端午節の策略

第14話 湖蘭、恋の危機

 上巳節が過ぎ、春爛漫の陽気が続く。もうすぐ蒼天は最も美しい季節を迎える。


「あら、伯父様。お久ぶりでございます。泰様はいらっしゃる?」

「おぉ、湖蘭フウランよ。世子様は今、出かけられて留守じゃ。」

「まぁ、珍しい。泰様がこんなに早くから出かけられるなんて。」

「あぁ、うん。実はこのところ毎日のように出かけられてな・・・ だが、そろそろ戻られると思うが・・・」

「あら、そう。なら善かったわ。私、中でお持ちします。今日は菓子をお持ちしたの。泰様の好きな胡桃の焼き菓子よ。」

湖蘭は、辰斗王の屋敷の内庭へと入って行った。



 湖蘭は、蒼天国軍部の将軍である剣成ジェンツォンの姪で、泰極とは歳も近く幼き頃より親しく過ごしてきた。剣成は、泰極の叔父である洋元王ヤンユエンワンの妃の兄でもあり、姪の湖蘭は皇族との繋がりが深い。


「あら、この桜はまだ咲いているの? 随分ゆっくりね。他の桜はとっくに散ってしまったというのに。しかも花と一緒に葉も芽吹くなんて、欲張りな桜だこと。」


湖蘭が内庭に入ると、一本だけある桜木はまだ花を咲かせていた。蒼天の桜は、上巳節の頃には花は散り若葉ばかりになっているのが普通で、上巳節を十日も過ぎてまだ花が咲いているのは珍しかった。


「その桜は、むかし星水様が植えてくださった物で黄陽国から参った桜木だ。もう二十年になるが、未だ祖国の四季を覚えているようだ。その木だけは、毎年祖国の山の見頃と同じ時季に花が咲き散るのだ。」

「泰様! お戻りですね。お待ちしていました。胡桃の焼き菓子をお持ちしたのですよ。」


溢れんばかりの笑顔で振り返った湖蘭だったが、泰極の後ろに娘の姿を見つけると一瞬で顔が曇った。


「まぁ、珍しい。お客様とご一緒なの?」

「あぁ、黄陽国から戻ったばかりの七杏だ。」


泰極が紹介すると、湖蘭は七杏を見ながら少しゆっくり目に


「初めまして・・・」

と言いかけたが、すぐに察した七杏が


「あっ、初めまして。七杏と申します。」

と蒼天の言葉であいさつをした。湖蘭は機嫌が悪そうに、

「初めまして。湖蘭と申します。」

と返した。


「七杏は、文世様のお嬢様だ。赤ん坊の頃に病の治療のために黄陽へ渡り、ふた月ほど前に蒼天に戻ったばかりなのだ。」

泰極が続けて説明した。


「まぁ、そうでしたの。それは大変でしたでしょう。文世様のお嬢様でいらしたのね。それで、泰様はなぜ七杏様をお屋敷に?」

湖蘭は、七杏と泰極の親密ぶりを怪しんだ。


「あぁ、七杏はまだ蒼天に慣れていないし、ずっと黄陽で育ったから言葉もよく分からぬ。だから屋敷へ連れて来て書を見せたり言葉を教えたり、いろんな物を知ってもらっているんだよ。」

「なぜ泰様が自らそんな事を? そのような事は、屋敷の者や文世様の家人がしたらよいのでは? それに黄陽からは高僧が参っていると聞きました。その高僧なら一番の適任なはず。」

「あぁ、よいのだ。私が好きでしている事。七杏と会い言葉を教えることは楽しいし、私が黄陽について教えてもらう事もある。それに七杏に会うと護符が喜ぶのだ。」

 泰極の笑みがこぼれた顔と楽し気な声に、湖蘭は顔が強張った。


「護符が喜ぶ? どういう事でしょう?」

湖蘭が聞くと


「七杏に初めて会った時、ほんの一瞬だけど護符が光ったのだ。そして胸が晴れやかになり嬉しくなった。こう・・・ 喜びが広がったのだ。」

「泰様がずっと、護符をお持ちなのは存じております。泰様の身をお守りする物だと。その護符が光るのは、身の危険を知らせる時なのでは?」


「あぁ、もちろん。護符は身の危険を知らせてくれる。だが、光るのは危険が迫った時だけではないのだ。それに七杏は、心根の優しい聡明な娘だ。」

「そうですか・・・ ならば・・・ 今日は、私は、失礼致します。」


湖蘭は、足早に帰って行った。


 その様子に、泰極の胸に一瞬暗雲が立ち込めたが、振り返って見た七杏の笑顔暗雲はすぐに晴れていった。



 湖蘭は慌てて伯父を探した。事の真価を確かめたかったのだ。


「伯父様、どういう事なのです? あの七杏という娘は何者? 黄陽国から戻った文世様のお嬢様って・・・ 泰様が、泰様が・・・ 七杏に会った時、泰様の護符が光ったと嬉しそうに話されていたわ。」 


半分泣きながら話す湖蘭の様子に困惑しながらも剣成は答えた。


「ならばその娘は、泰様にとって危険という事ではないのか? ワシも驚いたのだ。突然、空心様と参った娘が文世様のお嬢様で、泰様がとても熱心にお世話をされているので怪しいと思っておったのじゃ。

 だが、護符の話は初耳だぞ。危険の知らせ以外でも光るというのは、聞いてはおらぬ。真の話か?」


「えぇ、泰様が。泰様がご自身で仰ったもの。違うって。護符が光るのは、危険が迫っている時だけじゃないと・・・」

「そうか、そうか。だが、護符の法力は危険を知らせ身を守る物としか皆は知らぬはず。ならば、この事は後に使えるかもしれぬ。

 湖蘭よ。よいか? この事は誰にも言うな。未だ秘密にしておきなさい。」


「伯父様・・・ 伯父様は、私を泰様のお相手に薦めてくださっているのよね?」

「あぁ、もちろんだとも。辰斗王にも幾度も薦めている。大丈夫。今日のところは、気を付けて帰りなさい。よいね。」

「はい。伯父様。では失礼致します。」


湖蘭は屋敷を出て行った。

血の気を失った顔の剣成は、一人で何やら呟きながら池の方へと歩いて行く。


「まずい。まずい・・・ もし、湖蘭の話が真なら、文世様は辰斗王の信頼厚いお方。ワシも一目置き尊敬しておる。だが、それとこれとは別の話。

 何としても湖蘭を泰様に嫁がせねば。でなければワシは・・・ ただの将軍で終わってしまう・・・」


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