2 赤とふたり②

 約束した土曜日は晴れた。


 風に吹かれて足下でふわふわと揺れるスカート。少し張り切りすぎたかも。なんて今さらながら思ってしまう。でも、私服で初めて会うなら少しくらい、雪帆はそう自分に言い聞かせる。


 時刻は十三時。約束の時間だ。待ち合わせた場所は間違いないはず。


「お待たせ」


 顔をあげると目の前に西山くんがいた。


 雪帆が傘を忘れた日も西山くんの家で私服を見たけれど、あの日は無地の緩いTシャツで、西山くんのスッキリした線がぼやけるような感じだった。


 今日は雰囲気が違う。


 明るい色のパーカーが西山くんの優しい感じを膨らませたようだ。


 自然と頬が緩む雪帆と同じような顔した西山くん。


「照れるね」


 西山くんが顔を近づけ、体に力が入る雪帆。


「今日すっげー可愛い」


 耳元で小さく、雪帆にしか聞こえないような声でそう言った。


 ずるい。


 会ったばっかりなのに、そんなのずるい。これじゃ心臓がもたない。


「映画と水族館、どっちが好き? 俺なりに考えてはきたんだけど、一人で決めるのはなんか違う気がしてさ。」


 西山くんと同じ時間を過ごせるなら、雪帆はなんでもよかった。


 手をつないでゆっくりと見慣れた街を歩く、ただそれだけでも十分だった。けれど西山くんがせっかく考えてきてくれたのに、そんなこと言ってしまったら全部台なしにしてしまうような気がして、言うのはやめておいた。


「ちょうど見たい映画があったんだ」


 そう言って映画館に二人で向かうことにした。


 土曜日のせいか映画館はすごく混んでいた。空いている席も少ない。


「後ろの方でもいい?」


「あ、うん」


 真ん中に少し空席があったけれど、やっぱり人が隣にいるのは嫌なんだろうか。雪帆はなにも言わず、西山くんは一番後ろの端に席を2人分とった。


「まだ少し時間あるし、飲み物買ってくるから待ってて」


 そう言って、雪帆を置いてすっといなくなる西山くん。その背中を見送りながら、一緒に行くという言葉を雪帆は飲み込んだ。


 チケットのお金、渡さないとな。


 スムーズに会計するために西山くんが全部払ってくれたけど、驕られるのはあまり好きじゃない。特別にバイトをしている訳でもないし、年齢が違うわけでもない。デートで男が払わないと嫌という文句をどこかで聞いたことがあるけれど、雪帆は平等がよかった。


 同じ感覚で同じ目線で過ごしていきたい。でも、それをいつ言えばいいのかわからない。


「ごめん、混んでて。行こうか」


 帰ってきた西山くんの手に一つの紙コップ。映画館ならではの大きさだ。雪帆が財布を出すタイミングもなく、上映会場に進んでいく。雪帆は慌ててあとを追いかける。


「壁の方座っていいよ」


 その意図は雪帆にはわからない。言われるがまま壁側の席に座る。


「これ持って」


 紙コップを渡される。


「なに買ったの?」


「ミルクティー、好きでしょ?」


 周りに花が咲いたような気持が芽生えた。


 雪帆が好きな飲み物を西山くんに言ったのは、初めて一緒に帰ったあの日だけだった。それを今までずっと覚えていたんだろうか。


「ありがとう」


 今まで西山くんに言えなかったことが雪帆の中でくすぶっていたのに、全部きれいになくなったみたいだった。ついさっきまで悩んでいたチケットのこともすっかり忘れていた。


 会場が暗くなり、映画が始まる。


 西山くんがくれたミルクティーを味わいながら映画に夢中になる雪帆。手がだんだん冷たくなり、紙コップを置こうと思った時、西山くんの手が伸びてきた。


 雪帆の手から紙コップを抜き取り、空いた手に自分の手を滑り込ませる。冷えた雪帆の手のひらに西山くんの温もりが広がる。


 さっきまで集中して見ていた映画が、一気にBGMに替わる。


 スクリーンに映る映像が、電車から見る景色みたいに流れていく。


 物語なんかちっとも入ってこない。


 雪帆の頭の中に西山くんしかいない。どきどき心拍数が上がり顔も熱くなる。ちら、と西山くんを見ると、暗い会場の中でもわかるくらい赤い顔をしていた。


 映画が終わり、ぞろぞろと大勢の人が会場を出ていく。その流れに合わせて映画の感想も口にせず、手をつないだまま二人も会場をあとにする。


 映画館を出るとあたりが少し薄暗くなっていた。春なのにまだ肌寒い。薄着をしてきた雪帆は少し後悔していた。


「まだちょっと寒いね」


「もう少しあったかいと思ったんだけど」


 長く歩くのはよくないからどこかに入ろうか。その言葉どおりに、駅と繋がったショッピングモールに入った。テナントが並ぶ通りをゆっくり歩く。今まで前を歩いて背中を見ていた雪帆は、ふと違和感を覚えた。


 ずっと見ていた背中を、飲み物を買うからと離れた時以外見ていない。横を見るとその理由はすぐにわかった。西山くんは雪帆の歩幅にずっと合わせて歩いてくれていた。ぎこちない足どりでゆっくりと進む。その優しさに雪帆は胸を熱くさせる。愛おしい気持ちがこれ以上膨らまないように、視線を動かした。


 一つのテナントの前に足を止める。雑貨屋に並ぶアクセサリーに惹かれた雪帆。ネックレスを手に取り、ゆらゆら揺れる結晶に見惚れる。


「気に入った?」


「うーん、また今度でいいや」


 すっと棚に戻す。


 可愛かったけれど、今買ってしまうと所持金が足りなくなってしまう。縁がなかったんだ、そう思ってその場を離れた。


 モール内をぐるぐる回ってついでに食事を済ませて外に出ると、辺りは暗くなっていた。


「結構暗くなったね」


 たったそれだけの言葉。


 外の情景を口にしただけなのに、雪帆にはもう帰ろうか、そう言っているみたいに聞こえた。


 さっきより冷たくなった風と、抱えた寂しさが雪帆の心を冷たくする。冷えた指先をすり合わせると、それを見た西山くんが雪帆の手を握った。広がる温もりに雪帆は安心するが、その足が駅に向かっていることに気付き、より体が冷えた。


 繋いだ手だけが温かかった。


 進む足が止まることなく、改札を抜けホームにたどり着く。帰りたくないなんて言ったら、西山くんはどう思うんだろうか。


「どうした?」


「ううん」


 なんでもないよ。雪帆は口をつぐんだ。


 泣きそうなのを見られたくなくて顔を下げる。このまま二人でどこかへ行ってしまいたい。そんな気持ちを雪帆は初めて抱いた。


 でも、こんな気持ちになっているのは、きっと雪帆だけ。

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