8 鈍色と群青
泣いた顔を洗って病院に向かった。
綾斗の顔を見て、これでよかったんだと肯定したかった。
自分で選んだ道正しかったんだと、そう思いたかったんだ。
いつも静かな廊下が少し騒がしい。ばたばたと足音が響いて、見たこともない器具が次々と一つの病室から出入りする。病室の前には泣いている女の人。ただただ涙を流してうなだれていた。
「オオシマさん」
雪帆の後ろからかけてきた看護師が、うずくまっている人に声をかけて、慰めるように寄り添う。その姿だけでこの病室でおきたことがなんとなくわかった気がした。
病院なんだからそういうことも、きっと当たり前におこる。綾斗やまだ目を覚まさない隆太じゃなくてよかったと思ってしまうのは自然なことだけれど、今この瞬間は、その考えが浮かんだ自分を不謹慎だと雪帆は責めた。
自分には関係ないことなのに、そこに止まった足が一瞬動かなくなったのは、どこかで聞き覚えがある気がしたから。
でも、思い出せない。
友達でそういう名前の人はいなかったはず。引っ掛かる気持ちを抱えながらもその場を通り過ぎ、綾斗がいる病室に向かう。
この騒がしさはさっきの病室からする声が響いているだけだと思っていた。でも、騒がしさは落ち着かなくて、関係ないと思っていた雪帆のその考えはすぐに飛んだ。
雪帆が足を進めるほど声が大きくなっていく。
もしかして、と思うころには誰の声かわかっていた。
急いで病室のドアを開けると、美波と綾斗が取っ組み合いの最中のような格好をしていた。
「なにしてんの」
雪帆の言葉で二人は身体を離す。
「これ」
美波がヒモを雪帆に見せる。昨日綾斗がとっといてと言った物だ。
「首吊ろうとしてたんだよ」
聞いた瞬間、心臓が飛びはねてめまいがした。
雪帆が綾斗に手渡したもので自殺をしようとした。
雪帆は綾斗に嘘を吐かれた。
今までそんなこと一度もなかったのに。
西山くんとさよならして綾斗を選んだ途端になんで。
「昨日、そのつもりでほしいって言ったの?」
「……」
「だから学校に行けなんて言ったの?」
顔を背けて、なにも答えない綾斗を揺さぶる。
昨日ちゃんと謝って帰ればよかった。
自分を見てないとわかっていても、綾斗の顔を見て話をすればよかった。
そんな思いが雪帆の中で溢れて、考えれば考えるほど、雪帆に後悔が重くのしかかる。
なんでこうも上手くいかないんだろう。
どこで間違えたんだろう。
なにをやっても裏目に出てばかりだ。
もし、あの時、西山くんを選んでいたら、なんて考えが浮かぶ。今そんなこと考えたくないのに、そんな暇もないのに、どうしても西山くんのあの優しい笑顔が思い浮かんでしまう。
「ねえ、なんか言ってよ!」
「うっせぇな! なにしようが俺の勝手だろ!」
まるで雪帆の努力を無駄にするような、そんな言葉だった。
じゃ、なんでここにいるんだろう。
必死で支えた意味はどこにいくの。
こんな雪帆に手を差し伸べてくれた西山くんじゃなくて、綾斗を選んだのに。それを否定されたら、雪帆が今ここにいる意味なんてなくなってしまう。
雪帆の目から涙がこぼれ落ちた。
ばちん、と弾く音がした。ぼやけた視界で見ると美波が綾斗の頬を叩いていた。
「勝手ってなに? そばにいる雪帆のこととか、アンタを助けて酷い目にあった隆太はどうなんの! 死にたいなら全部終わってから一人で死ね! バカ!」
吐き捨てて美波は病室を出ていった。
居心地悪い空気が綾斗と雪帆を包む。綾斗は雪帆を見ずに布団をかぶった。出ていくことも話しかけることもできない雪帆は、力なくベッドの横に置かれた椅子に座る。
開けられた窓から涼しい風が吹き込んでも、病室の空気は変わらなかった。
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