エスプレッソ

「にがっ!!」



 店内に響き渡る叫び声。

 いつもと同じ注文をし、いつもと同じエスプレッソを飲む、いつもと同じ少年の苦渋の表情。



 いつもと同じ光景に、もはや安心感すら覚えてしまう。



「そろそろ慣れた頃だと思ったんだけどな。どうやらまだまだ厳しいらしい。」



「・・・マコト、また同じこと言ってる。もう諦めなよ、それを飲めるのは味音痴か、辛党か、齢を潰した大人だけなんだからさ。」



「大人、か・・・。」



 コトリとカップを置く音が、心地よく店内に響く。マコトはゆっくりと、言葉を味わうように口を開く。



「そのときが来たらさ、おれたち色々変わってるのかな。歳も、交友関係も、価値観も・・・、いるかわかんないけど、好きなヤツとかも。」



「・・・さあ、どうだろうね。そのときが来なくちゃ・・・。」



 未来のことなんて、分からない。



          ☆



「久しぶり、だな・・・。」 



「うん・・・。」



 それは、十年振りの再会だった。



 久しく帰っていなかった地元。生まれ落ちた街。

当時通っていた高校の近くにある、少し小さめな喫茶店。



 最初に来たのは高校二年生の頃。マコトとは軽音楽部の仲間で、帰り道が一緒になって、それがきっかけ。

 何となくで駆け寄ったその喫茶店は、雰囲気も匂いも、何もかもが別世界に感じられた。



 けれど何より気に入ったのは、ロケーションだ。

窓側の一番奥のテーブルから見える景色は、街の正反対。



 海だった。



 そこは解放的で、あらゆるモノが見えなくて、微かに聴こえるバラードジャズが、日々のストレスを癒してくれて。



 当時の私たちにはきっと、『どこか遠くへ行ける』って気を起こさせたんだ。



          ☆



「何、頼む?」



 マコトは少し、昔と違った。

 金色に染まった髪。ちょっぴり伸びた身長、大人びた手。ちょっとだけ垢抜けた、その表情。



「マコトと同じにするよ。きっと、『いつもと同じ』メニューだろうから。」



 私の言葉を聞いて彼は笑う。少し、恥ずかしげに。



          ☆



「やっぱりこれが良いよな! えすぷれっそ。名前の響きが格好いい!」



 マコトは初めて見かけたその飲み物を、どうやら飲まずにはいられなかったようだ。

 メニュー表を見るや否や、店員さんを呼びつける。こっちはまだ考えてすらいないのに。

 おかげで私まで飲む羽目になった。・・・とはいえ、私も少し興味を惹かれたのだ。



 知ってはいたけど飲んだことはない、大人のためにあるようなその飲み物に。



          ☆



「・・・相変わらずにげえ・・・。」



 十年経っても変わらない、安心感すら覚えるその表情。それを見て私は、思わず笑ってしまう。



「変わらないね、マコトは。」



「・・・いつまで経っても変わらねえな。この歳になったらさすがに、飲めるようになってると思ったんだが。」



 マコトはカチャリとカップを置く。心地いい響き。



「・・・戻ってきたんだ、この街に。」



「まあな、そういうお前は?」



「・・・私は、ずっと同じだよ。同じところでくすぶって、疲れて、息を吸って、寝て・・・。その繰り返し。これがいつまで経っても苦いのと同じ。」



「俺たちふたりとも、昔のままなんだな。」



「そうだね。甘党のまま。」



 店内を出ると、空は晴れ渡っていた。

 私たちは一緒に坂を登っていく。

 マコトは私の少し前を歩いている。



「・・・あのさ。」



 マコトは私の方を振り返る。

 左には海。右には街。私たちはそのふたつに挟まれるようにしてそこに立っている。



「俺、お前に言ってなかったことがあるんだ。」



 マコトは少し、目をそらす。私の顔を見ることが、後ろめたいかのように。



「けど、今さらなんだよ。今言ったとしても、ちゃんとした答えが返ってくるか分からない。俺は自分がどこにいるべきかも分からずに、この歳になった。ただこの街が疎ましくて、他の場所が別世界に見えて、だからここから出ていった。そんななりで・・・。」



 マコトはきっと、迷っている。



「今さらすぎるよな、本当。」



 けれどそれは、私も同じだ。



 マコトと違うのは、行動したかしていなかったか、ただそれだけ。



 私たちは自分たちの行方も、未来も、何もかも知らずに、大人になれないまま放り出されたんだ。

 ・・・だから私は一言こう言おう。迷い続ける彼に、ひとつの居場所を与えるために。





「私は変わってないよ、マコト。」





 晴れ渡った空。風に運ばれるコーヒーの香り。

 左には海、右には街。



 私たちはきっと、いつまでも迷い続ける。



 けれど、それで良いんだ。



          ☆



 ふたりの人間が肩を並べて歩いている。

 海の見える、少し小さな街だ。



 そのふたりはこじんまりとしたカフェに行き、いつもと変わらない景色と、いつもと同じその味を堪能することだろう。



 思い出だけは苦くないんだと、笑顔でそう語るために。

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