第18話 偽りの病床

 七杏が目を覚ましたと知らせを受けた、文世と辰斗王が駆けつけて来た。


「七杏、大丈夫か? 気分はどうだ?」


文世が起き上がろうとする七杏に手を貸すと、

「はい。父上、もう大丈夫です。ご心配をおかけしました。」

七杏は明るく答えた。


「無理して起き上がらずともよいぞ。大けがを負ったのじゃ。まだしばらくは寝ておるのがよい。それにしても、目覚めたならひとまず安心じゃ。」

辰斗王も安堵の笑みを浮かべた。


「辰斗王、ありがとうございます。まだ少し傷が痛みますので、しばらく安静にさせて頂きます。」

「あぁ、それが善い。まだここに留まり我々の警備の下、ゆっくりと休むが善い。」

そう言うと辰斗王は、皆を連れ部屋を出て行った。


「永果、杏を頼んだぞ。」

泰極が戸口で言うと、永果は誇らしげに胸を張りポンと片手で叩いて見せた。

「まぁ、可愛い護衛さんだこと。永果っていうのね。よろしく。」

七杏が頭を撫でながら言うと、もう一つポンと胸を叩いて見せた。



 部屋を出た辰斗王、文世、泰極、空心は別室で話し合っていた。そして四人は決めた。まだしばらくは、七杏が意識不明のままである事にして、辰斗王の屋敷で医者に診せると。そうして、相手の出方を見て捕らえる策に出ようと決めた。


「泰よ、よいか。七杏にもよく言っておくのだ。まだしばらくは、部屋から出てはいけないと。」

「はい、父上。そのように伝えます。出来ればその間、看病という事で私が付き添ってもよろしいでしょうか? あの部屋に永果と籠りきりでは杏も退屈でしょうし。」

「あぁ、それが善かろう。七杏も安心するであろう。だが、最低限の公務は行ってくれ。彼らにも隙をやらないとな。」

「分かりました。父上、そのように致します。しかし、私が離れている間はどのように?」


「泰様、辰斗王。七杏の部屋の警備の者を、私の部下の中で腕の立つ信頼できる者に交替でさせ様子を細かく報告させましょう。それでいかがですか?」

「うん。文世が信頼できる者たちなら安心だ。空心様はいかが思われますか?」

「辰斗王と文世様にお任せ致します。それが一番、七杏のためになるでしょう。」

「では、そのように。泰極は部屋に戻り七杏に今の話を伝えなさい。」


辰斗王の言葉を後に、皆が役目に着いた。


 泰極は七杏の居る部屋に戻ると、今の話を急ぎ伝えた。

「そうですか・・・ 分かりました。父上たちの仰る通りに致します。ですが・・・ 私一人の時に何かあったらと思うと恐ろしくてなりません。」

「大丈夫。永果も、いざというときには守ってくれよう。彼は龍峰山の法力のリスなのだから・・・ね。」

泰極は永果に目配せした。


「まぁ、そうだったの? それは心強いわ。」

永果はまた、七杏に向かって胸をポンと一つ叩いて見せた。

「必ず犯人を捕らえる。約束するよ。」


泰極は、七杏の手をしっかりと握った。



「泰様。私、毒矢で射られて眠っている間に夢を見ていたの。黄陽での子供の頃の夢を。

 幼い頃はあの薬を飲むのを嫌がって、空心様や月や平を困らせたの。何で私だけずっと薬を飲むの? 私のお父さんとお母さんは何でいないの? どこにいるの? って。

 いろんな事が嫌になって悲しくなってお寺の中を逃げ回ったわ。夜の本堂に一人で入った時には、ものすごく怖かった。真っ暗で静かで広くて冷たくて。中に入ったはよいけど、怖くて動けなくなってその場にうずくまった。


 しばらくしたら、空心様が探しに来てくれたわ。手に小さな灯りを持ってね。その灯りを見た時、すごく安心したの。すごく小さな炎なのにとても大きく温かく感じたわ。その灯りが、一瞬で私の心を解いたの。それまでは、怒ってて悔しくて寂しくて涙がこぼれてたけど、その灯りを見た時は嬉しくて安心して涙が出た。そんな私を見て、空心様が言ったの。


〈桜、見てごらん。この灯りはこんなに小さい炎だけど、とても明るく温かいだろう。暗闇は皆が怖い。だけど目の前が明るければ前へ進むことが出来る。皆、心が温かくなる。

 この小さな灯りを誰かが点してくれて、その灯りが一つ、二つと増えたら世の中がどれほど明るくなるだろうか? 桜、想像してごらん。桜が灯りを点したら、桜の周りは明るくなる。その灯りは、誰かを照らし心を温めるかもしれないよ。〉って。


 その時、私は空心様みたいに灯りを点せる人になりたいなぁ。暗闇でうずくまっている人に、自分の灯りを分けられる人になりたいなぁ。って思ったの。」



「杏、君は今でも十分、私の心を明るくしてくれる人だ。私にとって君は、灯火を分けてくれる人なんだよ。私はその明るく温かい灯火を失いたくない。目覚めてくれて善かった。本当に。本当に。」


泰極は、七杏をしっかり抱きしめた。


 その日から七杏は、辰斗王の屋敷の部屋に籠り一人の時は静かに横になり、まだ目覚めぬふりをした。




 

 端午節から三日後、七杏が意識不明のまま辰斗王の屋敷に居ることが剣成と湖蘭の耳にも入った。二人はてっきり死んだと思っていた七杏が、まだ生きている事に驚いた。慌てた湖蘭は剣成の屋敷にやって来た。


「伯父様、どうしましょう。七杏は未だ目覚めぬとはいえ生きているようです。」

「あぁ、てっきりあの時の毒矢で命はないものと思っていたが、まだ息があるとは・・・ あの日、七杏はお前の菓子をたべたのか?」

「いいえ、伯父様。菓子を渡したものの他の菓子を食べ過ぎたからと、食べずに持ち帰りました。泰様と、その場に居合わせた泳元様は食べたけど。その後すぐ、あの毒矢で射られたので菓子は食べていないはずだわ。」

「ならば、お前の菓子に毒が盛られていたことは誰も知るまい。毒入りは七杏の分だけなのだからな。残りの菓子は処分したのか?」

「えぇ、あの後持ち帰りすぐに裏庭に埋めました。」


「ならばよい。お前は七杏の見舞いに行き様子を確かめて来い。その後、本当に息があるならば私がとどめを刺しに行く。」

「分かりましたわ、伯父様。明日、お見舞いに行って参ります。」


 端午節から四日経った昼過ぎ、七杏の元に湖蘭が見舞いにやって来た。


知らせを受けた泰極は、

「大丈夫。見舞いに来たという事は、菓子の毒については知られていないと思っているのだろう。私もここにいて立ち会おう。決して湖蘭と二人きりにはしない。」

と約束し七杏を安心させた。


「はい。分かりました。永果、隠れて。」

七杏は横になり、まだ意識が戻らぬふりをした。



「これは泰様。もしや、あれからずっと看病を? 七杏様のご様子はいかがです? まだ目を覚まさぬと伺ったので心配で、お見舞いに参りましたの。」

湖蘭はとても心配した様子で言った。


「湖蘭、心遣いに感謝するよ。公務で離れる時以外はずっと看病しているのだが、七杏は未だ目覚める気配がなく、ただ傷の手当てをするばかりだ。矢に毒が塗られていたようで、その毒が全身に回っているらしくこの通り虫の息なのだ・・・」

「なんて不運なのでしょう。泰様、気を落とさぬよう。私に出来る事があれば何でも仰ってくださいね。」


「あぁ、何かあれば頼むとしよう。ただ近頃は様々に噂が飛び交い、矢で狙われたのは本当は世子だったのでは? と云う者もおるとか。もしそれが本当なら、杏は私の身代わりになったことに・・・ 申し訳なくて・・・」


「泰様、世子である泰様を狙うなんて、そんな恐れ多い者はおりませぬ。ましてや、法力で守られた姿を見た者も多いのです。狙いは七杏様であったと思います。

 突然、黄陽国から戻られいつも泰様のお側に居て、好く思わぬ者がいたのでしょう。」


湖蘭がそう話したのを聞いて、泰極は菓子の毒について合点がいった。


「そうなのだろうか・・・ ともあれ今はこんな様子だ。ただ祈ることしか出来ぬ。悪いが帰ってくれぬか。」

「えぇ、泰様の気を余計に遣わせてしまっては申し訳ないもの。これで帰ります。どうか、お気を落とさぬよう。」


湖蘭が部屋を出て行くと、泰極は、


「杏、もういいぞ。目を開けて。」

と声をかけた。



 しかし、七杏は目を開けず横になったまま動かない。驚いた泰極は、七杏の肩を揺すった。


「杏! 杏! もう目を開けて!」


「泰様、素晴らしいお芝居でしたわ。」

「驚いたぞ、杏。また意識を失ってしまったのかと恐ろしくなった。」

「申し訳ありません。ちょっと悪戯が過ぎました。」

「本当だ。こういう悪戯はよせ。よいか、二度としないこと。」

「はい。」


その二人の様子に、永果は腹を抱えて笑い転げていた。


「おいおい、永果までからかうのか? それにしても、菓子の毒は湖蘭の仕業で間違いないようだな。杏のことが疎ましかったようだ。」

「えぁ、残念ながら。湖蘭様は、幼き頃より泰様と仲が良かったご様子。きっと泰様のことが好きなのだと思います。だから突然現れた私が、泰様のお側に居て面白くなかったのでしょう。」

「だが、そんな事で毒を盛るなんて・・・」


「いいえ、泰様。とても大事なことなのです。女子にとってはとても。

 湖蘭様もお年頃です。きっと縁組の話も出ているのでしょう。どの方に嫁ぐことになるのか、それはとても大事なことなのです。想い人がいればなおさら。」

「そうだな。すまない。ならば私がもう少し気を付けていれば、こんな事にはなっていなかったかもしれぬ。」

「いいえ、泰様のせいではありません。よいですね。」

「うん。しかし、毒矢については湖蘭では無理であろう。背後に策を講じた者がいるはず。その者が再び動き出すやもしれぬな。」


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