第5話 婚約破棄とその顛末



 えー……失敗した?

 死ぬほど恥ずかしい。

 したたかに打ち付けた腰をさすりつつ、立ち上がると奇異の目がそこかしこから自分に向けられる。


「あ、あの……」


 シリルは大広間のテーブルの上に華麗に着地を決めようとしてそこにあった料理皿に足をとられ、盛大にスッ転んだ。

 恥ずかしさを怒りに変えて、彼女が片手にする杖の先で指したのは、誰でもない。

 事態の異常さにあっけにとられて動くことを忘れていた、第六王子だった。


「あんた! そんなことして男として恥ずかしくないの、この恥知らず!」

「は? な、なんだと! どこから現れたかもしれない不審者に偉そうに言われる覚えはない!」


 言下に否定を放つ第六王子は、「衛兵!」と、大広間の壁際で警備を担っている兵士たちを呼びつける。

 呼ばれるまでもなく衛兵たちは第六王子とその婚約者のいる場所を目指していた。

 だが、人の輪を作り上げたのは彼らが最初で、その上にまた、怪しげな藍色の魔法使いの身分を示すローブを羽織った奇妙な女が天井上から降って来た。


 いきなり異常事態が連続し、正常な判断を衛兵たちができなかったとして、誰が責められよう。

 それに、第六王子アノンは忘れていた。

 第二王子の命令により、彼が婚約者の公爵令嬢の腕をつかみ、婚約破棄を宣言したら邪魔者が入らないようにと。

 衛兵には事前にその場で待て、という命令が下されていたことを。


「何をしているお前たち! さっさとここに来ないか!」

「いや、しかし、殿下……っ」


 アノンに一番近い場所で警備していた衛兵が申し訳なさそうに声をあげる。

 第六王子が彼に視線をやると、衛兵の目ははるか向こう。

 国王やその親族が集まって座る席へと向けられている。

 アノンがつられてそちらを見やると、そこには険しい表情の父親と、怒りに満ちた視線を送る第二王子の顔があった。


 そこはお前の器量でどうにかしろ。

 二人の王族は、アノンに視線でそう命じる。

 これはとんでもないことになってしまった……アノンは内心、冷や汗をかく。


「分かった。もういい! ……私の愚かな婚約者とこのいきなり落ちて来た不審者! この第六王子アノンが裁いてくれるわ!」


 裁く?

 愚か?


 二人の令嬢の視線はアノンに向き、それから互いに交錯した。


 片方は過去に別の男性からやられた恨みの仕返し……もとい、婚約破棄をされた令嬢が可哀想だったから。

 片方は家の名前まで出されて恥知らずと言われ、信じていた婚約者にいきなり裏切られて気が動転していたから。


 状況をそれなりに理解して、口を先に開いたのはシリルの方だった。


「……裁く? 裁けるものならやってみたらいいじゃないの!」

「なっなんだと!」

「裁かれるのはあんたの方よ、この馬鹿王子! 公衆の面前での婚約破棄は貴族に相応しくない行為として、国際条約で禁じられたことを知らないの?」

「そんな国際条約など、この国には関係ない! 私は王子だぞ?」

「はっ……何が王子だか。その国の代表者たる王族自ら恥知らずなことやって! 見なさいよ、彼女を!」

「え? 私? なに……?」


 いきなり名指しで指さされた公爵令嬢アナスタシアは面食らっていた。

 思わず何を言っていいか反応に困ってしまい、咄嗟にアノンに助けを求めてしまう。

 しかし、アノンはアノンで見知らぬ魔法使いが語る、王族の恥だの、国際条約で禁じられた行為なんて知るはずもなく。


「恥知らずだと! この不審者が、なにを言うか! アナスタシアは俺の女だ! どう裁こうが、俺の勝手だ!」

 などと、それを聞いた国王が顔を伏せてしまうような発言を叫んでいた。 

「浅っさい……」

「はあ!?」

「そこが浅いって言ってるのよ、この馬鹿王子。こんな公衆の面前でさらに恥を振りまいてどうするのよー? 彼女、困ってるじゃないの!」


 王子様のくせになんて器が小さいんだろう。

 かつて婚約破棄したあの男のことを思い出して、シリルの心に大きな怒りのさざ波が立つ。

 それが津波として押し寄せる前に、脳裏に天井裏から使い魔の控えめな制止の声が降りて来た。


(おーい、そろそろ終わらせろよ?)

(はあ? いいところなんだから邪魔しないでよ? あの第六王子を見せしめに焼き殺して――)

(それ、御主人様の個人的な恨みじゃねーか……。いい加減、仕事に戻れよ。また課長にお叱りうけるんじゃね?)

「……あっ。それはまずいわ」


 使い魔と魔法使いの念話は第六王子には聞こえない。

 彼はまずい、何がまずいんだ? と更に不審がる始末だ。


「なんだと? ここまで人を馬鹿にしておいて、お前、何がまずいというのだ?」

「うっさいわね! あんたみたいな人でなしがいるから、みんなが困るんじゃないの。王族の癖に……第六王子の名が泣くわよ」

「ふざけるなっ、お前。天井から降ってきてテーブルを壊しておきながらその言い草。お前こそ犯罪者ではないか? どの口が偉そうにモノを言うか!」

(ほら見ろ。そいつの言っていること何を間違ってないぞ)

「いいから黙ってなさいよアンタは!」

「あんたとは何事だ! 王族を何だと思っている」

「だからー……第六王子様にいま話してない……そんなことよりも、あんたも覚悟決めて発言したほうがいいんじゃないの? そんな美しい婚約者のどこが不満だって言うのよ? 一体彼女が何が気に食わないの?」

「そ、それは……だな。俺以外の男とダンス踊ったから……嬉しそうにする様がつい」


 しどろもどろになりながら、あらかじめ決めておいたセリフを第六王子アノンは口の端にする。

 それは誰が聞いても嫉妬に狂った王子の勘違いとしか言いようがない内容で。

 もっと明確な婚約破棄の理由があると思ってたから、逆にシリアも婚約破棄をされたエミリアにいたってもそう。

 どこか哀れみを込めた目で、彼のことを見つめてしまった。


「殿下……その程度の事で怒るような男性だなんて。家のために生涯をあなたに尽くそうと考えていましたけど」


 もう別れてしまってさっさと縁を切ってしまいたい。

 どこか吹っ切れたのか、逆にさっぱりとした顔してエミリアは言葉を続ける。

 おい、待て。


 そう告げようとした第六王子の言葉は言葉にならなかった。

 声を上げようとして口を開いたら、それ以上の発言をするな。そんな感じの咳払いが国王から発せられたからだ。

 しかし、それは同時にエミリアへも向けられていた。


 発言することは許さない。

 この場所にいるどんな誰にも、それは等しく適用される。

 王国に帰属する者であるならば、それは神に与えらえれた使命にも匹敵する。

 ただ一人と一匹。

 裏ギルドなんて――社会の枠から隔離された組織に属する魔女と使い魔には……関係ない話だった。


「行きませんか?」

「え?」

「この場から、離れませんか?」

「いえ……その。困ります……そのようなこと、望んでおりませんので」

「え。マジか……」


 なら私が降りて来た意味無くない?


(逃げること考えた方がいいぞ。そろそろ、衛兵だって……ほら)


 レムの声が脳裏に降って来て、改めてシリルは自分がまずい状況だと再認識する。


「それよりあなた様はどなたですか? このように夜会を破壊するような行為をなさるなんて……迷惑です」

「……あっそ。余計なことをして悪かったわね」

「ええ」

「家と血筋を捨てるなら、連れ去ってあげるけど? この悪い魔法使い様が」

「結構です。捨てれるようなものは持ち合わせておりませんから。お気遣いなく」


 目の端に、衛兵たちが近寄って来るのが映る。

 このままだと、エミリアの残された道は婚約破棄と、夜会を台無しにした罪が被されることだろう。


「あっそう」


 そう。そこまで言うなら仕方ない。

 こうなったらさっさと撤退するのが賢いけど、その前にやることもある。


(レム!)

(へいへい……知らねーぞ、まったく)


 まず第一弾。

 魔石に附与していた魔力の一部を、大きな風に変換して人を薙ぎ払う。

 その不意に起きた一陣の風は、確実に衛兵の足を止め、人々の態勢を崩した。


「目を塞いで!」


 エミリアに告げたその一言に、少女は驚きながらも目を伏せざるを得なかった。

 魔女の言葉には魔力がある。

 その声を聴いてしまった少女は無意識にそうしていた。


 第二段。

 使い魔がその体内に長年、蓄えて来た魔力を破壊的な衝動に切り替え、彼を中心とした世界は朱色の猫により魔力を無効化される。

 夜会の大広間を保護していた結界が消し飛んだ。


 それは数舜の間をおいて不測の事態にも対応できるよう訓練を積んだ宮廷魔導師たちにより張りなおされる。

 だが、数秒だけ。

 確かに、夜会の参加者たちは見てしまった。


 はるか天井に浮かび上がる、昼の太陽よりも赤くそして血のような朱色に染まった、強大な魔の存在を。

 それは宮廷魔導師たちに恐れを抱かせるには十分だった。

 この世には宮廷魔導師たち程度の魔力ではかなわない魔がいることをレムは示してやる。


(フっ。久しぶり解放は気持ちいいじゃねーか)


 最後に第三弾。

 天井の魔石ランプが異様な瞬きを示した。

 光は魔の恐怖に怯えおののき、見開かれた人々の瞳から脳裏に滑り込む。

 その場にいた誰もがふらつきを覚え、吐き気を感じ、立ち上がることすらも出来なくなっていた。


「さ、逃げっ……あれ?」


 自分が行った魔法の成果を確認し、満足と頷いたシリルがそちらに目をやったとき。

 被害者――エミリアは会場から姿を消していた。


「嘘……」


 救おうと思った相手が消えたら、私、ここに来た意味ないじゃん。

 やれやれと嘆息すると、レムに早くしろ、と心の中で追い立てられる。

 魔女は使い魔に預けていた力を受け取ると、藍色のローブをひるがえしどこかに消えてしまった。

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