第二話

  ~第二話~


 『まるで天使の様な子だ』と、持て囃されて生きて来た。そんな文句を繰り返す周囲に憐れみを覚える様になったのは、何時からの事だったか。


 ―――きっと皆、本当の天使を知らないのだわ。


 いざや皆、見目の麗しさに劣らぬ誠心を湛えた天使の笑みを見よ。いいえ、やっぱり見せてあげない。


 この子の慈愛を独り占めしたいと思ってしまう我儘な私は、天使なんかじゃない。




 「…お目覚めになる時間でございますよ、妃殿下」

 耳慣れた声に目を覚ます、と同時に寝所のカーテンが勢いよく開かれる。目映い程の朝の陽光は微睡みの私を容赦無く覚醒に誘った。


 「…今は何刻かしら、ばあや?」

 眦を擦り乍ら上体を起こし問い掛けた。射し込む光の先に目を遣るに、朝日は既に大分高い位置に在るように見えた。


 「第九刻にございます、妃殿下」

 カーテンを開くのに次いで室内履きを寝台脇に添えたばあやは畏まった立ち姿で私を待っている。やはり常よりも寝過ごしてしまっていたらしい。


 「殿下は六刻には早々にお目覚めになられ、今は執務室にて御公務の最中にございます」


 あらそう、別段訊ねる心算も無かったのだけれど。立太子から此方、彼の御方が朝寝にかまけて起床の時刻を遅らせた事など一度としてない。当然だわ、そんな実直さをこそお慕いしているのだもの。


 「…あの子は?」

 寝台から鏡台に身を移しながら訊ねる。


 「…近衛副官殿は殿下より先に朝の調練に向かわれました」

 着替えを手伝うばあやは露骨な溜め息を混ぜて答えた。


 「大丈夫かしら…」

 「…何がでございましょう」

 「きっと座るのにも難儀では「ひい様、其れ以上は」


 鏡越しの婆やが青ざめた顔で制止する。呼び方が昔に戻っているわよ?


 「はぁ…それにしても昨夜は正に夢心地だったわ!」

 「いやだから聞きたくないんですよあたしゃあ!老骨の心臓虐めなさんな!」


 あぁ、漸く話し方も戻った。あの子もそうだけれど、ずっと気を張って居ては疲れてしまうだろうからこの方がずっと良いわ。


 「まったく…お若い方のなさる事はこの婆には刺激が強すぎますわ…」

 「そう言わないで、私が何でも話せる相手はばあやしか居ないのだもの…」

 「この流れでしおらしげに言われても嬉かありませんよ!」


 話す間に着替えは済み、次いで鏡台の椅子に腰掛ける。ばあやは慣れた手付きで髪を梳きに掛かる。


 「あたしゃあもう坊やが気の毒で気の毒で…」

 「そうね…私も殿下も思いの外火がついてしまって「だからおやめなさいって!そっちの話じゃありませんから!」


 また遮られてしまった。昨夜のあの子は本当に可愛くて、誰かに話したくて、自慢したくて仕様が無いと言うのに。


 「新婚の御二人の寝所に招かれたなんて周囲に知られてご覧なさい、一体どんなお咎めを受けるやら…」


 ばあやは先程迄よりも深刻な顔で溜め息を吐く。あの子の事で真剣に悩んでくれている事が本当に嬉しい。


 「もう今朝から一体いつ陛下の御召しが有るかと思うと気が気じゃあ御座いませんのよ…」

 「大丈夫よ、陛下も御承知の事だから!」


 「…はい?」


 優しいばあやを悩ませる事もない。口外は控える様に言われている事ではあるけれど、彼女の口の固さは誰よりも私が知っている自負が有った。


 「殿下と一緒に調べたのだけれど、王族の寝所に伴う役が昔は公式に認められていた記録が有ったの!」

 「」

 「歴史は古いけれど近代にも例は有って…最も近い所だと先王陛下の御代ね、その時は女性だったらしいわ」

 「」

 「勿論一歩間違えれば醜聞にも成りかねないけど正式に第二妃を迎えると継承権の問題が起きかねない…東方鎮護を司るこの国で御家騒動なんて以ての外ですもの、昔の方の合理性って乱暴な様で実益が備わっているわね!」

 「」


 どうやら感心して聞き入ってくれているらしい。勉強した甲斐が有ると実感出来て嬉しいわ!


 「それでね!始まりを遡ると初代様の…」

 「いやもう勘弁して下さいまし!その話全部墓場まで持ってったらあたしの入る隙間が無くなるわ!」

 「まぁ…そんな悲しいこと言わないで、ばあやにはまだまだ元気で居て欲しいのだから…」

 「誰の為に寿命縮めてるとお思いです!?」



 ………所変わり、王の私室にて。


 「…まぁそう言う訳であるにして、儂の事は殊更に気にせずとも良い」

 「」


 朝の調練を終えて朝食後、執務室付の文官に呼び止められた時には既に如何なる叱責をも受ける覚悟を決めていた。

 文官は明確に『王の御召しである』とは告げず、ただ『着いて来て欲しい』とだけ口にした。その態度からも既に、公に出来ない話をするのだろうと言う事は察するに余り有る。


 …で、言われもしないのに入り口の衛兵に腰の物を押し付けて身一つでその場でぶった切られる覚悟まで決めて罷り越したらこの状況だよ!とんでもねぇ王室スキャンダルの暴露!昨晩からてんやわんやの上にも寝不足の頭にこれ以上燃料注がれたらマジにストレスで禿げ上がるぞ!


 「抑々の話であるが…極東の不侵領域に接する我が国では兵と苦楽を共にし前線で刀槍を振るう英雄的資質が王に求められた、此れはお主も知っておろう?」


 え、何でいきなり歴史の授業?いや知ってますけども。だから俺ら近衛も余所より大分荒っぽいですし。

 尤も仲間内で品が無いのも考えもんですよ。従士詰所の会議室で俺の席にだけ円形のクッション置いたヤツは後程探し出して決闘申し込みます。


 「それで…まぁ、解るであろう?古来から英雄の在り様を表すに慣用される言葉などそう変わりはせぬ物だ」

 「『色を好む』、と…」

 「うむ…」


 本当に王家の性だったよ!まさか代々欲望ダダ漏れで血筋紡いで来たとか聞きたくなかったよ!もう今後は王墓警護のシフト絶対誰かに代わって貰おう!まともに見れる気がしない!


 「まぁエリザベートも分家とは言え同族だからのう!二人してああ成ったのも然もありなんだわい!ハッハッハ!」


 もうやだこの一族…膝叩いて笑ってるしよぉ…


 「…まぁ冗談はさておき」


 此方は冗談じゃねぇんですよ。


 「今更儂から言うまでも無い事だが…代々の王族が己の同伴者に注いだ物がそうであるように、あの二人がお主に示す愛は疑い様なく真実の物だ」


 …仰る通り、其処に疑いを持った事は無い。幼少の砌より、二人は欠かす事無く其れを示し続けてくれていた。…方法は兎も角。


 「今後も苦労を掛ける事が多かろうが…頼む、支えてやって欲しい」

 「無論です…自分の務めとも関わり無く、其れこそが一人の人間としての使命と心得て居ります」


 独り死するより三者共に生きるべきに己の覚悟を賭せと言うなら何れだけ容易いか。


 「本当に苦労を掛けるのう…尻の具合はどうだ?」

 「台無しだよ!お願いだから良い感じの空気で終わらせてくれよ!」

 「円座は届いとったか?」

 「犯人ココに居たよ!十割善意の下賜物がアレとか尚更タチ悪いよ!」




 その後も王からの付け届けは定期的に続いた。軟膏に止血帯、果ては薬草入りの入浴剤迄。後に財務局によって王室からの謎の資金流失に関する参考人として引っ立てられ公開処刑(社会的な意味で)の目に遭うのだが、当然語る気にはならない。

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