第三話

  ~第三話~


 『人の上に立ちたい』と、思った事は一度も無かった。寧ろ君と自由に戯れる事すら許さない立場に生まれた事を厭うた回数は数え切れやしない。


 でも君は言った、『王無くすれば民は迷い、民無くすれば王は立たない』…だから僕らは対等だ、って。その言葉は神教の坊主が繰り返す王権神授の説法よりも遥かに胸に収まり良く、やさぐれた年頃に何れだけの救いになったか。


 『君の説に照らすなら、此の想いも後ろめたさを感じなくて良いのだ』と。他の誰でもなく、君がそう言うのだから…




 「午前の裁定は此れで以上となります」

 御付政務官はそう言うと手渡した書類を一纏めにし文箱に収める。時刻計に目を遣ると間も無く正午を迎える頃合いだった。


 「昼食には第三大隊が同席するのだったな?」

 執務机に備え付けられた椅子に凭れ襟を緩める。政務官が何か言い掛けるが『構うな』と手振りのみで告げる。


 「…はい、月末の定例会議に向けて事前協議の申し出が有りましたので」

 政務官は溜息交じりに僕の問い掛けにだけ答える。構うものか、『人目の無い所では肩の力を抜いた方が良いよ』と言う天使の箴言に何人たりと釘を刺させやしない。尤も、当の本人が実践できているかは疑問だけれど。


 「大隊長と副隊長が同席の予定です…しかしまぁ、昨夜の今ではユリウス君が少々気の毒にも思いますがね」

 「…ユーリが?なんで?」


 僕の態度に合わせて砕いた口調に変えた政務官に此方も揃える。ユーリやリズ程でないにしろ、彼とも長い付き合いではあるのだ。


 「なんでって…そりゃあ昨晩身を委ねたばかりの殿方と食事を共にするなら多少の恥じらいも有りましょうよ」

 「なにそれかわいい」

 「…徒でハルバードぶん回す剛腕の持ち主の形容とは思えませんな、いや別に良いんですけど」




 いやもう本当にどんな顔して会えと。朝は調練に託けて御寝所から抜け出すのに必死で昼の会合の事すっかり忘れてたんだよ!

 

 「なんだ、顔色が悪いな?」

 「…ほっといて貰えます?」

 白々しく問を投げる隣席の隊長に御座なりに言葉を返す。いっそ体調不良を言い訳に欠席も考えたが、二人が見舞いの名分で自室に乗り込んでくる想像が容易かった為に断念した。


 「とても寵愛を賜った果報者の面構えには見えんな…まぁその為に寝不足と言うなら同情せんでもないが」

 「いやもう原因言っちゃってんじゃん!」

 「そうか…仕方無い、昼食後に仮眠取って良いぞ」

 「そっちじゃねぇよ!わかっててやってんだろ!」

 最早俺の扱いは公然の秘密となりつつあるらしい。まさか外部に漏れはしないだろうが、王宮内で感じる視線だけでも精神的な負荷としては十分過ぎた。


 「まぁ此れが済めば駐屯地に蜻蛉帰りだ、離れて日が経てば噂も影を潜めるだろうよ」

 「…そう願いたいもんです」

 婚礼を終えたばかりの二人の為にも、下世話な噂の横行は許容出来ない。いや噂って言うか紛れも無い事実なんだけれども。


 「殿下の御入室です」

 食堂の入り口に控えていた給仕が声を上げる。隊長と共に席を立ち扉が開かれるのを待った。

 

 「すまない、待たせたようだな」

 入室したアレクは正面の席に座ると謝辞を述べる。大陸中央の諸国では『王族たるが軽々しく謝罪を口にするものではない』と言うのが一般的な儀礼だが、王族と兵の距離が近しい我が国に在って此の態度は決して作法に外れない。


 「とんでも御座いません、御婚礼の翌日から政務に励まれるとは頭が下がります」

 後に続いて着席した隊長が口を開く。全く同感だ、思わず首肯する俺を見たアレクが微笑みを返してきた。何か恥ずかしいからやめろ。


 「エカテリーナとは久々だな、祝賀会で会えず残念だったが息災だったかな?」

 「ええ、御陰様で女だてらの前線勤務も恙無く続けられて居ります」

 自身に満ちた顔で背筋を伸ばす隊長の赤髪が揺れる。本当に、前線で剣を握らせておくのは勿体無い顔立ちと言えた。


 「頼もしい限りだ…明日からはよろしく頼むよ」

 「お任せ下さい、部下の士気も上がりましょう」

 

 …?


 「あれ?ユーリには言ってないの?」

 「おっと、そうでした」


 …え、なになに何の話?マジで状況が呑み込めない。


 「殿下は明日から前線の支城に移られる、就いては御身の警護を第三大隊が担う事になった」

 「」

 「勿論リズも連れて行くからね」

 「」

 「月末の定例会議では殿下が御自ら我らの練度や兵站状況を陛下に奉じて下さる事になってな、今日は現状をご報告する為に御時間を頂いている」

 「まぁ詳しい話は食べながらにしよう…ロレンツォ、君も座ると良いよ」

 「は、御相伴に預かります」


 …

 ……

 ………

 「いや喉通るかこんなもん!」

 「お前…恐れ多くも王宮の食堂相手に『こんなもん』呼ばわりとは」

 「そう言う意味じゃねぇよ!頼むから状況を整理する時間をくれよ!」


 いやもう実際十分過ぎる程状況は分かり切ってんだけどさ…要はこの二日間で会話した相手がほぼ全員グルって事で良いんだよね?


 「いやぁ大変だなユリウス君、因みに私も政務補佐で付いて行くからよろしく頼むぞ」

 「労いに感情が無い…」

 「元々殿下は仕事熱心な御方だがね、今朝の作業効率と来たら凄かったよ…本当に今後ともよろしくな」

 「どう見ても人を強壮剤代わりに使う気満々じゃねぇか!」


 「つーか『離れて日が経てば』って離れないじゃん!寧ろ距離近付いちゃってんじゃん!」

 「いや、アレは(王宮から)離れればと言う話でだな」

 「噂してくる相手が他人から身内に変わるだけじゃねぇか!」

 「元々口さがない連中だ、気に食わんなら拳で黙らせられる分幾らかマシだろうが」

 「あぁ成程そうっすね…とはならねぇよ!」


 「ユーリが働いてる姿が見れるの楽しみだなぁ!」

 「最早視察の体を取り繕う気も無いのかよ!」

 「…視察?違うよ、完全に住まいをそっちに移すんだってば」

 「」


 

 

 寝不足の頭は遂に処理能力を超え俺はその場でぶっ倒れた。正気を得て真っ先に鏡を確認したが禿げてはいなかった。

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