第17話 射られた七杏
部屋に運ばれた七杏を診た医者は、七杏は非情に危険な状態だという。
矢には毒が塗られており、その毒が体内を巡っている。すぐに息絶えず持ちこたえているのは、七杏の体内に強力な浄化溶解作用のある血脈があり、不思議な力で守られているからだと話した。更にその血脈は、これまでに何か特別な薬を飲み続けたり鍛錬をした結果生じた血脈ではないかと推察した。
それを聞いた辰斗王と文世は、互いに顔を見合わせて驚いた。
間違いなくそれは、病の治療の為に黄陽で長年飲み続けた薬のことだと思った。二人は胸が熱くなった。黄陽での服薬が幼き頃からの病を治しただけでなく、今この時の七杏の体を救うことになるとは思ってもみなかったからだ。
「文世よ。神仙様は、今日のこの時を知っていたのだろうか?」
「どうでしょうか・・・ しかし、黄陽に行き治療した事がこんなにも七杏の身を守り助けになってくれるとは、感謝のしようがない。」
二人は涙を滲ませながら、静かに龍峰山に向かって深々と頭を下げた。
涙ぐむ二人の元へ、知らせを受けた空心が駆けつけた。
「七杏よ。大丈夫か? 一体何があったのだ?」
「空心様、私が付いていながら申し訳ありません。七杏は・・・ 七杏は・・・ 毒矢に射られたのでございます。」
泰極は泣きながら空心に詫びた。
「あぁ、泰様。あなたのせいではございません。どうか、どうか、今は七杏が目覚めることを祈りましょう。」
空心は泰極を抱き起こし、七杏の側で共に祈った。
再び様子を見に来た医者に、すがるように空心が様子を尋ねると、
「どうも不思議なお身体のお嬢様のようで、体内に非常に強い浄化溶解作用の血脈を持っておられます。今はその血脈が毒を浄化溶解しておりますが、このままではお嬢様の体力がもたぬかと・・・
この血脈を作った特殊な薬か鍛錬の方法が分かれば、体内の血脈の助けになり回復の兆しも現れると思うのですが・・・ 私には分からず手に負えません。」
と話した。
辰斗王と文世が空心を呼び部屋の隅によると、
「空心様。我々が察するに黄陽での治療の薬が、その血脈を作ったのではないかと思うのです。」
「辰斗王の仰る通りだと私も思います。ですが、ですが・・・ 蒼天に戻ってしまった今となってはもうあの薬は手に入りませんし、そもそも端午のこの時季ではどちらの薬も無理でございます。」
と文世が辰斗王に続き言った。
「確かに。医者の話からすると、おそらく黄陽での煎じ薬のことでしょう。あの薬が効くのなら、すぐに庵へ戻り持って参りましょう。僅かですが手元にあるのです。七杏とこちらへ戻る前に取り置き、少しだけ持って参ったのでございます。」
「えっ! 真ですか? ですが空心様、あの薬は葉を摘む時季も煎じるまでの刻限も決められた物では?」
文世が驚いて空心に聞くと、
「それがあるのでございます。詳しい話は後程ゆっくり致しますゆえ、今は急ぎ戻って薬を持って参ります。」
空心は急いで部屋を出て行く。
「私も一緒に参ります。空心様、お待ちください。」
慌てて文世が空心の後を追って出て行った。
「父上、お二人ともどうされたのです? ひどく慌てたご様子で。」
「泰極、希望が見えてきたぞ。薬が有るかもしれぬ。いや、あるのだ。医者が話していた血脈を作ったのは、七杏が黄陽で飲んでいた吉紫山の霊薬だ。その霊薬を空心様がお持ちだそうだ。」
「真ですか、父上! 杏は助かりますか?」
「あぁ、きっと助かる。大丈夫だ。泰極、二人の帰りを待とう。」
辰斗王と泰極は、祈る想いで二人が出て行った戸口を見つめた。
すると空心と文世が出て行った戸口から、一匹のリスが入って来た。両手の平に乗るくらいの瓜程の大きさのリスが、ひょこひょこと入って来る。見ると背中に蒼白い線が三本入った黄金色の毛をしている。その背中には、金色の刺繍の入った紅い巾着を背負いにこにことリスは真っ直ぐ七杏に近付いて行き、七杏の枕元まで来ると心配そうに顔を覗き込んだ。
「こらこら、何処から迷い込んで来たのだ? 病人の側だ大人しくしていてくれ。父上、珍しい模様のリスですよ。しかも何やら袋を背負っております。」
「あぁ、本当に珍しい。だが、この蒼き毛並みはどこかで見たような・・・ 袋を下ろして中を見せてもらおう。」
泰極が優しくリスの背中から巾着を下ろすと、リスはやれやれと疲れた様子で二人を見つめている。
巾着の中には小さな瓶と文が入っていた。
「父上、文と小さな瓶があります。文には、
〈そのリスは名を‘
それから、毒矢の傷は治りにくい。その小瓶の粉を水に溶き傷口に当てると善い。暮れには美味い酒をありがとう。〉とあります。」
「神仙様だ。龍峰山の神仙様だ。あぁ、有り難い。ではそのリスは、龍峰山の法力のリスだな。神仙様が使いに出してくださったのだ。」
「父上、何と有り難い事でしょう。さっそく胡桃と杏子の仁を用意させましょう。」
「あぁ、早く使いを出しなさい。それと龍峰山へ酒を届けさせよ。」
「はははっ。それには及ばぬ。辰斗王よ。」
その声とともに神仙が現れた。
「今は大事ゆえ、酒はまた夏至の時でよい。永果よ、杏子の仁は特別な時だけだぞ。元気でな。」
そう言うと神仙はスッーと消えた。
七杏の枕元には、一握りの胡桃と三粒の杏子の仁が置かれていた。それを見つけた永果は、じっーと粒を見つめている。
「君は賢いね。これは君の物だ。神仙様が使いのご褒美に置いていかれたのだよ。私も胡桃が大好きだ。気が合いそうだね。さぁ、お食べ。」
泰極が胡桃を一粒取って渡そうとすると、永果はそれには目もくれず杏子の仁に手を伸ばした。
「はははっ。そっちの方が好きなのだね。本当だ。とても喜んでいる。」
永果は、泰極を横目にがしがしと杏子の仁を頬張っている。
それからしばらくして、空心が〈
「さぁ、すぐに飲ませましょう。湯の用意を頼みます。」
空心は急ぎ煎じ始めた。
先に紅桜湯を煎じ、それから四刻の後に竹清白湯を飲ませると空はもう白み始めていた。
泰極は一人七杏の傍らに残り見守っていたが、いつの間にかうとうとしてしまった。
「泰様、泰様。どうしたのです?」
七杏が起き上がろうとした時、左肩に激しい痛みが走った。
「七杏、七杏! 目覚めたのか! あぁ、寝ていなくては。杏、君は毒矢で射られたのだよ。」
「えっ? 確か・・・ 端午節の宴で菓子をもらって・・・ 泰様と東屋で話をして・・・ そうだ稚魚が、稚魚がみんな死んでしまって、それから・・・」
「そう。その後、誰かが放った毒矢に君は射られたのだ。そして全身に毒が回って。医者も不思議がっていたが、君の体内には浄化溶解作用の強い血脈があって、その血が自ら矢の毒を浄化した事と、空心様が黄陽から持ち帰った薬が効いたのだ。」
「空心様が黄陽から持ち帰った薬?」
「あぁ、これだ。」
泰極が薬の紙包を見せた。
「あっ、これは! あれほどいけないと言ったのに。」
二人の話し声に空心が入って来た。
「おぉ、七杏よ。目覚めたか。あぁ、善かった。」
「空心様、あの薬を持って来てしまったのですね。あれほど吉紫山の民のための物だと言ったのに。」
「あぁ、すまない七杏。だが、そなたに内緒で少しばかり持って来て善かった。お陰で毒矢から救うことが出来たのだから。」
その言葉に泰極は大きく頷いた。
「空心様、本当にありがとうございます。この薬がなかったら今頃、杏はどうなっていたことか・・・」
「泰様、空心様の内緒の悪行を善き事にしないでください。」
「杏、空心様の気転で薬を持ち帰ってくださったから助かったのだぞ。それを悪行とは、ちと悲しい言いようではないか?」
「おぉ、さすがは世子様。心が広くお優しい。よく見えておる。我々はとかく近しい事ばかりを見て全てだと思ってしまう。
だが、時には遠く先のことも案じなければならぬ。そうして、未来から推し測ることからも学ぶ事が出来るのじゃ。七杏よ、それを覚えておくとよい。」
空心は笑って言った。
その後の医者の診立てでは、もう毒については心配ないが大事を取ってもう少し、同じ薬が有れば飲んでおいた方がよいと言う。そこで空心は、手元にある残りの二包ずつ全てを飲ませる事にした。
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