8 傘と世界
西山くんを目で追い始める雪帆。
休み時間や、グラウンドで授業を受けている時でさえ西山くんを探して、姿を見つければ眺めて観察する。友達と楽しそうに話す笑顔や、授業を受ける真剣な横顔。ふと目が合った時に赤らめて緩む頬。見つかっては意味ないんだけど、手を振ったら振り返してくれるのが可愛い。
考えがまとまらないまま日は過ぎていく。
朝のニュースでやっていた天気予報では今日一日晴れるはずだった。「今日は傘が必要ないみたいですね」とお天気お姉さんが爽やかな笑顔でそう言っていたのに、午後の授業が終わったあたりに雨が降り出し、最初は小雨だった雨も放課後になるにつれて強くなっていった。
傘を持たずに呆然と昇降口で雨空を見上げる雪帆の横を、傘をさした生徒が通り過ぎる。折りたたみ傘を持ち歩いているんだろうか。
なににしても準備がいい。
あてにしていた美波はデートだといって先に帰ってしまうし、折り畳み傘を余分に持っていそうな西山くんは今日一日会っていない。そういえば、課外授業で学校に来ないと言っていた気もする。
一度教室に戻って少しでも小降りになるまで待っていようか、そう考えた時。
「上本さん」
「……西山くん」
視線の先には西山くんと数人の男の子。いつも一緒にいる、なかよしグループだ。
女の子とは違う、好奇心が混じった視線が雪帆に向かって飛んでくる。
「なになに、湊どういう関係? もしかして彼女?」
「ねえねえ、どこの組? 名前なんてゆーの?」
「おい湊、いつの間に色気づいてんのお前。紹介しろよ」
「うっせーばか。お前ら先帰ってろよ」
西山くんが追っ払うように言うと、渋々去っていく友達。鬱陶しそうに手を振りながらも見送り、改めて雪帆と向き合う。
「ごめん、うるさくて」
「ううん、大丈夫。なかよさそうだね」
「騒いでるだけだよ」
照れくさそうに笑った。
「今日、課外授業じゃないの?」
「ああ、外で解散だったんだけど、忘れ物しちゃって取りに来たんだけど」
「?」
「上本さんに会いたかったってのもあるかも」
いたずらっぽく笑った。
いつも西山くんがやってくるように、雪帆も意地悪をしてみたくなる。
「会えなかったから寂しかったな」
雪帆は冗談で言ったつもりだった。
なのに。
真っ赤な顔して固まっている西山くんがそこにいた。
そんな顔をするなんて、雪帆は想像さえしていない。
嘘だよ。そう続けようと準備した言葉が雨に流されるように消え、むずむずとくすぐったいような、温かい気持ちが雪帆の中でじんわり広がる。
「ごめん」
「あ、いや、私こそ」
「……帰んないの?」
「傘、持ってなくって」
西山くんが視線を落として雪帆の手元を見る。
「持って来なかったんだ」
「天気予報じゃ降らないって言ってたから」
「テレビはあてになんないよ」
西山くんが右手に持っていた傘をさす。
そのまま外に出て雨の中に立つと、雪帆の方に振り返って向かい合う。
濃い青の傘が雨をぱつぱつと弾き音を出す。
「デートしよう」
さした傘を雪帆の方に傾けて、送ってくとも帰ろうとも言わずに、デートと言った西山くん。冗談めいた言葉でもなく、真剣な声色だった。
雪帆と西山くんのあいだに雨が壁を作るように流れ落ちる。
柔らかく、誰でも通れる壁。でもそこにちゃんと存在していて、雪帆と西山くんがいる世界を隔てようとしているようだった。
雨が作った壁を雪帆が越えられるように伸ばされる西山くんの手。それがどんなに濡れても、雪帆がその手をとらない限りそこにある。
雪帆はゆっくりと手を伸ばした。
指先が触れ、互いの体温が伝わる。
西山くんが雪帆の手を握り、壁を通り抜けて傘の中へと引き込む。
「行こうか」
うん、と頷く。
満面の笑みの西山くんに雪帆は弱かった。
言いたい言葉が消えていってしまう。
どうせなら空気にとけて全部西山くんに伝わってくれればいいのに、なんて雪帆は思う。
繋がれていた手が解けて歩き出す。
体温が逃げていく。
手のひらに残るわずかな二人の体温を逃がさないように、雪帆は自分の手をきゅっと握った。
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