第3話

「え?私がお嬢様の侍女をするのですか?」


 その日、ミアは公爵家のお嬢様の侍女として王宮に付き添うように執事に命じられて、目をパチクリさせて驚いた。


「私は行事作法も疎いですし、王宮に出向いて、何か失礼なことをしてしまったら、公爵家に迷惑をかけてしまいます。ですから、他の方に任された方が良いかと思えるのですが?」


「私も、その方が良いと旦那様に進言したのですが、誕生会の主役である王子様のたっての希望ですし、何故か、お嬢様も公爵夫人もミアさんに傍にいてもらいたいとおっしゃっておいでですから、多少のマナー違反をしてしまっても、咎められることはないと思いますよ。だから、頑張って行ってきてもらえますか?」


「はい、わかりました」


 ミアは、そう返事をし、お嬢様のドレスの支度を他のメイドと行った後、メイド服から侍女服へと着替え、公爵一家の乗る馬車の馭者席で馭者のおじさんと一緒に座って、はるばる王宮へとやってきた。


 王宮に着いたのは、王子の誕生会の2時間前のことだった。公爵は王と王子に誕生会前に挨拶をしようと用意された休憩用の部屋を出る際、ミアも連れて歩いていたのだが、娘が突然、ミアに忘れ物をしたから、部屋にそれを取りに行って欲しいと言い出した。


「重いから、つい置いて来ちゃったけれど、あれは、私が大事にしているルビーのネックレスなのよ!だから取りに行ってきて!ちゃんと持ってくるまで、帰ってこないでちょうだいよ!」


 娘は、そう言うとルビーが入っているという紺色のビロードで覆われたアクセサリーケースは、部屋の机の上に置いてあるからと言い添えた。公爵も公爵子息も、貴重品を金庫にも入れずに、机に置きっぱなしにしているという、娘の不用心に眉をしかめた。公爵夫人は彼等の表情を見て、慌てて口を開いた。


「そうね、それがいいわ!じゃ、頼むわよ、ミア。ルビーが高価なものだからって、盗むんじゃないわよ!」


「はい、わかりました。では、旦那様、鍵を借りても宜しいでしょうか?」


「大丈夫かい、ミア?一緒に行こうか?」


「あ、若君、実は……」


「まぁ、お義兄様ったら!そんなメイドを気遣う必要なんてないでしょう!王子様がお待ちになっているのですから、そちらの方が優先すべきですわ!」


「そうですわよ!ささ、参りましょう、旦那様!」


 公爵と公爵子息は夫人と娘に引きずられるようにして、先を急かされ、ミア一人を王宮の廊下に置いて、先に行ってしまった。


「どうしよう。どこの部屋だったのか、聞けなかったわ。確か、おじいさんは道がわからないときは、そこからむやみに動くなと言っていたけれど……」


 ミアはルビーのネックスレスをお嬢様に届けねばならない。ミアは廊下を歩く者がいたら、呼び止めようと考えたが誰も通りかかる気配もないことから、仕方ないと歩き始めて、それから小一時間後、ミアは王宮の中庭で……立派な迷子となっていた。


 王宮というのは、王や王の家族が居住する建物であり、その建物は城と呼ばれる大きな建物であることが殆どだ。王は国の中心となる人物だから、これを守るために城は迷路のように入り組んだ造りとなっていることが通常だし、敵の侵入を防ぐ意味合いで造られた城の中に案内地図なんていうものも存在しないのも当然だった。


 ここを初めて訪れる者は、必ず迷う。


 だから通常ならば、王宮を良く知る者が初心者から目を離さずに傍にいてやることが、最低限の礼儀であり、それが出来ない時は、自分の代わりに城をよく知る誰かを傍に付けておくことが、最小限の思いやりだったのだが、公爵も公爵子息もミアに対する、その配慮をうっかり忘れてしまっていた。


 そして公爵夫人と、その娘に至っては、計画通りに上手くミアを一人っきりで部屋に行かせることが出来たと心の中でほくそ笑んでいたが……彼女達もまた、ミアが王宮初心者だということを、うっかり忘れてしまっていた。


 ……一方、貴族ではないミアは、城の構造の謂われも知らなければ、王宮初心者に対して、あって当然の配慮もされることなく、王宮の中に一人放り出されてしまったという酷い扱いを受けていることにも気付かないまま、一人不安な気持ちを抱えて途方に暮れてしまっていた。


(どうしよう。いくら歩いても部屋にたどり着けない。誰ともすれ違わないから、道を聞くことも出来ないし、とても困ったわ。……もしかしたら、もう挨拶を終えて、旦那様達が部屋に戻っているかもしれない。なのに鍵を持ったままの私が迷子では、旦那様達は部屋に入れないわ。早く誰かに会って、道を聞かなきゃ!)


 考え事をしながら歩いていたミアは、足下を見ずに歩いていたので、「ふぎゃ!?」という声を聞くまで、自分が誰かを踏んでしまったということに気付かなかった。


 ~~~~~


「ご、ごめんなさい!痛かったですよね!あの、私、ここであなたが寝ているなんて気付かなくて、あなたを踏んでしまいました!本当にごめんなさい!あ、あの、足を!私が踏んだ左足を見せて下さい!手当てしなきゃ!ああっ、でも、私、迷子になっていたんでした!お城の医務室がどこにあるのかも、わからないんです!」


 ミアは中庭の芝生の上で寝ていた、一人の青年の左足を踏んでしまい、大いに狼狽えてしまった。ミアは直ぐに謝罪し、即座にムクリと身を起こした彼の隣に跪き、青年が怪我していないかと気遣い、わざと踏んだのではないにしろ、誰かに怪我を負わせてしまったことに罪悪感を感じ、真っ青な表情になっていた。


「……俺なら大丈夫だからさ、落ち着きなよ。わざとじゃないって、わかっているからさ、そんなに気に病まないでよ。……それよりもさ、君こそ大丈夫なの?」


 自分が踏んでしまった相手に逆に気遣うようなことを言われて、ミアは首をかしげた。


「?何がですか?」


 青年はミアが何のことを言われているのか、わからないでいる様子に、目を丸くして、ばつが悪そうに顔を背けた。


「何がって……。だってさ、ここの人は、芝生になんて寝転ばないし、服が汚れるのを嫌うだろう?なのに俺のために芝生に膝なんかついて……。嫌じゃないのか?」


 言葉を濁した青年の様子を見て、ミアは穏やかに微笑んだ。


「都会の方や貴族の方は芝生には寝転ばれないようですが、私は芝生の上でお昼寝するのは好きですよ。故郷にいたころは、よくしていました。今日みたいな、良いお天気の日だと、とても気持ちいいですよね。それに、わざとではないけれど、私があなたに痛い思いをさせてしまったことは事実ですし、一番に、その怪我を確かめることが何よりも大事な事ですので、嫌だとかは全く思いもしません。……ですから正直に怪我をしていないか、おっしゃって下さい」


 青年はミアの穏やかな微笑みを見て、赤面しながらミアの言葉を聞いていたが、ミアの最後の言葉にキョトンと目を丸くさせた後、二カッと白い歯を見せて笑った。


「アハハ、ホントに大丈夫だよ!あの時、君は直ぐに気付いて足をどけてくれたから驚いただけで、全然痛くなかったんだよ」


(っ!なんて、優しく笑う方だろう……)


 トクン。


 ミアは青年の笑顔を見て、未だかつて感じたことのない高鳴る胸の鼓動を感じ、頬を赤らめた。 青年も頬を赤らめたミアを見て、さらに赤面した後に立ち上がり、ミアに右手を差し出して、ミアが立ち上がるのを助けた。


「俺はモリミヤって言うんだけど、君の名前は?どうしてここで、一人で迷子になっているの?」


「私はミアと言います。私は公爵家で働いているのですが……」


 ミアが自分の現状を説明すると、モリミヤと名乗った青年は優しげな微笑みを浮かべていた顔を曇らせた。


「それは可哀想に。こんな広い王宮で道案内も伴わせないとは、あまりにも酷い扱いだね。この国の貴族は、そんなにも無責任で不親切だったなんて知らなかったよ。今後の外交について再考する必要がありそうだな……。よし!これも何かの縁だから、俺がミアを部屋の前まで送ってあげるし、その後も王の謁見室まで連れて行ってあげるよ!」


 ミアはモリミヤの申し出に素直に喜び、礼を言った。


「ありがとうございます!私、すごく嬉しいです!ずっと道もわからなかったですし、一人でお嬢様のアクセサリーを取りに行くのも、それを一人で持って歩くことも怖かったんです。こう言ってはなんですが、『身分問わず悪いことを考える者は、どこにでもいるから、普段から高価な物を持ち歩くな、持つときは信頼がおける者に同伴してもらうように』と祖父から教えられていたので、一人でいることが不安で仕方がなかったんです!私、モリミヤさんに知り合えて本当に良かったです!」


 モリミヤは何の打算も感じない、素直な物言いをするミアの表情に苦笑した。


「そんな……。もしも俺が悪い奴で君を騙していたら、どうするのさ?」


 モリミヤはそう言って、わざと怖い表情を作ってミアに顔を近づけた。するとミアは、モリミヤの右手をそっと両手で包むように握り、こう言った。


「モリミヤさんの手は、私の祖父や村の人達のように節くれていて、マメだらけで……とても働き者の手をされています。こんな手をされている方に悪い人はいない。私は、そう思います」


 ミアの言葉に耳の裏まで真っ赤になったモリミヤは、パッとミアの両手から自分の手を抜きとった。


「ううっ!?君って……」


 と言った後に立ち上がり、ミアの右手を左手で握ってミアを立ち上がらせた。


「さぁ、行くよ」


 モリミヤはそういって手を繋いだまま、ミアを公爵家のために用意された部屋まで案内するために歩きだし……、何歩か歩いた後に立ち止まると、今度はミアの歩く速度に合わせて、ゆっくりと歩き直した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る