第3話 呪いとハイバーノ一族
「おはようございます!」
朝日にきらめくシリウス様の白いお骨はさぞやお美しかろう、と思って食堂に降りると、そこには顔の大いに整った男性がいた。
白い小さなかんばせに、黒曜石の切れ長な瞳。
気難しそうな顔は、意外と繊細な造りをしていて、すっと通った鼻筋が少し女性的だった。
長い黒髪を一つに結び、濃紺の軍服に身を包んでいる。気品ある仕草は、この豪奢な食堂にふさわしい。
けれど、何だかやけに疲れた顔をなさっている。目の下に薄っすら隈ができているし。
誰だろう。シリウス様の部下だろうか。
それにしては、見たことがある肩幅をしているような……。
「先客がいらっしゃるとは存じ上げず、失礼を致しました。私、アンナ・ハイバーノと申しま……」
「知っている。昨日聞いた」
ぶすっとしたその声は、昨日あの麗しき骸骨騎士から発せられたものと、全く同じだった。
嘘でしょ。私は驚愕に目を見開く。
「し……シリウス様でいらっしゃる!?」
「ああ。これが俺の本当の姿だ。昼間、太陽が昇っている間はこの姿でいられるが、太陽が沈むとあのザマだ」
「そうなのですね。何だか、普通の美青年という感じですね。こう、ちょっと近寄りがたい系の」
がっかりだ。お日様の下で見る肩甲骨は、天使の羽のように輝いただろうに。
骨フェチであるところの私にとって、皮一枚の美醜はさほど意味を持たない。
顔も見ずに縁談を組んだのだから、婚約者様の見目麗しいことは、喜ぶべきことなんだろうけど――。
なんかねえ。昨日ほどの興奮はない、というのが、正直なところだ。
しおしおと朝食の席に着くと、昨日はいなかったメイドたちが、素早く給仕に回ってくれる。
私の態度に、シリウス様は面白くなさそうな顔で抗議する。
「何だ、その顔は。婚約者がこれほど容姿端麗なんだぞ、もっと喜べ」
「昨日のお姿の方がよっぽど素敵でしたよ」
そう言うと、シリウス様が少し大きな音を立てて、水の入ったグラスをテーブルに置いた。
「その話は、使用人の前ではするな」
「……失礼致しました。了解です」
私としたことが、さっそく婚約者様の機嫌を損ねてしまったようだ。
供された卵料理にフォークを入れながら、シリウス様を観察する。
今のお姿に呪いの残滓は見当たらない。
とくれば、呪いは夜発動するタイプ。ご本人も仰っていたが、日没と共に変化が現れ、日の出と共に戻るものだろう。
呪いにも種類があるが、姿をそっくり変えてしまう呪いは、かなり強い部類に入る。
アレキサンドリア公爵家ほどの由緒正しい家柄ともなれば、このくらいの強さの呪いは発現しておかしくない。
アレキサンドリア公爵家は、その武術の巧みさゆえに、女王陛下から常に辺境の守りを任ぜられてきた。
我がエル=サマリア王国において、国境の守りは重要だ。特にここ、コロマンデルの森に隣接する獣人の国は、いつもエル=サマリア王国の土地を狙っているので。
「何年前に発現した呪いなのですか?」
「七年前。俺が十七の頃だ」
「発現年齢としては平均的ですね。七年前と比べて、悪化している印象はありますか」
「――そうだな。悪化していると思う。前は日が沈んで二時間くらい経っても、この姿でいられた」
私はライ麦パンをちぎり、シリウス様のお顔をじっと拝見する。
今の段階ではまだ、呪いが生命を脅かすほどではない。
けれど放っておけば確実に、シリウス様は死に至るだろう。
「昨晩も聞いたが、ほんとうに俺の呪いを軽減できるんだろうな」
その問いには応えず、私は代わりに質問を投げかけた。
「基本的なことから確認させて頂きたいのですが。シリウス様、呪いとは、何でしょう?」
「まさか朝から、子どもでも知っているような内容をやり取りしろというのか?」
「まあまあ。コミュニケーションの一環ということで、一つ」
頼み込むと、シリウス様はむすっとした顔で私を睨んでいたが、やがておもむろに口を開いた。
「……そもそも、呪いとは。一言で言うならば、過去の負債だ」
「ええ。三百年ほど昔、我らがエル=サマリア王国の、建国時の負債ですね」
「女王陛下は自らの騎士を率い、土地を汚す原初の魔獣たちを倒し、王国を建国なされた。――だが、原初の魔獣の屍は、女王陛下と騎士たちに呪いをもたらした」
「はい。とこしえの繁栄を妨げる、時代を超えた忌まわしき穢れ。生半な魔術師では解除などできない、凄まじい力を持つ呪い」
「それが、女王陛下の御身を侵す呪いであり、俺の身に今降りかかっている呪いである」
私は熱くて濃い紅茶をすすった。
うん、実家の味とは違うけれど、美味しい。
「女王陛下の御身は、聖女様が守って下さっています。遠からぬうちに、呪いは解除されるでしょう」
「ああ。しかし騎士たちの呪いは」
「ええ。いみじくも、最後の魔獣が断末魔と共に言い残しました。『我らが呪いは、間欠泉の如く貴様らの血に現れて、貴様らを滅ぼさんとするだろう』」
「それが俺たち貴族に残された『建国の呪い』だ。建国時に女王陛下に随行した十五の貴族の中で、稀に出現する呪い」
「どんな人間に、どのタイミングで現れる呪いなのか、ということが分かっていないのも、忌々しいところではありますね。……しかし!」
ここが盛り上がりどころ!
私はカップを置き、堂々とうたい上げた。
「そこに颯爽と登場したのが、ハイバーノ医師だったのであります!」
「……何だ、恩着せがましい。ハイバーノなど、騎士たちのあとをくっついて回るしか能のなかった、ただの太った医師ではないか」
「まあ、ふっくら太ってハムスターのように愛くるしい医師だなんて。そんなに褒めたって何にも出ませんよ」
「褒めていないし、そんなことは言っていない」
我らが祖、ハイバーノ医師は、一言でいうなら天才だった。
医師である彼は、魔術師のように、呪いの解除に長けているわけではなかった。
けれど彼は考えた。
――呪いが長期的に騎士の身を脅かすのならば、それに対応する、呪いを専門とする人々を訓練すれば良いのでは?
「天才にして聡明なる我がご先祖様は、それから生まれつき呪いに耐性がある人々を集めたわけです。出自を問わず。そして彼らを訓練し、呪いの軽減のみに特化させた」
「それがお前たち、ハイバーノ一族」
「はいっ、その通りです!」
呪いの多くは血に染み込んでしまっている。
一朝一夕で解除できるものではなく、また発現のタイミングもまちまちだ。
そういう、貴族の厄介な呪いを、アレイでもって根気強く軽減させて、根絶を目指す。それがハイバーノの掟。
「私の見立てでは、シリウス様の呪いは根強いですが、軽減させられないほどではなさそうです。少なくとも、昼間のお姿でいられる時間を延ばすことは可能です」
「そうか」
シリウス様の顔が、ほんの少し安堵したように緩む。
といっても、まだまだ無表情の部類に入るお顔をしているけれど。
この人が笑ったり泣いたりすることなんて、あるのだろうか。
「具体的にどうやって呪いを軽減させるんだ?」
「日が沈む前に、私と二人きりになるお時間を頂けますか? その際に詳しい方法をご説明します」
「分かった」
頷いたシリウス様がさっと立ち上がる。
「俺は仕事に向かう。家の中は自由に歩き回って良いが、俺の部屋にだけは立ち入るな」
「分かりました」
「くれぐれも勝手なことはするなよ。この際だから言っておくがな」
シリウス様の黒曜石のような瞳がぎらりと光る。その顔には威嚇するような表情が浮かんでいる。
「ハイバーノ家との婚約など、いつでも破棄できることを忘れるな。せいぜい呪いの軽減に励み、自分が役に立つことを証明して見せろ」
「もちろんですとも! 必ずやお役に立ってみせましょう」
私は立ち上がり、シリウス様をお見送りするため、一緒に玄関に向かった。
こうして並ぶと、ずいぶんお背が高くていらっしゃる。
執事がシリウス様にコートと剣を渡す。柄の部分にアレキサンドリア公爵家の家紋が彫り込まれた剣だ。
これからシリウス様は、隣国を睨みつけるように建てられた城へと向かい、そこで国境防衛のお仕事をするのだそうだ。
軍人の方がどういう仕事をするかは知らないけれど、片手間にこなせる仕事でないことだけは確かだ。
「日が沈む前にお帰り下さいね。行ってらっしゃいませ」
シリウス様は返事をせずに玄関を出ると、馬丁が準備していた黒馬に颯爽と跨った。
そうしてこちらを振り返ることもなく、出勤していった。
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