14 橙と傷⑤

 夕暮れの廊下を一人で歩く。


 この廊下を西山くんとも綾斗とも歩いた。


 楽しかった記憶が雪帆の過ごす日常全てに散らばっている。


 懐かしい気持ちが広がるのと同時になぜだか涙が浮かんだ。


 ゆっくりとした足で下駄箱に着く。雪帆の足が止まったのはその時だった。


 雪帆の目の前に西山くんがいた。


 なにも変わらず、まるで雪帆を待っていたかのように。


 このまま名前を呼べばそのまま帰れるような、そんな気がしてしまうほどだった。


 雪帆に気がつくことなく、西山くんは下駄箱から去っていく。


 それもそうだ。もう雪帆を迎えに来ることはないんだ。


 だって、その理由がない。期待した雪帆は恥かしくなる。


 クラスが隣なら自ら避けない限り会ってしまう可能性はどうしても存在してしまう。それがたまたま今日で、帰る時に偶然ここで会ってしまっただけ。それ以外なにもない、と言い聞かせながら下駄箱を開ける。


 小さな紙袋が入っていた。


 桜が舞う春に入っていた手紙を、ふと思い出させるような真っ白い袋。また夏目さん宛に送られたものが雪帆の場所に入れ間違えられたのかと思いながら、確認のために取りだすとメッセージカードが目に入る。


 手が震えた。


 息が上手くできない。


 夏目さん宛じゃない。

 送り主もあて先も書かれてないのに、そうわかるのは、カードに書かれた文字に見覚えあったからだ。


 まだ肌寒いあの春、手に取った手紙。


 今でも引き出しの奥にしまいこんである。


『誕生日おめでとう』


 短くそうつづられていた。


 ああもうだめだ。


 こらえていたのに、一瞬にして気持ちが引き戻される。


 西山くんは雪帆が来る前に、この紙袋を下駄箱に入れていた。だからさっき会ったんだ。西山くんは隣のクラスで、下駄箱の位置も違うのに、立っていた場所は、雪帆のクラスが使う下駄箱の前だった。


 偶然なんかじゃない。


 西山くんは雪帆を待っていたんだ。


 どうしていまさら。そんなことを考えてしまう。


 溢れそうになる気持ちをぐっと抑えて紙袋の中身を出す。丁寧な包装をゆっくり解いていくと、小さな箱に入った雪の結晶のネックレスが見えた。


 全てがあのころを思い出させる。付き合って初めて出かけた先で見つけた物。雪帆が可愛いと思って手に取ったが諦めた物。西山くんはずっと覚えていてくれた。


 見ないようにしていた過去が雪帆を包み、引きずり、傷つける。


 ぼろぼろになっても過去は離してくれやしない。

 いつまでも付きまとって、つけこむ隙があれば足を引っ張り転ばせて傷つけるんだ。あんなに楽しくて愛おしい記憶が冷たく傷つけるだけのものになってしまった。

好きという気持ちを無理やり心の奥底に押し込んだせいだ。


 昔のこと。もう終わったこと。過ぎたこと。そう自分に言い聞かせて、大切な気持ちをおいてけぼりにした。


 まだ雪帆は立ち直ってなんかない。綾斗が手を差し伸べてくれて、進んだ気になっていただけで、ホントは一歩も動いてなんかなかった。思い出にどっぷりつかったままで、他の人を好きになろうとしていた。まだ好きなくせに、今でも無意識に姿を探しているくせに、「もう大丈夫」なんて口にして笑ってごまかしていた。


 雪帆だって綾斗と同じだ。

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