第5話 夕暮れの色


 シリウス様は夕暮れ時、日が沈みきる十分ほど前に帰ってきた。

 既に使用人たちは乗合馬車で村へ帰っていたから、シリウス様は自分で馬を繋ぎに行かれていた。


「お帰りなさいませ、シリウス様」


 屋敷に戻られたシリウス様は、私を見てきょとんとした顔になった。


「どうかなさいましたか?」

「ああ、いや……。久しぶりにそう言われたな、と思って」

「お帰りなさいませ、と? ああ、夜はどなたもいらっしゃいませんからね」


 一人で真っ暗な屋敷に帰って来るシリウス様を想像して、少し切なくなった。

 ここはハイバーノ家の人間として、しっかりシリウス様をサポートしなければ。


 私はシリウス様を応接間のソファへ誘った。日没まではあと五分ほど。

 まず家の中に人為的な呪いの痕跡はなく、シリウス様の呪いは『建国の呪い』でほぼ確定だとお伝えした。


「その上で、今日は呪いの解析を主にやろうと思います。もちろん、アレイ――呪いの軽減もやりますが」

「分かった」

「万が一、シリウス様の呪いと私の相性が悪い場合は、代わりのハイバーノ家の者が参ります」


 そう告げるとシリウス様は顔をしかめた。

 そうだった、この人は夜になると使用人を帰すくらいには、呪われた姿を他人に見せたくないお方だった。


「もちろん秘密は厳守致します。魔術によって、私はシリウス様の呪いについて話せなくなりますから」

「いや、ただ何度も婚約者が変わるのは面倒だと思っただけだ」

「確かに、面倒ですよねー……」


 既に一回、婚約者が変わっているのだし。

 とは言わないでおいた。会って二日目で踏み込んで良い話題とも思えない。


 私はシリウス様の両手を握った。剣だこがあちこちにできた、分厚い手だ。

 夕日が差し込んで、部屋中を橙色だいだいいろに染めている。実家の夕日と少し違って、ここの夕日は、何だかぐらぐら煮え立つような色をしている。


「無理はするな」

「え?」

「呪いを吸い取ると、眩暈や頭痛がするんだろう。体調を崩しても、面倒を見てやれる使用人は、明日にならないと来ない。それに、お前を部屋まで引きずってゆくのも面倒だ」


 だから、無理はするな、と仏頂面のままで言うシリウス様。

 ――セラさんの言う通りだ。この人は優しい。


「ありがとうございます。ですが問題ありません。意識を失うほど体を酷使する予定はありませんし、万が一倒れたら、そこの毛布でもかけておいて頂ければ、風邪をひくこともないでしょう」


 それに、ハイバーノの娘は体調不良に慣れている。

 床をはいつくばってでもベッドもぐりこむことくらい、朝飯前なのだ。


 私は集中するために目を閉じた。

 繋いだ手が、ぼうっと青白く光る。私の中に、シリウス様にかけられた呪いが入り込んでくる。

 呪いの解析は、一冊の書物を読み解くようなものだ。


 シリウス様の血脈に刻み込まれた呪いを、文字を追うようにして、読む。


「……」


 呪いが橈骨とうこつ尺骨しゃっこつを伝って私の体に入り込む。血管を針で刺されたような、ちくちくする痛みがする。

 けれど耐えられないほどじゃない。さらに呪いを体に取り込むと、骸骨騎士の姿が瞼の裏に見えた。


 白骨に魔力をみなぎらせ、馬にまたがって暗い森を疾駆しっくする彼の姿。

 骸骨が握る剣には、青白い光が灯っている。魔術の気配だ。

 魔獣を一刀のもとにねじ伏せてしまう、強力な魔術。

 これは……予想以上に込み入った呪いかも。


「シリウス様、夜は眠れていますか」

「……いや、眠れない。眠気が来ない」

「高揚して、体中に魔力がみなぎって、駆けだしたいような気持ちになりますか?」

「そうだ、その通りだ。煮えたぎるような魔力が血を駆け巡って、じっとしていられなくなる。だから俺は、夜になると森へ駆け出す」

「森で、おひとりで魔獣狩りを?」

「ああ。疲れないし、剣に不思議な力が宿るから、昼間よりも効率的に魔獣を狩ることができる。呪いも悪いことばかりではないな」


 自嘲的じちょうてきな言葉に、私は顔を上げる。


「いいえ。呪いは悪いものです、シリウス様」

「何だって?」

「呪いは、生まれてきたことを憎むほどの苦痛を強いるものです。本来祝福されるべき生誕さえも、呪いの前では痛みの源にしか過ぎない」

「……」

「それに、呪いのせいで崩壊する家を、私たちはいくつも見てきました。本来あるべき姿を捻じ曲げてしまう、呪いは、悪いものです……」


 上腕骨じょうわんこつ、上腕骨頭から肩峰けんぽう、鎖骨と、痛みが私の体を這い上る。

 頭蓋骨ずがいこつまでたどり着いたそれは、脳みそをぎりぎりとねじり上げてゆく。

 けれどこの痛みは、シリウス様の体から呪いが減っているということを教えてくれる。

 私は歯を食いしばって、うめき声をこらえた。


「シリウス様。眠らずとも体が動き、魔獣を倒す不思議な力が宿る理由はお分かりですか」

「呪いの副産物だと聞いた」

「はい。呪いがもたらす副産物は、つまるところ生命の前借りです。本来の寿命を削ってもたらされている力だということは、お分かりですね?」

「……しかし、そのくらいのメリットがなければ、このような忌々しい姿でいることに耐えられない!」


 その叫びにはっと顔を上げれば、既に日は沈み――シリウス様は、白骨の姿に変化していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

骨フェチ令嬢は骸骨騎士の婚約者を謳歌します ~昼はイケメンに戻っちゃうなんて聞いていないのですが!?~ 雨宮いろり・浅木伊都 @uroku_M

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ