第16話  杏子の焼き菓子 

 人混みの中から湖蘭が現れた。


「おぉ、湖蘭。来てたか。泳元に久しぶりに会ったので、いろいろと話していた所だ。」

「そうでしたか。泳元様、お久しぶりでございます。」

「こっ、これは湖蘭殿。お久しぶりでございます。まっ、ますます美しくなられたのでは?」

泳元は、顔を真っ赤にしながら言った。


「まぁ、泳元様。からかわないでください。私は何も変わっておりません。

 それより今日は、焼き菓子を持って参りましたの。七杏様にもお会いできるかと思い、お名前にちなんで ‘杏子’ の焼き菓子にしてみました。

 皆様お一つ召し上がりませんか?」


「ほぉ、杏子の焼き菓子は初めてではないか? 泳元、湖蘭の焼き菓子はいつも美味いのだぞ。」

「なんだ、なんだ? 泰は食べているのか? 何て奴だ。湖蘭殿、ぜひ私にも一つ。」


「もちろんです。泳元様。さっ、どうぞ召し上がってください。」


「ありがとう。では早速。美味い! 確かに美味い! 杏子もよく合っている。美女は菓子作りものですね。」

「まぁ。泳元様ったら、お上手ですね。さぁ、どうぞお二人も。」


湖蘭は、泰極と七杏にも手渡した。

いつも食べ慣れている泰極は、受け取るとすぐに口に放り込んだ。


「うん。美味い。杏子も甘く煮つけられている。うん。いつもながら湖蘭の焼き菓子は美味いなぁ。さぁ、七杏も。」


泰極は、七杏にも菓子を薦めた。

七杏は微笑み菓子を口に運ぼうとすると、一瞬、胸の護符が紅く光った。泰極も護符の光に気付き、とっさに七杏の手を払った。


「すまない七杏。虫が、いま肩に止まろうとしていたように見えたのでつい手が出てしまった。大丈夫か?」

「えぇ、私は何とも。」

「湖蘭もすまない。せっかくの菓子を落としてしまった。」

「いいえ、いいんですのよ。菓子ならまだございますもの。さぁ、七杏様、新しいのをどうぞ。さぁ、召し上がって。」


湖蘭はカゴから新しい菓子を取りだし、七杏に渡した。


「湖蘭様、ありがとうございます。でも今日は、菓子を食べ過ぎたようです。家に持ち帰り後程いただきます。申し訳ありません。」

「あら、一口だけでも召し上がってみて。ぜひ、七杏様の感想が聞きたいわ。」


湖蘭も食い下がるが、泰極が、


「今日はたくさんの菓子があるからなぁ。七杏にとっては、初めて見る蒼天の菓子もたくさんあっただろう。」

と二人の間に分け入った。


 すると湖蘭も

「そうですわね。端午節では、たくさんの菓子が振る舞われますもの。仕方ありませんわ。」

と渋々引き下がった。


七杏は、申し訳なさそうに湖蘭の菓子を紙に包んだ。


「ならばこの菓子は私が。せっかくの湖蘭殿の手作り。落ちたぐらいでは味は変わらぬ。」

泳元は落ちた菓子を拾い上げ食べようとしている。


慌てた湖蘭は、

「お止め下さい! 泳元様。落ちた菓子など食べるのは、お止め下さい!」

と、泳元から菓子を取り上げた。


 泳元はしょんぼりとその場から離れて行った。



 泰極と七杏は湖蘭と別れ、急ぎ人混みを避け東屋までやって来た。そして呼吸を整えると、泰極が聞いた。


「杏、君も護符を持っているのか? 危険が迫ると光るのか?」

「えぇ、持っています。生まれた時からずっと。危険を知らせて光るのは、今初めて見ましたが・・・」

「今までは、光ったことがなかったのか?」

「いいえ、私が赤ん坊の頃に。蒼天から黄陽へ向かう船が嵐に遭った夜、護符が光り紅白の光霧が舟を包み結界をつくり守ったと、空心様から聞きました。他にも光った事はありましたが、どれも危険の知らせではありませんでした。」


「それはどんな時だった?」

「一度は、寺に時々やって来る蒼い鳩に近付いた時でした。

 その時は、空心様が慌てて寺の中へ私を入れたのですが、何も起こりませんでした。その後、空心様は小さな文のような物をご覧になりながら、穏やかに笑っておいででした。」


「あっ! 似たようなことが私にもあった。

 屋敷の桜木にやはり蒼い鳩が止まっていて、父上に呼ばれ近づくと護符が白く光ったのだ。それで父上に、すぐに部屋に入るように言われた。その後、父上も小さな文のような物を見ていた。それから急に穏やかな顔で笑いながら、もう遊びに行ってもよいと言われたのだ。」


「私の時は確か・・・ 空心様がご覧になった文の中に詩のような物があって、それを手習いの手本にしなさいと渡されたのです。」

「もしやそれは、このような詩では? 〈どんなに遠くはなれても どんなに時を隔てても いつか二人はめぐり逢う 二人の絆が切れぬよう 紅と螺鈿の道を分かつ〉」

「そうです。確か、そんな詩だったと・・・」

「そうか! そうだったのか。その詩は、父上に言われ私が子供の時に手習いで書いた物だ。空心様と父上は、龍峰山の法力を持つ蒼い鳩を使いに文のやり取りをしていたのだ。誰にも分からぬよう秘かに。」

「そのようですね。きっと、そうです。私たち二人の護符に何か秘密があるのかしら?」


「あぁ、そうに違いない。父上も空心様も十七年もの長きに渡り、ずっと私たちを案じておられたのだろう。きっと護符についても、何かを託されておられるはずだ。」

「えぇ、なんという深いお心でしょう・・・ それにこの護符。泰様に初めてお会いした時にも光りました。」

「あぁ、上巳節の日。内庭の桜木を見ていたら、私の護符も光ったよ。そして侍従に呼ばれ振り返ったら、杏、君がいたのだ。」


泰極は、護符の法力の強さに胸打たれた。



 そして、先程の菓子の一件にますます疑惑が深まり、泰極の中の疑惑はある確信に変わった。


「あぁ、湖蘭を疑いたくはないが・・・ 仕方ない。杏、先程の湖蘭の焼き菓子を出してくれ。確かめたい事がある。」

「はい、泰様。」


七杏が菓子を手渡すと、泰極は近くにあった稚魚の鉢に菓子をちぎって落とした。すると稚魚は、菓子の欠片に集まり数回つついたかと思うと腹を出して浮き始めた。


「やはりそうか・・・ 杏、あの菓子には毒が盛られていたようだ。」


目の前の鉢に浮く稚魚たちを見た七杏は、恐ろしさのあまり血の気が引き意識が遠くなった。 


 とその瞬間、二人の護符が強烈に光り何処からか飛んで来た矢が、七杏の左肩辺りを射た。


「杏! 杏! しっかりしろ! 杏! 杏!」


泰極は大声で叫んだ。


「誰か! すぐに医者を呼んでくれ! 誰か、早く!」


その緊迫した泰極の声に、宴に集まった人々は驚き東屋の方へと駆け寄って来た。



「泰極! どうしたのだ? 何があった!」


息子の悲痛な叫び声に、辰斗王が大声で聞いた。


「父上! 杏が! 杏が、矢で射られました・・・」

「泰極、急ぎ部屋へ運び医者に診せさせよ。さっ、早く!」


辰斗王に言われ泰極は、七杏を抱き上げ部屋へと運ぶ。


 七杏は射られる直前にすでに意識を失いかけていたが、今は完全に意識を失い全身はだらんと落ち少しも動かない。すでに息絶えているように見える。その様子に湖蘭と剣成は、七杏は死んだと安堵した。




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