七夕節の誓い
第23話 許婚の約束
端午節の騒動もすっかり落ち着き、王府にも穏やかな日常が戻って来ていた。夏の日差しが降り注ぎ、蒼天が誇る蒼き川が眩しく輝く頃となった。
泰極の誕生日でもある七夕節のこの日、広間に呼ばれた泰極、七杏、空心が辰斗王の話をじっと聞いている。辰斗王と文世が秘かに決めた互いの子らの婚姻。秘密の許婚となった二人に生まれた十七年の空白。その時間の話を聞いていた。
そこには泰極と七杏の護符に隠された真実と、龍峰山の神仙との繋がり。二人の父親たちの想い。黄陽へ行き七杏の育ての親となってくれた空心、静月、陽平の決意があった。
ゆっくりと時間を遡り一つ一つ思い出すようにして言葉を紡ぐ辰斗王の姿は、とても穏やかだった。途中で話を補う空心が、初めて見せる心情もあった。それは、この十七年の月日で深めた辰斗王との信頼。桜・・・ 七杏への責任と親心。今この時に、七杏と泰極が初めて知る事もたくさんあった。語られた辰斗王と空心の言葉の中には、たくさんの人々の愛が満ちていた。
「泰極、七杏よ。私と空心様からは全て話した。今の素直な気持ちを聞かせてはくれないか?」
辰斗王が全てを語り終え、泰極と七杏に問う。
「父上、空心様。そして皆様のお心を今やっと知り、私には感謝しかございません。そして何より、許婚が七杏であった事を幸せに想っております。」
泰極が先に口を開いた。辰斗王は、黙って大きく頷いた。
「私は、蒼天に来てからのこの半年、とても楽しく過ごして参りました。中には危険な事もありましたが、多くは穏やかな日々でした。育った国を離れ、遠い異国にいるとは思えぬ程に楽しい日々でした。たくさんの言葉も覚えました。
泰様とお会いした上巳節の日からは、毎日のようにお会いできるのが何より嬉しかったのです。そして、泰様と様々な体験をしながら互いの心を明かして参りました。今は泰様をとても信頼し尊敬しております。
ですから今日、七夕節と泰様のお誕生日を共に祝うことができ嬉しく思っております。私はこの蒼天で、これからも泰様のお側に居とうございます。どうか父文世とのお約束通り、私を泰様に添わせてください。」
「そうか、そうか。ありがとう七杏。」
辰斗王は嬉しそうに言った。
「父上。私も七杏と生涯を共にし、蒼天を担って参りたいと思います。」
「泰極、よく言った。ならば文世との約束通り二人の婚姻を進めよう。泰極、七杏、二人の護符を合わせてみなさい。」
そう辰斗王に云われて二人が互いの護符を合わせてみると、護符は寸分の隙も無くぴたりと合わさり紅白の光霧が放たれ泰極と七杏を包み込んだ。その光景に辰斗王と空心は、これまでにない安堵を感じた。
「あぁ、善き日じゃ。善き日じゃ。今宵は七夕の宴。星まつりじゃ。これも織姫と彦星のお導き。あぁ、龍峰山の神仙様よ。感謝致します。無事、二人を娶すことが出来ます。あぁ、紅真導符よ。感謝致します。」
辰斗王は、龍峰山に向かって深々と頭を下げた。
こうして初めて辰斗王と空心から、泰極と七杏の空白の十七年の出来事がすべて明かされた。そして、泰極と七杏はより結びつきを強めた。
広間を出た泰極と七杏は、二人で中庭を歩いた。中庭ではすでに、今夜の七夕節の準備が進んでいる。忙しく働く侍従の波を抜け二人は東屋へ向かう。端午節の毒矢の一件があった場所だが、蒼天国を模った中庭全体を眺められる東屋は、二人にとって落ち着いて話せる場所だった。
広間で明かされた真実によって、七杏は知った。空心や静月、陽平に守られ黄陽で過ごして来た自分が無事に蒼天に戻り、やっとこれから皆の願いが叶う善き日を迎えられるのだと。この長い年月にどれ程の人々が関わりどれ程の愛が注がれお陰様があったことか・・・ 七杏は胸が熱くなった。
そして泰極も、実の両親と離れ異国で病の治療をしたくさんの経験を重ねた七杏と再び巡り逢えたこと。そして、この蒼天で共にたくさんの人々の心を見て危機を越えてきた事を有り難く感じ入っていた。二人は黙ったままそれぞれに、胸に浮かぶ想いに感じ入りながら歩いていた。
東屋まで来ると、互いに感じている今の想いを言葉にして伝え合った。
「泰様。今私は、とても有り難い感謝の気持ちが胸に広がっています。この有り難い気持ちが、前にお話した‘お陰様’です。」
そう七杏が言うと、
「あぁ、今はとてもよく分かるよ。私の胸にも広がっている。これがお陰様なのだね。黄陽のお陰様は、とても素敵だと思う。私はこの教えが好きだよ。杏。」
「えぇ、泰様。私も好きです。空心様が大事にしているお陰様を、ずっと心に持っていたいと思います。」
「あぁ、私もそうしたいと思う。蒼天は青き空と蒼き水の国。北に霊峰龍峰山が守りとなり南に籐湖があり、その先には大海が広がっている。黄陽は豊かな土と太陽の恵みの国。土の奥深くには陽の泉を持ち、天の恵みを得た植物の穏やかな知恵がある。その知恵は今後、蒼天をより豊かに健やかにしてくれるに違いない。
杏、君は私より広い世界を知っている。病の治療の為に、許婚の身を守る為に黄陽へ渡った君は、苦難もたくさんあっただろう。病を得た事は不運だったかもしれない。だがそれ故に、見聞きした物や触れた物は多い。私の知らない景色を、君はたくさん知っている。
空心様の下で育ち仏の心も学んだ事だろう。そんな君の心が、私は大好きだ。それに君は、その心のままに人々の目を奪う程に美しい。父上たちの約束の許婚だからではなく、私は今、心から君を想いずっと側に居て欲しいと願っている。もし、これから先、私の心を暗闇が覆い恐怖に包まれる事があったなら、君の灯火を分けて欲しいと願っている。そして、私が君の目の前を明るくする灯火でありたいと願っている。」
泰極が心に在る切なる想いを告げた。
「泰様。私たちには、異なる文化の時間が長くありました。ですが、その時間もずっと、この紅真導符で繋がっていました。そして再びお会いしてからの日々は、とても楽しくて毎日胸が温かくなることばかり。泰様が私の灯火でした。蒼天に戻り泰様の側に居られて、七杏はとても嬉しく思っております。この日々が、これからも永く続くことを願っています。」
と、七杏も胸の内を明かし二人は互いの想いを受け取った。
「そうだ、泰様。黄陽では七夕節に竹葉を模った紙舟を川に流す習いがあるのです。清らかな流れを天の川に見立てて。紙舟には愛を誓う二人の名を書いて流すのですよ。天の川を渡って逢う織姫と彦星のように、これから二人がどんな困難に出逢っても必ず川を渡って心を通わせられるようにと、願いを込めて紙舟を流すのよ。」
「ほう。黄陽にはそんな習いがあるのか。」
「えぇ。私もいつか大好きな人ができて、その方と心が通い合い愛を誓えたなら紙舟をと憧れていたのです。」
「そうか。そうだったのか。では、まだやってみた事は無いのだな。」
「えぇ、まだ一度も。」
「それは善かった。ひと安心だ。先に誰かと誓っていたら嫉妬してしまうところだった。」
泰極は、ちょっと拗ねたようにおどけてみせた。
「あら、泰様の嫉妬なら見てみたかったわ。」
二人は笑いあった。
「ならば泰様。これから二人で紙舟を作りましょう。」
「よし、そうしよう。」
二人は泰極の部屋で紙舟を作り始めた。
手の平ほどの竹葉を模った紙に、七杏は朱の杏子を七つ描き、そこに墨で‘七杏’と名を入れ泰極も隣に寄り添うように‘泰極’と入れた。出来上がった紙舟を大切に紙に包むと泰極が胸元へしまった。
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