第20話「魔なるモノ」

 魔物マモノとは──。


 万物に宿るエネルギー、魔力。それがなんらかの理由で変質し、万物に悪影響を及ぼす負のエネルギーと化してしまったものを、【魔瘴ましょう】と呼ぶ。


 山野で時折、どす黒い血の霧の沼のような「魔瘴溜り」が発見される。

 見た目から名前までなにもかも剣呑ヤバそうなそれは、騎士団と教団の共同で迅速な浄化処理が行われる。


 なぜなら、放置するとそこから【魔物マモノ】が発生するからだ。

 無から発生するものか、引き込まれた生物が変容してしまうのか、詳しいことは未だ定かではない。

 その危険さゆえに、研究もままならないからだ。


 魔物の姿や強さは、発生源の魔瘴の量や濃さにより種々様々だ。

 共通しているのは、まるで命を憎むかのように生きとし生けるものを襲い、いたぶりながら魔力を喰らい魔瘴で侵す──その、あまりに邪悪な性質である。


 襲われた場合、肉体的な傷だけでなく魔瘴の侵蝕も早々に浄化しなければ、最悪は死に至る。


 村が襲われているということは、おそらくリーダーとなる強力な個体が存在して、複数の魔物を率いているのだろう。

 いずれは騎士団が駆け付けるはずだが、それまでどれだけの被害が出るかわからない。


 ──などとエリシャ わたし の中の魔物に関する知識を復習する間に、ミオリによる「変装」は完了していた。


「完璧です」


 なぜか、恍惚うっとりとした声と表情かおで彼女は言う。


 もし人前で魔鎧マガイを使うなら、念のため素性は隠した方がいい。

 これは父からの助言でもあった。

 今後どのように状況が転ぶかわからない以上、それは確かだろう。


 ミオリが座席の下から手品のように取り出した、そこそこ大きな姿見かがみをこちらに向けた。

 いかにも貴族然と襟の大きな、紫のビロードのコートに細身のパンツスタイルで、銀髪をショートボブにした凛々しくも中性的な美少年──それが、鏡の中に立つ私だった。


「お、おお……?」


 服はおじい様のお下がりで、ウィッグはミオリが自分で使う用らしい。

 それにしても、ものの二分もかけずここまで別人に変装させられるとは、忍術すごい……。


「今後、そのお姿の際は『エリオット』様とお呼びさせていただきますので、エリシャ様もご自分のことはぜひ『僕』と……」

「ね、ねえミオリ、なんだかわかんないけど、あなたの性癖シュミ的なモノがちょっと入ってたり……しない……?」


 相変わらず恍惚うっとりとした声の彼女に問いただすが、なぜかいつもと違って一切の動揺もなく、ただ目を逸らしながら「いいえまったく」と言い切る彼女。


「それと、私のことですが──」


 言った瞬間に、いつものクラシカルメイド服がするりと足元に落ちる。

 そこに立つ彼女は、体に密着した黒い光沢繊維 タイツ 状の全身スーツの上に、これぞ女忍者くのいちな藍色の忍び装束をまとって、顔も上半分を黒い狐の仮面で覆っている。


「──忍びとしての隠名かくしな、『影狐カゲコ』とお呼びくださいませ」


 囁くように言って、仮面との対比で普段以上に美しく映える桜色の唇と白い下顎おとがいを藤色のマフラーに隠した。


「……かっこよすぎ……」


 忍者系ヒーローとしてあまりに完成度の高いその姿に、とうとう心の声が口から漏れ出してしまう。


「そっ……そそそんなかっこいいだなんて、エリ、えっエリオット様のほうがずっとずっと、かわいさとかっこよさを兼ね備えて遥かな高みに至らんばかりです……!」


 うん、それでこそミオリだ。そう私が内心安心したところで、馬車が止まる。

 村の少し手前にある小さな林の影で、私たちは車外へ降り立った。


 ちなみに御者はいない。馬車を引いてくれているのは、本物そっくりに精巧につくられた、魔法じかけの黒い鉄騎馬てっきば

 王国貴族は大抵、先祖伝来の鉄騎馬を保有していて、移動手段として使っている。


 ダンケルハイト家に代々伝わる彼──ナハトウィンド号はなかでも名鉄騎めいばと銘高く、その黒曜石の瞳に知性が宿っていると思わせられることもしばしばあった。


「ナハト、馬車くるまをよろしくね」


 私の声に「はふん」と鼻息ひとつで答え、悠然と足元の草を食みはじめる。彼らは食事そこから、魔力を補充するのだ。


 ──風に乗って、焼け焦げた匂いが鼻をつく。


「先に行って、。私のことはいいから、なるべく村の人を助けて」

「──御意」


 文字通り影のように一瞬で姿を消した彼女を追って、私も駆け出した。ドレスでないぶん走りやすい。衿沙OLとして、朝の駅までの道を全力疾走したのを思い出す。


 村に近付くと、悲鳴や怒声に交じって人ならざる耳障りな咆哮が聞こえはじめる。


 実は数か月前にも、エリシャ わたし は魔物による襲撃に遭遇している。

 ひとり逃げてきた子供を乗せ、一番近くの騎士屯所まで馬車を飛ばして、襲撃を知らせることしかできなかった。

 あのときの私は、無力だった。


 道の向こうから数人の村人がこちらに駆けてくる。

 子供たちと、少し遅れて小さな子の手を引くエリシャ わたし と同年代の少女。


 ──そして彼らの背後に追いすがる、数体の赤黒い獣の影。


 そうだ。今の私は、もう無力じゃない。

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