7 青と光②
「俺と付き合おう」
ふさいだはずの耳から鮮明に聞こえた綾斗の声。
はっきり聞こえたんだ。
なのに、雪帆はなにを言われたのかわからなかった。
「俺は、雪帆が好きだから付き合ってほしい」
「どうして、今、そんなこと言うの」
待っていたはずの言葉だ。
暗闇に落ちた雪帆を救おうと、差し伸べられた光のような言葉だ。
すごくありがたい。それは確かにそうだった。
でも、雪帆の中で嬉しい気持ちも、笑顔もなに一つ出てこなかった。
気持ちが動かないんだ。求めている人物じゃないから。
どんなに願っても、目の前にいる人物は西山くんにはならない。雪帆は今、そんなことを望める立場ではないのに。どうしても、そんな考えが浮かんでしまう。
「ひどいこと言うけどな、俺はお前が別れたって聞いて正直嬉しかったよ。俺がどんなに好きでも、あいつと付き合ってたら俺のこと見てくれるわけねーから、このままただの友達としていこうと思ったよ。でもな、お前が一人で泣いてんなら俺はそこにつけこむよ」
「……ずるい」
「いいよ、もっと言えよ。俺のせいで別れたって当たっていい。恨んで憎んで、顔合わせる度に罵倒したっていい。だから俺と付き合おう」
「できるわけないじゃん」
「俺がいいって言ってんだよ」
「そんなことしたら、綾斗が好きだったって言ってるようなもんじゃん。やだよ、私が好きなのは西山くんだもん」
好きだと口にした瞬間に、溢れる涙。
押し込めて、閉じ込めていたものがダムが崩れたように流れ出す。
ああまだこんなに好きなんだと、実感させられる。
「それじゃ、俺が無理やり言いくるめたって全員に言うよ。雪帆は流されただけだって。それならいいだろ」
「やだ……」
「まだあいつが、湊が好きなのもわかってる。それでもいい、俺が受け止めてやるから全部持ってこい」
綾斗は優しい。
けれど、今の雪帆にとってその優しさがすごく痛くて、苦しくて。考えたくなくても西山くんのことを思い出して考えてしまう。
ごめん、むりだよ。そう言いたかった。言おうとした。
でも、それを言えなかったのは、差し伸べてくれている手が震えているとわかったからだ。
雪帆に真剣な言葉をかける綾斗のその顔は痛いくらいに歪んでいて、目は潤んでいた。普段強気で弱いところなんて一切見せない綾斗が、今、目の前で弱さをむき出しにしてまで、雪帆を支えようとしている。
それを振り払えるほど、雪帆は強い意志を持っていない。
その日から綾斗は毎日、雪帆を訪ねて来た。
休んだ分の授業をまとめたノートやプリントを使って勉強を教えたり、持ってきたゲームや漫画を勧めたり、自分のことをあとまわしにして雪帆に尽くした。受験に力を入れないといけないはずなのに、復習や息抜きになるから気にすんな、と笑って言った。
その優しさのおかげか、西山くんのことを考えることが少なくなっていった。
雪帆が少し回復したと綾斗に聞いたのか、次の日に美波と夏目さんが訪ねて来た。たまには俺以外と喋れよと綾斗は言って、雪帆の顔を見てすぐその場を去る。綾斗と過ごす時間が日常になりかけていた雪帆は戸惑いを隠せない。
「綾斗と付き合うの?」
もう二人には喋ったんだ。
西山くんの耳にも入ったのかな。
「……どうなんだろ、わかんない」
「私は付き合ってもいいと思うけど」
どうして。
なんで美波はそう簡単に言ってしまえるんだろう。
支えてくれる人がいるなら、その人に頼ってしまえば楽なのは雪帆もわかっている。けど、頭でわかっていても、気持ちが追い付かないことはたくさんあるんだ。
「ねえ、雪帆。西山はアンタを捨てたんだよ」
「捨て……」
「私は、私のことをいらないって言った人なんか忘れる。別れようって、今後の人生にお前は必要ない、邪魔だってことだよ。そんな奴にくれてやる時間なんてない。自分ために生きてんだから、幸せになるようにしなきゃだめでしょ。終わってるくせに、いつまでも思い出に浸ってるなんて傷つくだけじゃん。なんでわかんないの」
体を貫くような言葉だった。
太い太い柱のような物が雪帆の体を貫通して、身動きも息さえもできない。フラれた側という事実ではあったけれど、捨てられたとういう感覚は雪帆にはなかったんだ。
「いつまでもそんな人のこと考えてないで、前に進んだ方が雪帆のためになると思うんだけど」
「……捨てたとか、前にとか、そんな簡単に言わないでよ。美波みたいに私はかわいくないもん。言い寄ってくれる男の子がたくさんいる美波にはわかんないよ」
「一番最初に付き合った人は、私から好きになった人だよ」
そんなの、雪帆は初めて聞いた。
「雪帆みたいにじゃないけどフラれて泣いて、しばらくして学校に行ったらそいつ、私に見せつけるようにかわいい女の子を連れて、笑ってたの。恋愛って、終わったあと笑っている方が勝ちなの。内側でなにを考えて泣いてても、相手の前で先に笑った方が勝ちなんだよ」
「勝ち負けなんかどうでもいいよ、私はそんなの求めてない」
痛いところをつかれる言葉は、雪帆に届かない。
「……香、なにか言ってやってよ」
「ごめんね、私はなにも言わない」
「なんで」
「悩んでる時って、望んでいる答えをくれる人しか信じないから、どれだけ正論を言ったって弾かれて、嫌な人だって思われるから、私はなにも言いたくない」
「嫌われても言ってやるのが友達でしょ」
「うん、ごめんね。ただね、私は、あのひとを選んでも西山くんを好きでいつづけるにしても、雪ちゃんが笑ってくれればそれでいいかな」
まるで自分が傷ついたように、涙を浮かべながら苦しそうに微笑む夏目さん。
思い出したくもないことも話してくれた美波。
好きな人を失った雪帆に、こんなにも親身になってくれる友達がいることがありがたかった。
この先どうするかはまだ答えが出ない。けれど、少しだけ前に進もうと今は思える。
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