし重心をずらしただけで、簡単に倒れてしまったのである。
本が手から離れた柳崎に、鷲尾が手加減なしの蹴りを入れた。男子大学生が女子中学生に攻撃しているようで、俺的にあまり気分のいい光景ではない。だが、これが年齢に関係のない戦争なのだとしたら、やむを得ないことなのだろう。
蹴られた方もやられるだけではない。腹を少し抱えたかと思うと、低姿勢で鷲尾の足もとに駆け込んだ。そこに落ちているのは彼女の武器。鷲尾が気付くのが遅かったのか、柳崎の行動が速かったのか、それは解らない。柳崎の手は本に触れ、倒立するように足を持ち上げる。スカートなのに・・・。さらに持ち上げるついでに、鷲尾を蹴り飛ばしたのだ。鎖がジャラジャラと音を立てて鳴る。
「鷲尾!」
思わず出た声には何の意味もなく、鷲尾はアニメのようにぶっ飛んで、
幸いぶつかることはなかったが、邪魔にはなったようだ。
「何してるんだい!」
「悪い、油断した」
結構痛そうなのに、鷲尾はへらりと笑って見せた。平気なのだろうか?
「心配はいらない」
そう言ったのは、鷲尾じゃなくて、隣に立つ宝亀だ。心の声が聞こえたんすか?
宝亀は鷲尾を信頼している。恋人予備軍に見えるってことは、やっぱりそういうところもあるんだろうな。あーあ、羨ましいこって!
僻みに気付くはずもなく、宝亀がふっと笑みをこぼした。可愛らしい笑みというよりは、妙に自信にあふれた笑みだ。
「
なんだそのカッコいいフレーズ。諦め人生を送っている人間が、憧れる言葉じゃないか。でもそのフレーズのカッコよさとは裏腹に、鷲尾は嬉しそうに笑っていた。いや、嬉しそうっていうよりは、こう・・・、カモを見つけた時のような笑い方だ。不敵とか、悪どいとか、そんな表現がふさわしいのかなぁと思う。
つまり。
「くそっ!強ぇなこいつ、でもオレはあきらめねぇぜ!」
とかいう感じじゃなくて、
「こんなに強い奴と戦えるのに、逃げるなんてふざけんなよ!」
的な感じだ。バトルフリークって、こういうヤツの事言うんだろうか?喧嘩好きにも近い気がする。どっちも同じ意味な気もしなくもない。どちらにせよ、これを諦め知らずと言っていいものか?
羊元の周りには、力なく倒れる兵隊たちがたくさんいる。一人でここまで戦ったのかと思うと、外見が中学生なだけについ感心してしまう。
「あんた、そんなに弱かったかね?」
「柳崎とは知り合いだけど、面と向かって戦うのは初めてなもんでね」
へ?
とぼけた顔をしていると、隣で笑い声がした。笑われたのかと見ると、その目は鷲尾の方を見ている。
「柳崎はおろか、対戦すら慣れていないだろう」
考えてみれば公爵夫人に捕まっていた時も、あまり抵抗している節はなかった。実際、メイド服が何度か様子見に行っていたようだったが、彼女は無傷だった。攻撃していない証拠だ。そう考えると、バトルフリークというのも少し違う気がする。
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