約束の婚礼

第25話 幸せの三つの贈り物

 七夕節の婚約公布からしばらくして、泰極と七杏の婚礼の日が決まった。

 一年の内で最も幸が重なる重陽節の儀式と共に婚礼が行われる運びとなった。二人の婚礼の日取りが決まってから、王府では急ぎ準備が進められている。


 七杏が蒼天に戻って間もない頃は、知らない言葉や新しい文化に戸惑い不安ばかりだった。それでも泰極や実の両親、辰斗王と心を通わせ次第に情が深まり睦まじくなっていった。そうして心が解け始めてから、気付けば七杏の心には喜びや楽しさの方が増えていた。ほんの数カ月の間に起きた我が身の危険も誘惑も、泰極と共に越えて来た。今では、温かく信頼できる絆がある。護符だけで結ばれたのではない絆がある。泰極との情絲を、七杏は心より信頼し大事に想っている。この蒼天での深く濃密な時間は瞬く間に過ぎた。




 天高く柔らかな蒼空が広がっている。今日は重陽節、菊花の節句。王府の中庭や広間には、たくさんの菊花が飾られている。そして、王府には婚礼の紅燈も点され幸が重なっている。点された紅と菊花の黄、薄紫に白と王府中が豊かに彩られている。


〈生まれて間もなく授けられたこの紅の護符に守られ導かれ、今日まで生かされて来たのだわ。たくさんの縁に恵まれ今日にたどり着いた。きっとこの世は、見た目の善悪を越えた有り難い事の数珠つなぎで出来ているのね。〉


婚礼の朝、胸の護符に触れ、七杏は一人そんな事を思っていた。


 王府では泰極が、

「父上、真に有り難き事にございます。今日は、皆様の願いが叶う日となりました。私も七杏と娶せて頂き、この上なく幸せでございます。」

と、辰斗王にあいさつしていた。


「泰極よ。私は、今日のこの日を心待ちにしていた。ようやく文世と私の、いや黄陽の者たちを含めた蒼天の願いが叶う。この婚礼に感謝してもし尽くせぬ。」

辰斗王は、感慨深く泰極を見た。


「はい、父上。真に皆様のお陰様にございます。」

「お陰様とな?」


「はい。七杏が育った黄陽では、このような心持ちの時に‘お陰様’と言って手を合わせ、目に見えるもの、目に見えぬもの全てが織り成す‘縁’に感謝するのだそうです。七杏が私に教えてくれた中で、最も私の心に響いた言葉でございます。」


「ほう。お陰様とな。善い言葉じゃ。真にその通りじゃ。この世は縁の絲で繋がれておる。我らはその絲に導かれ、時に手繰り寄せて生きていくのかもしれぬな。私も心に留めておこう。」

辰斗王は、ぐっと天を仰いだ。



 婚礼の時刻となった。喜びの鐘が鳴り、花火が上がった。

 大広間に集まった皆の前に並ぶ泰極と七杏の姿は、晴れ晴れと喜びに溢れ輝き、誰の目にも眩しく見えた。空心も文世も陽平も目を細めている。静月や芙蓮は、涙を滲ませて見つめている。皆がこの時をどれほど待ち望んでいたことか。七杏が無事に成長しこの日に立ち会わせられた事に、親たちは深く安堵し喜んだ。



 婚礼の儀は粛々と進み、泰極と七杏が紅の盃を交わし微笑み合うと、互いの護符が光った。光は次第に強くなり広間全体を明るくする程に広がった。皆は目が眩み手で顔を覆っている。その強烈な光の後に、泰極の護符からは白き光の龍が飛び出し七杏の護符からは紅き光の鳳凰が飛び立った。光の龍と鳳凰は、それぞれに広間を一周すると睦まじく寄り添い扉から大広間の外へ飛び出した。大広間に居た皆も二匹の後を追うように外へ出ると、光の龍と鳳凰は重陽の太陽を受け五色に輝き溶け合うように蒼天の空を舞った。そして紅白の光は徐々に小さくなり鳳凰と龍はそれぞれ七杏と泰極の胸元の紅と螺鈿の護符に吸い込まれていった。皆が見た空を舞う五色の龍と鳳凰の姿は、まるで一つの役目を終えその喜びに溢れたこの婚礼への祝福のようであった。


 この様子を見た者たちは、この上ない幸福感に包まれたまま広間へ戻ると、そこには龍峰山の三神仙の姿があった。


「泰極、七杏。二人ともこちらへ来なさい。」


龍鳳ロンフォンが手招きをして二人を呼び寄せたので、泰極と七杏は静かに三神仙の前に歩み出た。皆は三神仙の突然の来訪に驚きつつ、泰極と七杏の周りを囲むようにして少し離れて立ち事態を見守っている。


「婚礼の儀、おめでとう。我ら三人からの祝いの品を届けに来たのじゃ。受け取って下され。」


龍鳳がそう言うと、凰扇ファンシャンが前に進み出た。


「では、私から。これは〈天運の扇〉と言って、龍峰山の桑の葉とえんじゅの葉で出来た法力の扇です。この葉は決して枯れることなく、いつまでも瑞々しいままの姿であり続けます。一振りすれば天の計らいの風が吹き、その風が目の前の霧や暗雲を払い心の邪気や不安を払うことも出来る。

 この扇を使い、好く開いた清らかな目と心でしっかりと世の中を見るのよ。決して曇った目と心で国の大事を決めてはならない。あなた方の大事を決めてはならないのよ。よいですね。あなた方の目は、国の民を守り導く目でもある事を忘れぬよう。」

と言い、天運の扇を泰極に渡した。


「はい。心得ましてございます。」

泰極はしっかりと扇を受け取った。


「さぁ、一振りしてごらんなさい。ここにいる皆の災いが祓われるわ。」


と凰扇が手で扇ぐ仕草をしてみせたので、泰極が一振りすると大広間中に天運の扇の風が渡り空気が一変した。辺りは清らかな気が満ちた。そこにいる皆の顔が、一層晴れやかに輝いた。


「まぁ、素晴らしい。これで皆の憂いも祓われましたね。凰扇様、ありがとうございます。」

七杏が礼を述べた。



 「さぁ、次はワシの番じゃぞ。」

蛇鼠シォシュウが前に進み出た。


「ワシからは〈希望の灯火〉じゃ。この蠟燭は、幾度点しても決して尽きることのない不尽の法灯じゃ。将来、蒼天を担う君らが暗闇に飲み込まれ希望を失えば、この蒼天の民も希望を失い暗闇に飲まれてしまう。君らが希望や真心をしっかりと持って生きる事が大事じゃ。君ら二人が点すその灯火を頼りに、蒼天の民は生きるのだからな。

 もし、君ら二人の灯火が消えてしまいそうになった時は、この蠟燭の前でじっと座り炎を見つめよ。さすれば見失った希望や真心をもう一度、見つけることが出来る。よいな。」


蛇鼠は、希望の灯火を七杏に手渡した。


「ありがとうございます。心に灯火を絶やさぬよう、泰様と共に互いに照らし合いながら歩んで参ります。」

希望の灯火を胸に抱き七杏が答えると、


「さぁ、二人とも火を点してみよ。そして、炎の前へ。」


蛇鼠は二人に種火を渡した。泰極と七杏が手を携えて蠟燭に火を点すと、暖かな黄金色の炎が灯った。その炎の周りには、青星川の光景が浮かび上がっている。


 それは、七夕節の夜に紙舟を流し愛を誓う泰極と七杏の情景だった。泰極と七杏は、二人の秘密を皆に見られてしまい照れ臭かったが、あの日の情景に二人の誓いを思い起こし真心と希望を胸に点した。


「これより後、七杏と手を携え互いの心を灯火で温め合い、感謝と愛と謙虚な心を胸に歩んで参ります。」

泰極は皆の前で宣言するように蛇鼠に約束し、七杏と大きく頷き合った。


「うん。うん。それでよい。ワシは交換が好きじゃから、今の泰極の言葉をもって希望の灯火と交換じゃ。うん。うん。それがよい。」

蛇鼠は、微笑みながら嬉しそうに後ろに下がって行った。



 今度は龍鳳が前に出てきた。


「さてさて、やっと私の番が来たかな? 私からは〈誓いの泉〉じゃ。

 これは龍峰山の湧水、青星川の源泉じゃな。その水を湛えた鉢じゃ。ほれ、こうして真ん中からふつふつと水が噴き出しておるじゃろ。この水は決して涸れる事無く淀む事もなく清らかなまま湧き続ける。この泉の前で誓った事は必ず叶う。

 ただし、誓った言葉は水球となりて未来を見せ弾けて消える。その弾けた水滴は、瞬時に空気、草木、土や水に浸み込み言葉を覚え信じ記憶する。そして、誓いの言葉を記憶した物たちは、誓いを叶える事に尽力する。ほれ、試しに何か誓ってみよ。」


そう龍鳳に言われた泰極は、七杏と顔を見合わせ


「七夕節に二人で話した事を、この泉に誓ってもよいか?」

と聞くと、七杏は、

「えぇ、もちろん。」

と微笑み返した。ならばと二人で泉の前に進み出ると、


「私、泰極と。」

「私、七杏は。」


「互いの心を灯火で照らし合い温め合い暗闇の怖さも分かち合い、心よりの愛の言葉を贈り合い歩んで参ります。ここにおられる皆様のお陰様で、今日の善き日を迎えられた事を胸に抱き、蒼天の民として平穏で豊かな国で生涯を過ごせるようにする事を誓います。」

「誓います。」

二人は力強く高らかに誓った。



 すると、誓いの泉の水が浮き上がり一つの水球となった。

 その水球の中に、蒼天の瑞々しい草木、蒼く豊かな山河、泰極や七杏、民の笑顔、たくさんの果実や穀物、織物などが映し出された。そして次の瞬間、水球は弾け消えてなくなった。鉢の中にはまた新しい水が湧き、それまでと変わらずにふつふつと湧き出している。


 皆が呆気に取られていると龍鳳が、

「では、ちょっと・・・」

と言って、卓の上の盃を揺らした。


 すると、

「私、泰極と。私、七杏は、互いの心を灯火で照らし合い・・・」

と盃の中の酒が、先程の二人の誓いを繰り返し始めた。その声は、皆にも聞えるほど確かではっきりとしていた。更に龍鳳は、近くにあった重陽節のために飾られた菊花に触れた。


「暗闇の怖さも分かち合い、心よりの愛の言葉を贈り合い・・・」

と、菊花も先程の二人の誓いを繰り返した。それを聞いて皆がざわめいた。



「泰極、七杏よ。発した言葉はもう元には戻らぬ。瞬時にこの世に溶け込んでしまうのだ。そして浸み渡り皆が記憶する。よく覚えておくがよい。王ともなれば更に、その言葉の力は強い。この泉に誓ったものでなくてもだ。のう、辰斗王よ。」


「はっ。龍鳳様。仰る通りにございます。辰斗、しかと改めて胸に刻みます。」

辰斗王が深々と頭を下げた。それに習い泰極と七杏も頭を下げ、

「泰極、七杏、共に深く胸に刻みます。ありがとうございます。」

と答えた。


「うむ。決して、民を惑わすでないぞ。己を惑わすでないぞ。発する言葉を大事にするのじゃぞ。」

龍鳳は、泰極と七杏に向き直して言った。


「あぁ、それから辰斗王よ。そなたに渡したい物があったのじゃ。これを探していたのじゃろ?」


 

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