第4話 お宅拝見
さて、家主のお許しも得ているのだ。
私はアレキサンドリア侯爵邸をすみずみまで歩き回ることにした。
意外なことに、一人で、ではない。
「お任せくださいッ、アンナ様! 不肖セラ、このお屋敷の隅々までご案内させて頂きます!」
「あ、ありがとうございます」
やけに熱血なメイド、セラさんが案内を申し出てくれたのである。
ハチドリのように華奢な骨格で、くるんとした金髪が愛くるしい彼女は、メイドの中でも比較的長くこの屋敷に勤めているのだという。
「昨晩はご案内もできず、失礼致しました。到着するまでお待ちしたかったのですが、私たち使用人は、夜になるとこのお屋敷を出なければならないので……」
「いえ、遅れた私が悪いのです。むしろ下に置いておいた荷物を、部屋まで運んで下さって、ありがとうございました」
朝になったら、自分の荷物が部屋にきちんと置かれていたのだ。優しい。
「お屋敷のご案内でしたね? お望みとあらばメイドの待機部屋までご案内させて頂きます! しかしアンナ様、お嬢様付きのメイドは、ご実家から連れていらっしゃらなかったのですか?」
「ふ、普通のご令嬢なら、身の回りの世話をするメイドを五人くらい連れて来るものですよね……。でもハイバーノ家は、娘にメイドをつけるほどの余裕がないのです」
「まあ。ではその綺麗な銀色のお
「ありがとうございます。慣れていますから」
メイドも連れてこられないなんて、と馬鹿にされるかと思ったが、セラさんはなぜか感心したような顔になった。
「アンナ様は自立していらっしゃるのですね。そういうお方は大歓迎です! 何しろ私たちは、夜この屋敷にいられませんから」
「夜は、近くの村まで帰っているのですか?」
「乗合馬車に乗って行けば二十分ほどで着きますし、そこまで大変ではないですよ」
ですが、とセラさんは階段を上りながら顔を曇らせた。
「シリウス様の様子は少し気になります。我々使用人は皆、シリウス様を心配しています」
「それは『建国の呪い』があるからでしょうか」
「はい。どのような呪いなのか、私たちは知るよしもないのですが――。もしかしたら、夜はおひとりで魔獣狩りに出ていらっしゃるかもしれなくて」
「魔獣狩り?」
それは初耳だ。
「馬屋に魔獣の血や毛が落ちていて、それで私たち、シリウス様お一人で魔獣狩りに行かれているのでは、と……」
「コロマンデルの森も近いですものね」
「はい。もちろん、軍の方も魔獣狩りをして、魔獣が村を襲わないようにしてくださっているのですが、このところ少し数が増えているようなので、シリウス様はそれを減らしに行っているのではないでしょうか」
セラさんは心配そうな顔をしている。少なくともシリウス様は、悪い主というわけではなさそうだ。
あれほど美麗な骨の持ち主が、悪い人なわけがないのだけれど!
「分かりました。呪いを軽減させるときに聞いてみます。――さて、部屋の解説をお願いしても良いでしょうか」
「はいっ! まずはこちら、シリウス様の部屋に近い方の客間でして……」
一つ一つの部屋をセラさんが丁寧に説明してくれる。
私は部屋を覗きながら、何か「仕掛け」がないかどうか確認していた。
シリウス様の呪いは十中八九『建国の呪い』だろう。
しかし貴族の中には、敵対する家にわざと人為的な呪いをかけ、あたかも『建国の呪い』に見せかけて足を引っ張ろうとする人間がいる。
その可能性を排除するために、屋敷内を見回る必要があったのだ。
『建国の呪い』と普通の呪いとでは、対処の方法も違うしね。
三階は問題なし。
続いて二階に差し掛かり、一番大きな部屋を紹介される。
「……ん?」
違和感があった。何か魔術が使われている気配はあるが、呪いではない。
その部屋の家具は全て、私の部屋にあったものと同じだったのだ。
応接用のセットに、書棚。続きの間には大きな天蓋ベッド。
こちらの方が、カーテンや絨毯の色調が赤っぽくて、少し豪華な印象を受けた。
「このお部屋は、客間でしょうか? にしては豪華な気もしますが」
「え……ええと、ですね」
セラさんはなぜか口ごもり、わたわたしている。
気にせずに、何か怪しい仕掛けはないか、寝室を見て回る。
寝室の方には、私の部屋にあったものと同じ型の、色違いの鏡台があった。
白くて可愛らしい鏡台の上には、一枚のイニシャル入りのハンカチが畳まれて置いてあった。
「……」
妙だ。
私物がないから客間だと思ったけれど、このハンカチ一枚だけ素っ気なく置かれているのは、どうしてだろう?
それに、この部屋の調度品が私の部屋のものとそっくり同じなのは、なぜ?
思い返せば、昨晩のシリウス様のお言葉も少し、変だった。
『お前も、あまりのおぞましさに言葉も継げないか』
『しかしお前も、実家を助けるためとは言え、魔獣しかいないこんな辺境の森に連れてこられるとは。どいつもこいつも哀れな奴だ』
私の脳裏を、ふと、一つの仮説がよぎった。
「……セラさん、もしかして」
「はい……」
「シリウス様には、私の前にもう一人、婚約者がいらっしゃった?」
そう尋ねるとセラさんは、観念したように口を開いた。
「はい、アンナ様のご想像通りです」
「――なるほど。シリウス様は確かに、悪い人ではなさそうです。前の婚約者の部屋を私にあてがうこともできたのに、そうなさらなかったんですから」
ハンカチが一枚残っているところを見ると、私への優しさからそうしたというよりは、前の婚約者の人に未練があっただけなのかもしれないが。
「シリウス様はこのことをアンナ様に告げても良い、と仰っておりました」
「婚約者がいたことを、ですか?」
「はい。私から申し上げることではないとは思うのですが、その方とは既に婚約破棄していますから、シリウス様の正式な婚約者はアンナ様だけです」
「気を使ってくれてありがとうございます。でも、あまり気にしていないから大丈夫ですよ」
そう言うとセラさんはきょとんとした顔になった。
「気にしていらっしゃらない、というのは……」
「ハイバーノ家は呪いのスペシャリスト。呪いのあるところに嫁ぐのが仕事。何というか、シリウス様と私は、利害が一致しているだけなのです」
シリウス様は呪いの解除が目的。
そして私は、貴族の位さえ持たないハイバーノ家が、明日も生き延びられるよう、アレキサンドリア侯爵家に便宜を図ってもらうことが第一。
婚約と言うからややこしいのだ。商品のお試し期間、とでも言えば分かりやすい。
私とシリウス様の間にあるのは、愛とか恋とかそういうものではなくて、切実な利害関係だけなのだから。
「けれど、アンナ様。シリウス様はとても――とても、お優しい方です」
「もちろん、悪いお方でないことは分かっています。……この部屋も、魔術の気配はありますが、呪いはなさそうですね。セラさん、次の部屋に案内して下さいますか?」
「分かりました」
そうして私はセラさんの助けによって、屋敷と庭の確認を終えた。
「一応裏手に、小さな丘があるのですが、今から向かうと少し時間がかかりそうですね……」
「そうなんですね。では丘はまた後日、案内して頂けますか?」
「承知致しました!」
セラさんと別れた私は、シリウス様が帰って来るまで、自室で考えをまとめる。
「やっぱりシリウス様の呪いは『建国の呪い』で問題なさそう。今日は呪いの解析をメインにやって、明日に備えよっと」
今日のうちにやるべきことを済ませ、私は婚約者様が帰ってくるのを待った。
前の婚約者については、考えないようにしながら。
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