5 夕焼けと透明③
翌日、いつも放課後に迎えに来る西山くんが来なかった。
不思議に思って隣のクラスに行くと、席に座って机に突っ伏している西山くん。
手を伸ばして、ふわ、と髪を撫でると、雪帆に気づいたのかゆっくり体を起こす。
「眠たいの?」
「……いいや、ちょっと考えごと」
「大事なこと?」
「……ちょっと寄り道していい?」
聞かれた言葉にいいよと言って教室を出る。
夕日が差し込む廊下を進み、行き着いた先は旧校舎に続く廊下。
初めて顔を合わせて会話をしたと変わらず、人気は少ない。雪帆はなんだか懐かしい気持ちになった。
適当な場所でしゃがみこむ西山くんが、手で顔を隠す様に覆う。
ねえ、どうしたの? そう聞こうとした時。
「雪帆は、あのひとが好きなんだろ?」
後ろから心臓を貫かれた様に大きく脈打つ。
「なに、それ」
頭が働かない。
言葉が出てこない。
脈ばかり速く、大きくなっていく。
「最近話しているのを見て、楽しそうだなって。俺と話している時はあんな顔しないじゃん」
あんな顔ってどんな顔なんだろう。
「私は、綾斗より西山くんのほうが─」
「雪帆は、俺の名前呼んでくれないよね」
名前。
思い返せば言ってなかったかもしれない。
「名前で呼んで欲しかったなら、言ってくれれば」
ふっと息をするようにそこで言葉が切れた。
言われなければ、わかんないことだったのだろうか。
西山くんは付き合い始めたころから雪帆のことを名前で呼んでくれていたんだ。それに合わせて雪帆も名前で呼ぶべきじゃなかったんだろうか。
恥もある。
呼び方をいきなり変えるのも少し違和感を感じる時もある。
それでも、好きならばできることだ。隆太と綾斗の名前呼べて、なんで西山くんのだけは呼べなかったんだろうか。
「ごめんなさい」
「……なんで謝るの?」
「だって、名前呼んでなかったから」
ふっと息を吐く西山くん。
「うん。でも、もういいんだ」
もういい、消えそうな声でもう一回呟いた。
すぐそばにいるのに、手を伸ばせば届くのに、雪帆は西山くんがとても遠く離れた場所にいるように感じた。
「雪帆」
顔を上げた西山くん。
その顔を見れば、なにを言おうとしているのかわかる。
わかってしまうことが、余計に雪帆を悲しくさせる。
「別れよう」
まるで地獄に突き落とされたようだった。
真っ暗な闇に囲まれて身動きもとれない。ただただ呆然と立ち尽くすしか雪帆にはできなかった。
回らない頭で懸命に言葉を考えるがなにも出てきやしない。
うずくまって、顔を隠してしまった西山くんを見つめる。
今どんな気持ちでいるんだろう。
どんな思いで、この言葉を言ったんだろう。
雪帆には想像もできない。
将来とか未来なんてまだまだ先の話で、この先どうなるんだろうとか、そういうことは考えていなかったけれど、でも、雪帆は雪帆なりに、真剣に西山くんと付き合っていたんだ。
ずっと西山くんと一緒にいれると思っていた。遊びで付き合っていたわけではない。子供がする、くっついただの別れただのというような、軽いものではないんだ。
つまり別れるっていうのはもう二度と関わりたくないっていう意味になる。今後一切、顔も見たくない、声も聞きたくない、姿を見たくない。人生において、あなたとの関係はここで終わりだって、そういうことだ。そういう意味での別れようってことなんだ。
重い意味を含んだ、別れようという言葉を、雪帆は西山くんに言わせてしまった。
そこまで追いつめていたんだろうか。なにがきっかけで、西山くんはそんなことを思いついてしまったんだろうか。
雪帆は西山くんのことをよく知らないことに、今さらながら気づいた。
ちゃんと顔を見て話して笑いあっていたのに、雪帆の気持ちも、西山くんの気持ちも、お互いになにも言わず上辺で笑いあってただけ。付き合うってことを理解してなかったんだ。
ぼたぼたと涙を流す雪帆。
「俺はさ、雪帆のことが好きだよ。今でも、すごく。でも、なんかよくわかんないんだよ。あのひとと話している方が楽しそうに見えて、俺といる時はあんな風に笑わないじゃん。俺と付き合っているのに、雪帆は俺の方見てくれてない気がして辛い」
「……なら、なんで話さないでとか言わないの」
「そんなん言えないよ」
「どうして」
「だって、そんなこと言ったら雪帆を縛ることになるだろ」
じゃあどうすればいいの。
どうしたらよかったの。
なんで話し合おうとしてくれないの。
こっちを見て、お互いのためになるようにって。
なんでその選択肢を最初から外してるの。
辛い、と突き放されて、取りつく島もなくて、嫌でも一番残酷な一つの答えを引き出させようとしている。それしか選択肢がないみたいに、周りを崩して孤立させて。
そんなのってないよ。
処刑台に立たせて、最後に言いたいことはなにかあるかと言っているようなもんだ。聞く気がないくせに、聞こうという見せかけの姿勢だけ。
こんなに残酷なものはない。
裁判官にでもなったつもりか。
同じ人間で、立場だって年齢だってなに一つ変わりはしないのに、上からものごとを見て、自分が決めたものは絶対に覆そうとしない。
結局、西山くんは別れるという意味も重さもわかってないくせに、自分が辛いのが嫌で、雪帆を置いて一人で逃げ出そうとしているだけなんだ。自分で判断を下せないから相手に任せる形にしているけれど、周りを固めて他の選択肢は選ばせないようにしている。
ずるい。
すごくずるい。
決める覚悟がないなら最初から言わないでほしい。
相手のことを想うのなら、責任転嫁なんかしないで別れようと一言言って立ち去るべきだ。泣こうが喚こうが、縋りつける言葉も時間もすべてなくして置いていくべきなんだ。
弱い。
西山くんはとても弱い人間だ。
でも、弱くてずるい西山くんだとしても、一緒にいたいと思ってしまう雪帆は、どうしようもなく西山くんのことが好きで、情けない。
「雪帆」
こっちを向いて、というような声で呼ぶ。
そんなことしないで突き放してほしい。
「俺は動けないから、行ってくれないかな」
自分は動こうともせず、雪帆に動いてくれと、自分を置いて行ってくれと言っている。
結局そうなんだ。
傷つけないようにと考えて、実際にしている西山くんの行動は、全て裏目に出て雪帆を余計に傷つけている。でもきっと、それを知ることはない。
動いたら、一歩踏み出したらもうこれで終わり。
そうわかっている。
けれど。
雪帆は足を動かした。
そうするしかなかった。
今、雪帆が動かなければ、雪帆自身がもっと傷ついてしまう。西山くんが弱い人間で、こうするしかないのであれば、自分から動くしかないんだ。
もうこれ以上、傷つくのは嫌だった。
弱くても、ひどくても、雪帆は西山くんのことが好きだった。
今すぐにでも縋り付いて、やり直してほしい、考え直してくれないかと言いたかった。けど、そんなことしても西山くんは聞いてくれない。言ったってまた自分が傷つくだけだ。そう、わかっていた。
雪帆は自分を守るためにこの場を去った。
好きな気持ちを引きずりながら、涙をこぼして雪帆は西山くんを置いていった。
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