第15話 逆転の甘い秘策
月が替わり、新緑がまぶしく牡丹や藤が美しく庭を彩っている。
剣成は自分の屋敷に湖蘭を呼んだ。七杏についての善い策を思いついたのだ。
「湖蘭よ。よく聞くのだ。これから話すことに失敗は許されない。機会は一度きりだと思いなさい。」
「伯父様、分かりました。」
いつになく真剣な顔で話す剣成に、湖蘭も身構えて次の言葉を待った。
「よいか? ワシはお前に幸せになってもらいたい。泰様に嫁ぎ豊かに幸せに暮らしてもらいたい。そう願っている。
湖蘭、お前が泰様に嫁ぐことはワシに福をもたらす。皇族との縁は深くなり、更なる富と権勢を得られよう。それがまた、我が家名の繁栄につながる。分かるな。」
「はい、伯父様。伯父様は、私が幼き頃よりとても可愛がってくれました。泰様のお屋敷へも、よく連れて行ってくれました。」
「そうだ。お前が生まれ幼き日より、泰様に嫁ぐのは湖蘭、お前しかいないと思って来た。それは違えてはならぬのじゃ。
よいか? 七杏には消えてもらう。泰様の前から消えてもらうのだ。さすればお前は、泰様の妃の一番の候補。お前の座は安泰だ。ワシも安心じゃ。」
「伯父様・・・ どうなさるのです?」
「よいか、湖蘭。お前は菓子を焼き泰様に届けよ。前に言っておったな。泰様はお前の焼き菓子を喜んでくれたと。」
「えぇ。泰様は、私の焼き菓子をいつも喜んで食べてくれます。あっという間になくなってしまうんですのよ。」
湖蘭は嬉しそうに頬を紅らめた。
「そうじゃな。だからお前は菓子を焼き、端午節の宴に持って行きなさい。その菓子の幾つかにコレを混ぜて。」
剣成は紅い包みを取り出した。
「伯父様、それは・・・」
「お前は知らなくてよい。七杏にとって喜ばしくない物だ。これを混ぜた菓子を七杏にだけ食べさせよ。七杏の分にだけ使え。決して間違うでないぞ。」
「わっ、分かりました。伯父様。」
「そしてこの包みの物が入っていない同じ菓子を、泰様の分もお前の分も用意し二人とも食べるのだ。疑いが及ばぬように。」
「はい。そのように致します。」
「うん。話はそれだけだ。お前とワシの幸せのためだ。頼んだぞ。ワシは、もしもの為にもう一つ策を用意しておく。」
「伯父様のもう一つの策とは?」
「刺客の弓で七杏を射る。」
「ですが伯父様、泰様は片時も離れぬご様子で七杏の側におられます。その七杏を弓で狙えば、泰様にも危険が及び護符が光り知られてしまいます。」
「あぁ、分かっておる。もちろん、それも承知の上だ。
湖蘭、護符が光るのは危険が迫った時だけではないのであろう? 仮に泰様の護符が光ってしまったとしても七杏が側に居れば、別の理由で光ったと思うやもしれん。ましてや端午節の宴は、辰斗王の屋敷の中庭でのもの。そんな場所で、自分に危険が迫るとは思うまい。それに一瞬で刺客が七杏を射れば、護符が光ったとて間に合わぬ。」
「えぇ、確かに。伯父様の言う通りですわ。さすが戦功を重ねた伯父様。善き策かと思います。」
「分かったのなら、もう帰りなさい。あまり長く話していては後々怪しまれる。」
「はい。では失礼致します。端午節の宴でお会いしましょう。」
「気を付けて帰りなさい。包みを落とさぬようしっかりと。」
湖蘭は、剣成の屋敷を出て帰って行った。
帰りの馬車に揺られながら湖蘭は、端午節に持って行く菓子についてあれこれと周到に思案している。
〈そうだ。杏子がいいわ。杏子の焼き菓子は初めてだけど、七杏の名にちなんで作ったと言えば七杏も泰様も食べるのを断らないはず。確実に三人とも食べる焼き菓子は、杏子入りしかないわ。〉
湖蘭は、端午節の菓子を杏子入りの焼き菓子に決めた。
端午節の宴の日がやって来た。この日は、辰斗王の招きで皇族や上位の臣下とその子らが屋敷の中庭に集まる。菓子や料理が振る舞われ皆で賑やかに過ごすのが慣例。成人していても成婚していなければ招かれる。泰極も七杏も、当然ながら湖蘭も招かれている。辰斗王の弟、洋元王の子で泰極の従兄弟となる
心地好い五月晴れの中庭にたくさんの若者とその親たちが集まり、今年も賑やかな宴となった。皆それぞれに好きな菓子を取り語り合っている。大人たちは茶や酒を交わし、互いの子らの成長を称え合った。
これ程多くの人が集まっても、泰極は目を引く存在で特別な雰囲気を放っている。名実ともに特別な人物だ。泰極が現れれば、そこに居合わせた皆が目を向ける。
「なぁ、泰極様と一緒におられる方は誰だ?」
そう友に聞いているのは、
「あぁ、あの方は文世様のお嬢様で黄陽国から戻られたばかりだと云うよ。辰斗王の信頼厚い文世様の娘だから、世子様が付き添っているらしい。」
「ほう。あの方が文世様のお嬢様か・・・ なんとも美しく品がある。ちょっとお目通り願おう。」
伴修は、泰極と七杏の前に進み出た。
「泰極様、ご無沙汰しております。以前、武術の修練でご一緒致しました。伴修でございます。本日は、お招き頂きありがとうございます。」
「おぉ、伴修殿。久しぶりだ。よく来て下さった。今はどこに?」
「はい、今は軍部に身を置いており、剣成将軍の下で励んでおります。」
「おぉ、そうだったのか。軍部は厳しく危険も多い。身体を大事に。」
「はっ、精進致します。ところで、こちらの美しい方は?」
「あぁ、こちらは文世様のお嬢様で七杏だ。黄陽から戻られ、まだあまり蒼天に慣れていないのだ。」
「こちらが七杏様ですか。お名前は届いております。初めまして、伴修と申します。」
「初めまして。七杏と申します。」
その時なぜか、泰極は胸騒ぎを覚え咄嗟に二人の間に分け入り、
「では伴修殿、今日は存分に楽しんでくれ。失礼する。」
と、七杏を連れ足早に伴修から離れた。
「柔らかな物腰の天女のように美しい人だ・・・」
伴修の心は、一瞬のうちに七杏で覆われてしまった。
伴修から離れた泰極と七杏は、人混みの中に入っていた。
「泳元、久しぶりだな。元気だったか?」
泰極が泳元を見つけ声をかけた。
「おぉ、泰極。久しぶり。こうした庭での宴は、懐かしく感じるよ。うちの屋敷の庭でのあの火事のことをつい思い出してしまう。」
「あぁ、あれは我らの最大の失態だ。後で父上に随分と叱られた。」
「私もだ。お前を危険な目に遇わせた上、東屋を全焼させたのだからな。あれ以来、焼き芋は怖くて食べられぬ。」
「はははっ。そうか。それは申し訳ない事をしたな。」
二人は顔を見合わせて大笑いした。
「今日は、七杏を紹介しよう。黄陽国から戻られた・・・」
「文世様のお嬢様で、病の治療の為に黄陽へ参られていたと聞いている。」
「その通り。昨年の暮れにようやく戻られ、今は少しずつ蒼天に慣れているところだ。」
「初めまして、七杏と申します。どうぞよろしくお願いします。」
「あぁ、初めまして。泰の従兄弟の泳元と申します。よろしくお願いします。
いやぁ、こんなに美しいご令嬢が文世様にいらしたとは・・・ にしても泰、随分と熱心に七杏様に尽くしているそうじゃないか?」
「いや・・・ うん・・・ 文世様は父の無二の友。そのご令嬢とあらば、私が力になるのが一番善かろう?」
泰極の取り繕い方に泳元がにやにやしていると、
「泰様には、とてもよくして頂いております。言葉も教えてくださり、こんなに話せるようになりました。」
七杏は、泳元に向かって話した。
「そうか・・・ ずっと黄陽で暮らしていたから言葉も一からか・・・ 大変なご苦労をされたのですね。ですが数カ月でこんなにお話ができるとは聡明な方。しかも美しくお優しそうだ。」
「いえいえ、まだまだ分からぬ事も多く、戸惑う毎日でございます。」
「それゆえ私がこうして側におるのだ。泳元よ、七杏の美しさに惚れるなよ。」
「はははっ。こうして泰が離れずに側におったのでは、私が惚れたところで出番はあるまい。それに私は、思っている人がいるからな。」
「おぉ、知っているぞ・・・」
そう言うと泰極は、泳元の耳元で何やら呟いた。すると泳元は、顔を真っ赤にして泰極を突き放した。
「はははははっ。」
泰極がその様子に、高らかに笑った。
「あら、泰様。何がそんなに可笑しいのです?」
湖蘭が近寄って来て聞いた。
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