第35話:酵素洗浄で真っ白にしましょうか
「あの、申し訳ないのですが。私、体が動かなくて。ちょっと手を貸していただけませんか」
腹の当たりがブラックホールのようになって渦巻くセレナ侯爵令嬢が、へにょりと眉を下げて可愛らしく顔を傾げたのだが、如何せんこの瘴気溢れる腹は近づいたら飲まれてしまいそうな勢いだ。
「ええと」
手を貸したとして、どこへ行くつもりなのか。
「殿下にお会いしとうございます」
俺の内心を読んだかのように、セレナ嬢がそう口にした途端、ゲロとゴブリンが口から出てきた。
うひょっ!?ベイビー・ゴブリンここからこうやって生まれて来てたのか!
生まれた?ばかりの緑のゴブリンは素早い動きで森の方へ駆けて行こうとしたところで、俺が捕獲焼却する。
俺、博愛主義じゃ無いんで、ベイビーだろうと年寄りだろうと魔物は消す。後々とんでも無いことになって収拾つかなくなるからね。ごめんね。お母さんの前で申し訳ないけど。
「私の赤ちゃん…」
「…すまないけど、ゴブリンだから、見逃すわけにはいかないんだよね」
「ええ。わかります。殿下にそっくりだなと思っただけです」
「………ソウデスネ」
「蛙の子は蛙って言いますもの。殿下にも見せてあげたくて」
魔物の子は魔物って感じだよ。事実化してるよ。やっぱりあれか、王子はあの時あそこで死んだんだ。それでシャムロックの訳のわからない薬で蘇ったけど、王子の面の皮を被った緑色の魔物だったと考えた方が良いのかもしれない。
「……殿下のことは、セレナ嬢は本当に想っていらっしゃるので?」
「……ええ。アルヴィーナ様には申し訳ないと思っているのですが、どうしても諦められなくて、アルヴィーナ様が婚約破棄を突き付けたと噂で聞いて、いてもたってもいられなくなって」
「……ソウデスカ」
確認してみたけどやっぱりそうだよな。恋は盲目って言うけどマジそれな。侯爵令嬢だし、お互い好き合っているのならなんで一緒にさせてやらなかったんだろうか。そりゃまあ、アルヴィーナが誰よりも有能なのはわかっているけど、それならそれで王子妃にしなくても国の要職につけるべきだったんだ。
まあ、あの王子が国を担うとなると、不安なのはわかるけどな。その結果、こんな事になって宰相も王妃もとっとと逃げ出してるし。絶対バチ当たるぞあいつら。罪人の焼印はどこに現れるんだろうか。顔にしてほしい。恥を知れ。
と、文句を言ったところで現状は変わらないし。しょうがない。ひとまずこの瘴気だけでも浄化させないとエンドレスだ。
「セレナ嬢。それじゃあ、まずは体内清掃と浄化をさせていただいても良いですかね?それさえうまく行けば王子のとこに連れて行ってあげますよ?」
だって可哀想じゃないか。このままこの子ごと焼却するわけにはいかないし。俺も一応、人間らしくそれなりの同情心くらいあるよ?アルヴィーナに言わせると、俺は絆されやすいらしいけど。
「えっ、そんなことが?」
「ええ、上手くいくかはわかりませんけど」
まだ人間であれば良いけどね。でも完全に魔物になっていたら完全消滅しちゃうかな。言わなくてもいいよね?知らない方がいいと言うこともある。
「じゃあいくよ?」
「はい」
「第一段階【
まずは結界でセレナ嬢を丸っと囲む。その結界の中だけで清浄魔法をかけた。結界は清浄魔法を霧散させないためのもの。集中酵素洗浄は汚れによく効く生活魔法だ。魔獣の血液には毒素を含むものも多く、普通の洗浄では落ちないため開発した。セレナ嬢の体内で毒素が蔓延しているのならこれだけでもかなり魔物化は抑えられるはず。一気に泡がたち結界内が乳発色に濁ったと思った途端、どす黒くなりそれも霧散した。
霧が晴れ、目を凝らしてみるとぐったりと横に倒れたセレナ嬢がいた。動かない。あれ……死んじゃったかな?
「……うう」
おお、生きてた。しぶとい、じゃなくて、よかった。結界内の瘴気は綺麗に洗浄できたようだ。
「大丈夫かい?聞こえる?」
「は、はい。大丈夫です。ちょっと息苦しいですけど」
まあ、いきなり洗濯されたようなものだからな。瘴気なんか吸っていたら綺麗な空気は肺に痛いと思う。でも喋れるくらいなら大丈夫か。
「第二段階【
「ひうっ!?あ、ああっ!?ああん!あっ!やあぁあぁぁんっ」
えっ!?ちょっと!誤解されるような声をあげんなよ!そんなに気持ちよかったっけ、この魔法?まあ、破れた腹から一斉復活してるから、ちょっとくすぐったいと言うのはわからないでもないけど。そんなおかしな声上げるほどでもないはずなだけどなあ。
それより、ボンクラ王子の内臓も元に戻っていなさそうだったから、この子もひょっとしたらこっそり腹にブラックホール抱えてるかもしれない。こわ。
なんか危険人物作り出してない?俺。
修復魔法の光がチカチカして落ち着いたところで、肩で息を吐きながら真っ赤な顔をした令嬢が結界の中にいた。うるうるした瞳で俺を見上げ何か言いたげだ。なんて言うか、情事の後みたいな、ちょっとやましい気持ちになるんでやめてほしい。洗浄魔法もついでにかけておこう。洗浄、洗浄。
「え、エヴァン、さま。あり、ありがとうございました。お、お情けをかけて、いただいたこと」
「いやいやいや!お情けかけてないから!治療だ!治療!」
「……腰砕けですわ。はぁ。すごかった」
「……」
いやあ。この場面、結界張ってなかったら、アルヴィーナに殺されるところだよね。俺が。千里眼で見られてないよね?アルさん?俺潔白よ。
ボンクラ王子に傾倒するだけあって、ちょっとやばいかもしれない、この令嬢。このまま結界張った状態で王子のとこ連れて行こう。ついでに意識も刈り取っておいた方がいいかな。だめかな。
頬を染めてぼんやりしている令嬢を横目に、俺は周囲に【アースウェイブ】をかけた。植物系の魔物にはテキメンの魔法だ。アルヴィーナのホーリーチェインがあれば尚良いのだけど、ここで無理は言えない。ゴブリン程度なら見えてからでも問題なく倒せるし、大物はいないようだし。キラービーは収納に入れておこう。いくらいても助かるハチだからな。
瓦礫の上に立ってぐるりと辺りを見渡せば、だいぶ瘴気は薄れたようで、青空がうっすらと見え隠れしている。よかった。アルヴィーナのいる薬草園の方角は、ぽっかりと晴れ間が見えているから、あちらも無事、と。
まあ、アルヴィーナの聖魔法はかなり強力だからな。そんじょそこらの魔物じゃ既に浄化昇華してるだろう。
「それじゃこっちも一気に片付けるか」
俺は両手を天に掲げ、広範囲魔法を唱えた。
【
ずっと昔、聖魔法を覚えたくて試行錯誤していた頃、アルヴィーナが覚えた魔法である。何度も言うが、俺は聖魔法の能力は持ち合わせていない。
この
てなわけで、俺がまたしても試行錯誤して、聖魔法でなくても使えないか魔法陣を操ったところ出来上がったのがこれ。実は3種複合魔法である。聖魔法の代わりに使ったのが、生活魔法の一端でもある清浄魔法と氷と雷魔法の複合型。魔力量はそれほど消費しないが発動条件が難しく時間がかかる。タイミングを合わせている間に攻撃されたら一巻の終わりだが、まあ、諸刃の剣なので、滅多に使わないからいいんだけど。
聖魔法と大きく違うのは、これ実は普通に当たると死んじゃうんだよね。聖魔法攻撃は魔物にしか効かないのに対し、雷魔法は人間にも当たる。だからもし逃げ遅れた人がいたら、ごめんね?ってやつで。まあ、十分時間もとったし、みんな薬草園に集まってることを期待して。
さて。
瓦礫から降りて振り返ると、セレナ嬢がまたしても潤んだ瞳でこちらを見ていた。
え。今度は何?怖いんですけど。
「わ、私の産んだ赤ちゃん、皆殺しですか?」
「え、ええっと。ゴブリンのこと、言ってるんだよね?」
「ゴブリンだなんて…。みんなシンファエル殿下によく似て可愛かったのに」
ええ…?なんか真顔なんすけど、この人。何気にホラーだよ。あれっ?なんか闇魔法纏ってない?やばくない?じ、浄化、浄化。浄化魔法の重ねがけは余りお勧めできないんだけど、魔物化されるよりはいいから。
「あの、今度は普通に人間の赤ちゃん産んでみるのはどうかな…?」
「…人間の赤ちゃん……。シンファエル殿下の、本当の、赤ちゃん」
「そ、そうそう。人間の」
ボンクラが人間だった場合だけど。あっ。頬を赤らめてるよ。闇魔法は消えたな?ほっ。
「とりあえず、殿下に会いに行こうか?」
「は、はいっ。行きます!」
俺は愛想笑いを浮かべて、令嬢を立ち上がらせた。もちろん結界は貼り続けている。ついでに3枚ぐらい上乗せして結界を張った。
女性は瘴気に弱いと聞く。それは女が感情で物事を考えるからだとか言われているが、何よりも母性のせいなんじゃないかと俺は思う。確かに恋愛感情で愛憎のもつれから女性は悪に染まることもあるが、何よりも理不尽に我が子を亡くした女性が闇に染まり、恐ろしいまでの執念で呪いをかける昔話が多いのだ。魔王にも魔女にもなる。
この令嬢は、そう言うタイプなんじゃないかと思うと、簡単に『お前の子供は、ゴブリンだったから当然殺したよ』とは言えない気もする。
も一回浄化と洗浄かけとこうかな…。
後ろからついてくるセレナ嬢に見つからないように、ボンクラに会うまでの距離を何度となく
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