3 桜と白③

 春休み明けの学校はだいたい始業式と宿題を集めるだけで終わる。


 生徒にとって午後は遊べる日程は特別で、早く帰りたいとみんな思っていた。雪帆も同じく美波と遊ぶ予定。約束は特にしてないけれど、「どこか寄ってく?」と話が始まるから今日もそうだと思っていたんだ。


 出された宿題を教科別に集めて、担任の話を聞くだけのホームルームが終わり、荷物をまとめだした辺りから少し教室がざわつきはじめる。早く終わらないかと思っている生徒が、この後の予定を話し合っているだけだと思っていた。そのざわつきのホントの原因を知ったのは美波と教室を出ようとした時だった。


 廊下に西山くんが立っていた。誰かを待っているかのように。


「さっきぶりですね」


「白々しいなあ」


 呆れたように笑う美波。


「えーそうかな」


 笑ってかわす。


 誰か待ってるの? そう雪帆が聞こうとしたその時。


「一緒に帰っていい?」


 先を越された。


 いや、多分狙った。


 にこにこと優しい笑顔を浮かべ、雪帆を見ている。


 いいかと聞いたわりには、一緒に帰る気でいるような気がした。


「美波がいいなら」


 言った瞬間に雪帆は後悔していた。


 西山くんと帰ることが嫌なわけではない。ただ、どう答えていいのかわからなかったんだ。


 ちゃんと考えないといけないのに、自分に聞かれていることを自分以外の人に丸々投げて、責任を負わせたことに申し訳なささを噛みしめていた。


「私このあとデートだから。帰るなら二人でどうぞ」


「えっ」


 じゃあ、と去っていく美波。


 人が溢れた廊下では見慣れた背中もすぐ見失う。


「……俺と帰るのは嫌ですか?」


 覗きこみながら敬語で聞くのはとてつもなくずるいと雪帆は思った。


 あざとい。これはなかなか破壊力がある。


 多分、わかってやっている。


「嫌じゃ、ないです」


 よかった、と嬉しそうに頬を緩める西山くん。


「行こうか」


 そう言ってゆっくりした歩幅で歩きはじめた。


 ふっと気を緩めた瞬間、雪帆はちくちくと痛い、刺さるような視線を感じた。


 人気者は表裏など関係なく視線を注がれるものだ。


 雪帆だってカッコイイと騒いでいる女の子がいればその視線を追うし、人気者である夏目さんがいれば見る。そういう、見られることに慣れている人はいつものことなんだろうけど、隅っこで目立つこともなく生活していた雪帆にとって、この刺されるような感覚は耐えられないわけで。


 少しずつ西山くんとの距離をあけながら歩く。そうすると前を歩く西山くんの背中がはっきり見えた。


 なんだか別の世界に生きている人みたいだ。


 男の子ってこんなにも体つき違うんだ。


 なにを思って自分を好きになったんだろうと雪帆はふと思った。ぼんやり頭に浮かんだことなのに、考え出したら止まらなくなる。


「なに、考えてるの?」


「え?」


 気がつけば学校の外に出ている。はっとして足元を見るときっちり靴は履き替えていた。


 立ち止まって雪帆を待つ西山くん。


「あ、ごめんなさい」


 視線が自分に向かないよう、少し距離を開けたつもりでも、考えごとをして歩いているといつの間にか雪帆と西山くんのあいだは数メートルほどあいていた。


 歩幅も足の長さも違うんだから当たり前か。


「俺、歩くの早かった?」


「そんなことない、全然大丈夫」


「じゃ、なに?」


 石壁にもたれて雪帆をじっと見る西山くん。特別なことをしているわけではないのに、その目で見られると考えていたことを言わずにはいられない。なぜだかわからないけれど、雪帆は西山くんの目に弱い。


「……なんで、私なのかなって」


 ああ、とこぼして西山くんは考え込んだ。


 上を見上げて瞬きをする。たったそれだけのことなのに、なにか意味があることじゃないのに、雪帆の目が離れないのは、見とれてしまうのは、この人に告白をされたという事実があるからなんだろうか。


 あのさ、と見上げていた視線を雪帆に向ける。


「色々言えることはあるけど、多分それじゃ足りないし、納得もできないと思うから難しいんだけど、好きって気づいたらもう好きなんだよ」


「……そっか」


 西山くんがふわっと笑う。


「上本さんの好きな物ってなに?」


「紅茶が好きかな」


「紅茶?」


「ミルクティーとか、好きなの」


「そうなんだ。じゃあ、その好きな理由とか言える?」


 そう問われて考える。


 理由、好きな理由ってなんだろう。きっと、言おうと思えば沢山言える。でも多分、どれもしっくりくる言葉にならない。


「うーん……」


「ね、ちょっと難しいでしょ。例えだから飲み物だけど、恋愛も一緒だと思うんだ。好きだから好きとしか言えない。それに色々言葉を付け加えることはできるけど、なんか違うものになっちゃう気がするんだ」


「西山くんも、難しいんだ」


「そうだね。結局気持ちだし、全部見せることができれば手っ取り早いんだけど」


 気持ちを見ることができたらどうなっていたんだろう。


 自分に向けられている好意が信じられないわけじゃない。西山くんはいい人で、すごく優しい。今日一日でなにがわかるのかと言われれば、まだなにもわかってないとしか返せないけれど。話をしていると、ゆったりとした雰囲気で包み込まれる。ちゃんと周りに人はいるのに、薄い膜で区切られて、二人きりの世界を作られているような気分になる。


「そんな見られると照れちゃうよ」


「照れるの?」


「そりゃそうだよ。なにか変?」


「だって、落とすとかなんとか笑って言ってたから、余裕なんだろうなって」


「そんなの立て前に決まってるじゃん」


 え、と言葉に詰まる。


「そりゃ好きになってもらいたいけど、俺は自分に自信があるわけじゃないし、絶対好かれるっていう根拠もないから」


「西山くんは、人気者だよ?」


 なにそれ、そう言って笑った。少し呆れたような感じがした。


「クラスの女の子、みんな西山くんを見てたんだよ」


「……俺が人気者なら、上本さんは俺のこと好きになる?」


「それは」


 多分、違うと思う。


 そう続けたかったのに口から出てこなかった。


 雪帆はそういう意味で言ったわけではない。もちろん、皮肉めいた返しを望んでいたわけでもない。ただ事実を伝えたかっただけだった。なのに、どうして上手く伝わらないんだろうか。


「人気者とか言われても俺はわかんないし、好きな人以外興味ないよ」


「……」


「ごめん、変なこと言ったね」


 ごまかすように笑う西山くん。


 話を終わらせようとしているんだと雪帆は思った。このままなにも言わなければ過ぎたことにできる。けれど、それじゃなんだか西山くんに悪い気がした。


「人気者だってこと、私は今朝、美波に言われるまで知らなかったの。だから、西山くんが人気者だってことは正直どうでもいいと思う。人気があってもなくても、人を好きになる気持ちに差ができるわけではないし、それに、人を好きになることに人気なんて関係ないでしょ? 西山くんがさっき言ったように好きなものは好きなんだから」


「……うん、ごめん。俺、ちょっと嫌な言い方したね」


「私が、言うタイミングが悪かったみたいで、ごめんなさい」


「いや、俺が悪いんで、謝んないで。ホントになんて言うか、好きって言ったのを信じてくれてないのかなって思って、意地悪をしました」


「そんな、結局は私のせいで」


 手を目の前に出されて止められる。


「許してくれる?」


「え、あ、はい」


「ありがと、じゃ俺も許します。なのでこれで終わり」


 帰ろう、優しい笑顔で言った。


 漂う雰囲気に酔った雪帆は少し、頬を赤らめた。

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