7 王子と姫④

「体育、楽しかった?」


 迎えに来た西山くん。なんだか日常の一環になってきた。


「うーん」


 西山くんに借りたジャージは着る勇気がなく、そのまま外に出ようとしたら想像以上に寒くて結局着た雪帆。温かさでほっと息をついたとき、サイズが大きいことに気がつく。身長差があると普段から感じるほどではなかったのに、西山くんは雪帆より明らかに大きいということに気がついた。


 動きにくいほどに。


 腕をまくってもまくりきれない。


 女の子が少し大きめの服を着るのはかわいいと思う。でも大きすぎるのは問題があると雪帆は痛感した。


 これは動きにくいを超えて動きたくない。


 結局、体育の時間はほぼほぼ動かなかった雪帆。答えに悩む。


「あはは、ごめん。ほとんど動いてなかったよね」


「え、なんで知って……」


 見てたな、これは。


「植物観察で外に出るから、ちゃんと着てるかなってちょっと見に行ったら、木みたいに動いてなかったから」


 お腹を抱えて笑う西山くん。


 だるだるのジャージでどうすることもできず、ただぼんやり、空と走り回る同級生をグラウンドの端っこで見ていた雪帆。それをまさか見られていたとは。


 恥ずかしさがこみ上げて西山くんを叩く。


「ジャージ、洗って返すね」


「いいよ、だってほとんど動いてないでしょ?」


 笑いをこらえながら答えてきた。


「洗って返します!」


 もう意地だった。


 ごうんごうん、と西山くんのジャージが入った洗濯気が回る。


 物を借りたのならお礼をつけるべきだろうけれどなにがいいんだろう、と動く洗濯機を見つめて考える雪帆。洗濯機を見たって答えが出るわけじゃないんだけど。


簡単に買える物といえばストラップとかタオルだけど、身につける物をあげるのはなんだか気が引ける。


だって彼女でもないんだし。


 ううーん。


 答えが出ない。


 洗面所を出てキッチンに向かい、冷蔵庫から材料を出して、棚から器具と道具を出す。


 お菓子作りを始めた。


 悩んだ時はいつもこうだ。料理やお菓子を作っている時だけはなにも考えずに済む。だから雪帆は考えが煮詰まった時によく作ったりしていた。


 お菓子ってどうかなと、ふと浮かんだ。


 食べちゃえば消えるし。


 いや、手作りをあげるの?


 でも。


 でもでも。


 クッキーが焼けた。


「いい匂いーなに作った?」


 ひょっこり顔を出す母親。まだ冷め切っていないクッキーを一口。


「美味しい! すごーいもうちょっともらっていい?」


「あ……うん」


 翌日、きれいにラッピングされたクッキーを、洗ったジャージと一緒に雪帆は学校に持って来ていた。決して母親の言葉に踊らされたわけではない、と自分に言い聞かす。


 でもいつ渡そう。


 いやいや、ただジャージを返すだけなのになんでこんなに悩んでいるんだろう。ただのお礼だし。


 廊下にバタバタと急いだ足音が響く。どうしたんだろう、そう雪帆が思った瞬間、西山くんが教室に現れた。


「ごめん上本さん、授業変更になってジャージいるんだけどある?」


「あ、あるよ!」


 紙袋を差し出すと、ありがとうと言って受け取った西山くん。


 雪帆があの袋の中にクッキーが入ったままだと気づいた時には、授業が始まるチャイムが鳴ったあとだった。


 取り戻すこともできずに時間が過ぎて放課後。担任に頼まれた提出用のノートを運ぶ雪帆。はあ、と溜息を吐いてどうしようと考え込む。


 このまま帰ってしまおうか。そもそも一緒に帰る約束はしていないんだから、これを片付けてそそくさと帰ってしまえばいいんじゃないか。いいことを思いついたように気分が少し晴れる雪帆、ノートを届けて教室に戻ると、西山くんが待っていた。


 お約束。そんなの期待してなかったけど、なんとなく気まずい気分の雪帆。


「おかえり」


「待ってたんだ……」


 自分勝手な考えを実行しようとしていた雪帆、恥ずかしくて言葉が続かない。


「聞きたいことがあって」


 どきりとする。


「このお菓子、どうしたの? 可愛くラッピングしてあったけど、誰かにあげるやつ?」


 間違えて入っていたと思いこんでいる西山くん。


 好都合だと思った。ばれてないのなら、美波や夏目さんの名前を出して返してもらうことができる。雪帆がさっきまでもんもんと考え込んでいた悩みもスッキリ解決する。でも、そんなことをしてしまっていいんだろうか。


 悩んだ末、口から出たのは言い訳ではなく本心だった。


「いらなかったら、捨てて」


「……俺、嫌なこと言った?」


 首を振る雪帆。


「ごめん」


 いたたまれない。


 荷物を持って帰ろうとする雪帆。それを止めたのは西山くんの腕だった。


「このまま帰らないで、ちゃんと話をさせて。なんでも聞くから」


 いつもより真剣な顔をして雪帆を見つめる西山くん。


 雪帆の腕を掴んだ手も痛くないようにと力を制限している。これは雪帆自身がこじらせたことだ。なのに申し訳なさそうな顔をする西山くん。なにも悪くないのに、なんでそんな顔をしてくれるんだろうか。


 精一杯の優しさを向ける西山くんを、雪帆が振り払えるはずがない。


「彼女でもないのにお返しにクッキー作って渡すなんて、そんなことしちゃっていいのかなって」


「誰かに言われたの?」


「違うの、勝手に自分で思ってるだけで」


「ならいいじゃん、俺は嬉しいよ」


 でも。


「それってなんか恋してるみたいで」


「ねえ、待って今なんて─」


 雪帆は今、自分がなにを言ったのか理解していなかった。


 ふと西山くんの顔を見た雪帆。西山くんの顔は困っているような顔をしていた。


 なんで、そんな。ねえ、もしかしてもう─


「ごめん!」


 雪帆は西山くんの腕を振り払って走り去った。


 ─私のこと好きじゃない?


 なんて言葉が、出てきそうなのを懸命にこらえながら。


 家に帰ってもその悩みに襲われ、考えてもわからないことをぐるぐる一人で悩み続けて、疲れ果てた雪帆。幸いにもその次の日は休日で、美波と夏目さんを呼び出した。


「別に悪いことなにもしてないじゃん」


「私服の雪ちゃん可愛いー」


 全然違う答えが二人から返ってきた。


「……相談乗る気あるの?」


「ないよー」


 楽しそうに笑う夏目さん。そういや私服姿は初めて見る。相変わらず可愛い。


「じゃなんで来たの」


「結局、行動するのは雪ちゃんでしょ? 私らがなにを言っても、決めるのは全部雪ちゃん。だから話は聞くけれどアドバイスは基本しないよ。今のこの状況を変えたいと思うなら、雪ちゃん自身が考えて行動しなきゃ意味ないでしょ?」


 ね? と可愛い顔でにっこり。


 それができたら苦労していないんだけどな。


「どうしたい?」


「え?」


「今の友達以上恋人未満みたいな関係が一番だって思うなら、そう正直に言えばいいよ。それが雪帆の答えだっていうなら、西山も納得してくれるんじゃないの?」


 納得、してくれるんだろうか。


 西山くんは優しいから、きっと「そっか」と悲しく笑ってわかってくれるかもしれない。でも、それじゃなんだか申し訳ないし、そもそも雪帆はそんな顔を見たいと思わない。


「今の関係が楽しいのわかるけどねー」


「そう、楽なんだけどたまに申し訳なくなる」


「待たせてるからな」


「待たせてるもんね」


 おっしゃる通りです、と雪帆は俯く。


「ねえ雪ちゃん。西山くんは雪ちゃんのことが好きなんでしょ?」


「そう、だね?」


 多分。


 まだ?


「雪ちゃんはなにを悩んでいるの?」


 なにを悩んでいる。


 そんなの─。


「雪ちゃんはもう自分の中で答えを出してて、でもそれが不安だからこうしてるんじゃない?」


 答えを出してるのに、雪帆は今悩んでいる。


 それはその答えが不安だから?


 じゃ、なんで不安なんだろう。


 西山くんが受け入れてくれてくれるかどうかわからないから?


「んん……?」


 曇り空が晴れた気がしたが、まだはっきりとした答えは出なかった。


「おはよう」


 そう声をかけたのは雪帆だった。


 驚く西山くん。すぐにおはようと笑って返した。


 普通に話せると安心する雪帆。西山くんがなにか言いたそうな顔をしているのに気づき、とっさに見ないふりをした。


 ずるいな、ちゃんと向き合わなきゃいけないのに。


 わかってはいるけれど、そこに触れてしまったら、きっとあと戻りはできない。考えもまとまってないのに一時の感情で行動なんかしたらもっとひどいことになる。


 雪帆は笑顔を向ける西山くんに、もう少しだけ、あとちょっとだけ待っていて、と心の中でつぶやいた。

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