4 銀色と欠片④

 集中治療室と書かれた部屋。ガラスの向こう側に隆太がいる。


 ベッドに横たわり、体中に管を繋がれて、その先にある機械の音が隆太がまだ生きていることを知らせていた。なにも言わず、ただ静かに涙を流す美波に雪帆はなにもできなかった。謝ることも、震える肩を支えることも。


 美波に謝ってしまったら、隆太が帰ってこなくなってしまう、もう二度と話すこともできなくなってしまう、そんな気がした。


 あの時こうしていれば、ああしなければ。そもそも綾斗を海に行かせなければ。そんな後悔が混ざった考えが雪帆の頭を埋め尽くす。


 綾斗は前の事故で痛めていた足を悪化させた程度で済んだ。身体の傷はそれだけ。でもそれ以上に心に大きな傷を負った。後悔と責任が綾斗に重くのしかかっていた。


 リハビリもせず、ただぼんやり窓の外を見る綾斗。雪帆の問いかけにも答えない。いてもいなくても同じだとわかっていても、雪帆は毎日病院に足を運んで、一日中ずっと綾斗のそばにいて世話を焼いた。


 いつまで続くんだろう。


 毎日同じことをして同じ話をして、時間が進んでいるのかすらわからなくなる。


 学校、いつから行ってないんだっけ。


 そんな考えを切るように病室のドアがノックされる。振り返った先に夏目さんが顔を覗かせ、笑顔で雪帆に手を振った。綾斗を残して病室を出る。


「フルーツと、これ今日までのノート。テストはしばらくないみたいだから」


「ありがと」


 学校から寄ってくれた夏目さんの額には汗がついていない。もう夏が終わろうとしているんだと雪帆は思った。


「ねえ雪ちゃん、お話してもいい?」


「うん、いいよ」


 ベンチに二人で腰かける。


 綾斗のこと以外考えたかった。麻痺してしまった感覚を、誰かに戻して欲しかった。


「私ね、好きな子がいるの」


 ごめんねこんな話して、と照れながら笑う夏目さん。


 普段から可愛い夏目さんが、恋をするとこんなにも可愛い顔をするんだと、今初めて知った。どんなに人気者だと言っても女の子で、恋の一つや二つはするんだ。


「どんな人?」


「すごく優しくて可愛い子」


「そうなんだ。夏目さんぐらい可愛ければだれでも付き合ってくれそうだけど、告白とかしないの?」


「しないよ」


「どうして?」


 夏目さんが好きだと言えば、返ってくる答えなんか一つしかないはず。


「私はね、その人のことがすごく好きだけど、その周りにいる人も大好きなの。もし私がその人に好きだって言っちゃったら、一緒にいることができなくなっちゃう」


「……」


「みんな大事なの。雪ちゃんにはわかるよね」


「……うん」


 夏目さんの話を聞いていたはずなのに、いつのまにか雪帆の話になっていた。


 夏目さんの言うとおりだ。雪帆はみんな大事だった。綾斗も西山くんも両方。どっちかなんて選べるはずがない。


 夏休みの始め、みんなで海に行ってはしゃいだあのころが一番楽しかった。好きな人たちと同じことで笑い合えた、あの時に時間が戻ってほしい。


「ごめんね。この前、付き合うのやめた方がいいなんて言って」


「そんな」


「でも、よく考えた方がいいって私は思ってるよ」


「……なんで?」


「今あのひとと一緒にいる理由は、好きだからじゃないよね。だって、雪ちゃんが好きなのは西山くんでしょ? なんでそんなに好きなのに西山くんの所に行かないの? 雪ちゃんはそれができるのに」


 好きで動けたらどんなに楽か。


 でも。


 そんな簡単じゃない。


「西山くんも好きだけど、責任感じているから今はそばにいなきゃ、なんて中途半端すぎるよ。どっちか選べないんじゃなくて雪ちゃんはどっちも選んでない。だから西山くんと上手くいかなかったんだよ。どっちか捨てなきゃ、いつかあのひとも、西山くんもいなくなっちゃうよ。その時、一番傷つくのは雪ちゃんだよ」


「夏目さんだって、両方大事だって」


「私は捨ててるよ。恋人になれる可能性を捨てて、友達でいることを選んだの。だから告白しないし好きだっていうそぶりも見せない」


 強い意志だった。


 夏目さんは強い。


 好きなのにその気持ちを閉じ籠めて、友達としてそばにいるなんて、きっとそんなこと雪帆にはできない。


「雪ちゃんはもうわかってるよね、あのひとが雪ちゃんのこと見てないの」


「どうして」


「わかるよ、見てるもん」


 そっか。


 やっぱりそうなんだ。


 雪帆以外にもわかってしまうほど、綾斗と雪帆の関係はおかしくなっていた。それは雪帆自身もわかっていたんだ。


 法事の日から綾斗は変わった。雪帆と一緒にいるのにまるで誰かを探すようぼんやりしていることがある。


 雪帆のことなんか見てないのも、わかっているんだ。


 それでも。


「今は動けないよ」


 出した答えが自分の心に突き刺さるのを感じた。


 自分の足に鎖を繋いだ。そうしたのは雪帆だ。綾斗から離れることはできない。責任という重い足枷を自分の手で付けた。


 夏目さんはそっと雪帆を抱きしめてなにも言わず去った。

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