第19話 剣成の追襲

 湖蘭は七杏を見舞った翌日、秘かに剣成の屋敷を訪ね昨日見て来た全てを報告した。


「そうか。すでに虫の息で横になっているのだな。ならば、泰様が公務で離れる時を見計らって、ワシがとどめを刺しに行こう。」


剣成は再び、矢と同じ毒を用意した。全身に回った毒が体を蝕んだように見せかけて、七杏の息の根を止める策に出ようというのだ。



 端午節からすでに七日が経ち、七杏はもう助からないという噂が流れ始めた。これを好機と剣成は策を決行するべく、見舞いと偽って辰斗王の屋敷に現れた。


「七杏様を見舞いたいので、通して頂きたい。」


扉の前で剣成が頼むと、すかさず文世の部下が遮って

「剣成将軍、申し訳ございません。世子様と辰斗王より誰も通すなと云われております。お引き取りください。」

と立ちはだかった。


「少し見舞うだけだ。世子様と辰斗王には、私が後で話しておく。通せ。」

剣成は力尽くでも通ろうとする勢いだ。


 警備の者と剣成が揉めている間に、公務で離れている泰極にも知らせが走っていた。知らせを受けた泰極は、急いで七杏の部屋へ向かい裏扉の奥で待機した。


 剣成はついに警備を振り切って、七杏の眠る部屋へ入って来た。部屋の外で揉めている声は七杏にも聞こえていたので、意識の戻らないふりをして既に静かに横になっている。永果も布団の中に隠れて様子をうかがっている。


「確かに。意識はないようだが・・・ この毒でさっさと済ませて立ち去ろう。」


小瓶を取り出した剣成は、七杏に近寄り顔を覗き込んだ。


 するとその瞬間、布団の中から永果が剣成に飛びかかった。驚いた剣成は後ろに倒れ、小瓶は床に転がった。


「剣成! そこまでだ!」


泰極が飛び込んで来た。


「はっ! 泰様! なぜここに? 今は公務のお時間のはず・・・」

「剣成将軍こそ、ここで何をしている? ここは誰も入れぬはず。七杏に何をしようとした!」

「私はただ、七杏様のお見舞いに参っただけ。お顔を覗き込もうとしたら突然、このリスが飛びかかって来たのでございます。」

「ほう、見舞いか。今はこの部屋に誰も入れぬはずなのだがな。なぜここに居る? それにこの小瓶は何だ? 中味を調べれば、困るのは剣成将軍ではないのか?」

「いやいや・・・ 何を仰っているのか・・・ この小瓶など知らぬ。」

「誰か! 医者を呼び小瓶の中味を調べさせよ。剣成将軍を捕らえ、部屋から出すな!」


剣成は警備に当たっていた文世の部下に捕らえられた。



 音が止まったところで、それまで驚きと怖さで動けずにいた七杏が、やっと起き上がった。


「はっ! 七杏。目覚めておったのか!」

「泰様。私は確かに聞きました。剣成様が、〈この毒でさっさと済ませて立ち去ろう〉そう仰ったのを。」

七杏が震える声で言った。


「杏、よく耐えた。さぞ怖かったであろう。剣成将軍、杏は確かに聞いていたのですぞ!」

「泰様は、この娘の言葉を信じるのですか? 私は長らく辰斗王にお仕えしてきた将軍ですぞ。突然、黄陽から戻ったばかりの娘の言葉の方を信じるのですか?」


そこへ医者が到着し小瓶の中味を調べると、毒である事は明白で矢に塗られた物と同じ匂いがすると言った。


「剣成将軍、中味は毒であったぞ。申し開きがあるなら地下牢で聞こう。連れて行け。」

剣成は警備の者に抱えられ地下牢へと連れて行かれた。



「杏、大丈夫か? 怖い想いをさせてすまない。毒矢は恐らく剣成将軍の仕業だ。湖蘭とは伯父と姪。二人で結託してやった事だろう。すまない。」

「泰様、私はこの通り大丈夫です。危ういところを永果と泰様に助けられました。」

「永果、お手柄だったぞ。よくやった。君は勇敢なリスだ。」

「さぁ、おいで永果。今日は特別に五粒あげましょう。」


七杏が杏子の仁を五粒見せると、永果は急いで走って来た。両手で杏仁を受け取ると飛び上がって喜び、七杏の膝の上に乗り夢中になって食べた。




 泰極はすぐに辰斗王に報告し、二人は地下牢へ向かった。


「剣成将軍! どういう事だ。七杏を殺めようとするなど許せん。」

辰斗王が地下牢で声を荒げた。


「剣成将軍、少しは頭が冷えたか? 言いたいことがあれば申してみよ。」

泰極は穏やかに言った。


「もはや、申し上げる事もございません。ただ、まだ見ぬ利権に目が眩んだのでございます。すべては私一人でやったこと。罪は私一人にございます。いかなる処分も受ける心積もりでございます。」


「分かった。では追って申し渡す。それまでここで過ごすがよい。」

辰斗王はそう言い渡して、泰極と共に地下牢を出て行った。





 それから数日後、一通の誓文証を持って辰斗王が地下牢へやって来た。


「剣成よ、その誓文証に署名をして南方へ発て。その先は関与しない。それだけだ。」

 

 〈誓文証〉

  私はかねてより願い出ていた隠遁の許諾が得られた為、南方の海辺にある閑善寺

 で清閑な暮らしを致します。今後は玄京の都に立ち入ることはありません。残さ 

 れた家事については、妻と子らに全てを任せ一切関与いたしません。




 剣成は、言葉もなく黙って署名すると三日後には南方へ出発して行った。その後、湖蘭は南方の豪商へ嫁ぐことが決まった。黄陽とも交易のある豪商で、湖蘭は蒼天国からの特使として豪商と黄陽との交易交流に出向くことになった。表向き豪商にとっても王府のお墨付きを得ての交易ができる有益で華々しい婚姻であるが、真の意図は別にあった。辰斗王の王府のある玄京の都から最も遠い都の朱池ヂュチへ、湖蘭を遠ざけるという裏事情があったのだ。


 毒矢に対しては様々な暗殺の噂が流れたが、辰斗王はすべてを飲み込み、


 〈新しい警護装置が誤って作動し、矢が放たれてしまった。今後の事故を避けるため装置は撤去した。〉


と触れを出した。これを持って端午節の一件は一応の終息となり、誰もが口をつぐんだ。




 全てが終わり自由に外へ出られるようになった七杏は、泰極と庭を散歩していた。


「そうだ杏、近いうちに温泉に行こう。」

「えっ? 蒼天にも温泉があるのですか?」


「あぁ、あるのだ。黄陽にはたくさんあるのだろう? 蒼天にもつい最近、温泉が出たのだよ。そう・・・ 杏、君たちが黄陽から蒼天に着く三日程前だったろうか・・・ 

 とても好い天気の日でね。蒼い空に突然、五色に輝く龍と鳳凰が現れて、大きく円を描いたのだ。その姿はとても美しく、日に照らされて眩いものだった。その・・・」


「あっ! その龍と鳳凰を私たちも見たわ! 船の上で。海に大きな渦が現れて、船が進めず大きく迂回しようと方向を変え始めた時に現れたの。龍は蒼天の方角から来て海に航路を作り、鳳凰は黄陽の方角から来て風を起こし船を航路へ乗せ、二神は天へ舞い上がり蒼天の方へ飛んで行ったのです。まるで五色の二反の織物が棚引いているようでした。」


「ほう。そんな事が船であったのか・・・ まさしく、まさしくその龍と鳳凰が蒼天の空に現れて舞った後、溶け合うように地へ下りて行ったんだ。すると、その下の辺りから火柱とも水柱ともつかぬ柱が上がって温泉が出たのだ。」

「まぁ、そんな事が。不思議ね。」


「皆は瑞兆だと喜んだ。その後、父上の命で源泉を整備し湯を三つに分けたのだ。私がその指揮を執ったのだぞ。

 一番龍峰山に近い湯を王府専用の龍鳳ロンフォン。より村に近い下の二つの湯を民のものとし、凰扇ファンシャン蛇鼠シォシュと龍峰山の三神仙から名付けたのだ。時々、神仙様方も入りに来るらしいと噂になっている。」

「んふふ。面白い。神仙様方も実は温泉が好きなのね。」

「あぁ、そのようだ。杏、君の傷を癒すためにもゆっくり湯に行こう。」

「えぇ、ぜひ。」

「そうだ。空心様や静月、陽平も懐かしかろう。誘って皆で一緒に行こう。」


泰極がそう言うと、永果が怒ったように二人の間に分け入って来た。


「あぁ、もちろん。お前も一緒に行こう。重要な役目を担って龍峰山より参ってくれたのだからな。此度は大活躍だったぞ。」

永果は大きく頷き満足そうにしている。


「えぇ、永果も一緒に行きましょう。あなたはいつも私たちと一緒よ。安心して。」

「それと・・・ 杏、知っているか? 龍は皇帝の化身、鳳凰は皇后の化身だと。だから・・・ あの日、蒼天の龍が皇后を迎えに行ったのかもしれぬ。そして黄陽からは鳳凰が、皇帝に逢うために皇后を運んだのかもしれぬ。だからあの日、皆が瑞兆だと喜んだのやも・・・」

泰極は、顔を紅らめながらも確信を持ったように言った。


「泰様。黄陽でも龍は皇帝を、鳳凰は皇后を象徴します。あの日、空心様も瑞兆だと話しておられました。静月と陽平は涙ぐんでいました。船の上ではまだ何のことか分かりませんでしたが、今は少し分かったように思います。」


七杏は少し恥ずかしそうにしていたが、何かを悟ったように泰極を見つめた。

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