*4

 一ヶ月、二ヶ月と月日が流れ、そのころには身の回りのことは一通りできるようになった。桜が舞っていた時には寝たきりだったのが遠い昔のことのように思えた。


 軽快に庭を散歩する菜月を見て担当医も納得し、もともとの予定よりだいぶ早く退院が決まり、病院で過ごすのもあとわずかになった。


 ただひとつ変わらなかったのは、拓巳が毎日見舞いに来ることだった。


 病院は菜月の家から近いことを基準に、設備が整った今のところに決めた。


 拓巳の家や職場から通うには苦労する距離なのに、拓巳はお構いなしに足しげく病室に通った。仕事の途中でも時間を見つけては顔を出し、手土産や花をおいてそそくさと会社戻っていく。大変だろうから無理して来ることはない、と伝えても、拓巳は笑顔で首を横に振った。


「拓巳さんがいないところで倒れたからだろ」


 珍しく病室に現れた伊月が、拓巳のおいていったお菓子を開けながら言った。


 可愛らしいうさぎ型のお菓子を頭からかじる姿をぼんやり眺めながら、拓巳と面識あるのか、と菜月は思う。


「……なに」


「いつ会ったの?」


「はあ? 姉ちゃんが連れてきたんじゃん」


「そうだったっけ」


「そーだよ。ずっと嫌がってたのに急に手術することにしたって言ってきて、ついでに彼氏も紹介するとかって。なにがついでだよ」


「ごめんって」


「まだ脳みそに麻酔残ってんじゃねーの?」


 包み紙をぐしゃぐしゃと丸めて、ごみ箱に投げ入れた。


 菜月は入院した時の記憶がない。


 きちんと事前から手続きをして入院したのか、救急車で運び込まれたのかもわからない。さっき弟が言った手術という言葉も、自分がどういう病気でなんの手術をしたのかもさっぱりだった。


「……姉ちゃんさ、大学って楽しかった?」


「楽しかったよ」


「そう……」


 視線を落とした伊月が言おうとしている言葉を菜月は静かに待った。


「俺さ、医療系の専門行きたいんだよね。クラスのみんなも大学どこにするとか言ってて、母さんも父さんもまず大学って言ってくるし。大学じゃないとダメみたいな雰囲気があって言いにくくて」


「医療の大学もあるでしょ?」


「医者になりたいわけじゃないんだよ、そこまで頭よくないし。それに四年なんて長いじゃん。早く一人前になんないといざって時に役に立てないし」


 なんのために、なんて野暮なことは聞かなかった。


 菜月が思っていた通り、伊月はきちんと自分で将来のことを考えていた。


「どのくらい通うかってとこよりも、先生で選んだ方がいいよ。専門学校にこだわらないで、いろんな学校見てこの先生に学びたいって思えたところが一番いいと思う」


「……でも」


「もしもの時に伊月が助けてくれたらすごくうれしいけど、焦っても仕方ないよ。まだ時間あるんだし、ゆっくり考えな」


「……、うん。わかった」


 つきものが取れたように伊月はほほ笑んだ。親に連れられてではなく、自らひとりで菜月の病室に来たのはこれが理由だった。


 小さいころから一緒に過ごしてきて、菜月の体になにかあるたびに伊月は我慢を強いられた。幼いころはそれが可哀そうで申し訳なくて伊月に嫌われる覚悟を菜月はいつも抱えていた。


 そんな気持ちをよそに、伊月は菜月から切っても切り離せない医療の道を選んだ。


 なにもできない自分からなにかできる自分になりたかったんだ。


 昼過ぎに恵子がやって来た。伊月がいたことに驚いてなにを話していたのかしつこく聞かれたが、伊月はただ通りすがりに寄っただけだとごまかした。


 いつもなら納得しない恵子も、すっきりした顔の伊月を見てなにかを察したのか、あっさりと引き下がり上機嫌で鼻歌を交えながら退院に向けて荷物を整理し始めた。


 長い入院生活は明日で終わる。

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