第34話:王城の瘴気

 バッサバッサと翼を優雅に上下するシャムロックに跨って、見えてきた王宮は既に結構な森と化していた。辛うじて物見の塔といくつかの塔のとんがり屋根が見えているだけだ。だが、一箇所だけ眩く輝いている場所がある。なんだ?聖域になってるのか?


「こりゃぁ……厄介だな」

「みんな生きてるかしら?王宮の騎士たちって対人間には訓練されていても、魔物相手はあまり訓練してないし」

「ひとまず魔導士たちがいるからな…。それより元凶はどうなってるか」


 元凶。もちろんそれは王子なんだが、それから伝染して正気を作り出したのは明らかにセレナ侯爵令嬢だ。おそらく闇魔法使いの上、いろいろ、なんだ46体位も試されたんだからすごく穢されてると思う。いや、物理的に。


「だけど、なんで瘴気だけじゃなくて森なんだ?」

「トレントか何かが入り込んだのかしら?」

殿下ボンクラも一時トレントに乗っ取られそうになっていたな、そう言えば…」


 これはおそらく、シャムロックの薬玉が影響している。緑竜の作り出した薬玉だから、きっと植物が関わっているのだと思うのだけど。けど、薬玉は穢れを払う作用をするんじゃなかったのか?


『人間は思ったよりも穢れとるのかもなぁ』

「しみじみ言ってんじゃねえよ!」

 

 報われないれない感情が負に働いたとも考えられる。だから、初めっから二人をくっつけておけばよかったんだ。


「アルヴィーナ。魔獣の気配はあるか?」

「魔獣よりも魔物の気配が強いわね。小さいのがウヨウヨしてる」

「うわぁ…」


 とはいえ、小物なら騎士でもなんとかなってるはずか。ただ瘴気の濃度が心配だな。魔人になっていたら厄介なだが。これで国王や王子がまたもや瘴気に侵されていたとしても、今度はシャムロックの薬玉だけは遠慮しよう。


「シャムロック!俺たちをあそこの薬草畑に降ろしてくれ!」


 王城の上空に行くと、ちょうど魔導士たちが育てていた薬草ばたけが目に入った。そこだけは、瘴気に包まれておらず、ポッカリと緑の葉を揺らしていた。さっき見た聖域に見えた場所は薬草園だったのか。


『わかった。あそこだけは聖魔法がかかっているのか清浄だな』


 ああ、そうか。アルヴィーナの力が働いているんだ。魔導士の薬草畑は毎日のようにアルヴィーナが水撒きをして手入れをしていたと聞いている。その成果が現れているんだな。


「飛び降りるぞ!こい、アルヴィーナ」

「ハイっ」




 腰ほどの高さのある薬草畑に降り立ったところで、何かが薬草をかき分けて走り込んで来た。


「うおりあぁぁっ!」


 小剣を振り上げて襲いかかって来たのは、王の侍従だった男だった。よほど恐ろしい思いをしたのだろう、瞳孔が開き涙目になりながら狂ったように剣を振り回したが、俺に頭を掴まれて、剣は届かない。アルヴィーナがキョトリとして顔を覗き込むと、ようやく気が付いたのか、男は固まった。


「あ、あ、アルヴィーナ、様?」

「あなた、王様付きのクリスさんだったかしら?」

「は、はい!そうです!な、名前まで覚えていただいて光栄です!」


 クリスと呼ばれた少年のような男は、剣を落としてアルヴィーナに頭を下げながら泣き出してしまった。


「大変なんです、大変なんです」


 エグエグと涙を飲みながら、クリスは辺りを見渡した。


「この薬草畑はアルヴィーナ様の御力が溢れてて、魔物が近づいて来ないんです。なので、あちこちに戦えないものが潜伏しているんですが、騎士たちも魔導士たちももうボロボロで戦えません!魔物が次々湧いて出て、どうにもならないんですよぅ!エヴァン様、アルヴィーナ様、王に酷いことを言われ、こんなことをお願いするのも申し訳ないのですが、どうか私たちを助けてください!お願いします!」

「うんうん、大丈夫よ。陛下や殿下はどうでもいいけど、王宮のみんなはちゃんと助けに来たからね。それで状況は?」

「ことの起こりは一昨日、アルヴィーナ様たちがお城を出てからのことでした。貴族牢に入っていた令嬢が妊娠していたことが発覚したのです」

「妊娠!」

「ええ、ですがおかしいのです。殿下と、その、男女の中になりまして…」

「ええ、聞いたわ。午前中いっぱい、令嬢が気を失っても腰を振っていたって話よね?」

「……ええ。お恥ずかしい話ですが。その後すぐに貴族牢に入れたらしいのですが、朝になってみるとすでに腹が大きく膨らんでいて、御令嬢は子供ができたと騒いでいたのです」

「……いくらなんでも早すぎない?」

「ええ、ええ。ですからきっと殿下のお子ではなく、既に妊娠していたのではないかと思われるんですが、それから1時間もしないうちに腹が膨れ上がり、破裂してしまったのです」

「は、破裂?」

「ええ、カエルのように膨れ上がったと思ったらパンと大きな破裂音がして腹が割れ、そこから瘴気が湧き上がったのです」


 そこまで聞いて俺は嫌な予感がした。


「……その令嬢は?その後どうなった?」


 俺が口を挟むと、クリスはグリンと首を回して大きな目で俺を見上げた。そこなんですよ、聞いてくださいよと言わんばかりだ。


「普通、お腹が破裂したりしませんよね!?妊婦って、破裂して子供産んだりしないでしょう!?そんなことしたら母体がいくつあっても足りないじゃないですか」

「し、しないと思うな。うん。ナイナイ」


 いや、俺も子供産んだことないから、知らんけど。俺の母親も生きてるし、そんなおっそろしいこと聞いたことはないな。


「それがですよ、このご令嬢、破裂したお腹を見ながらあらまあとか言って普通に座ってるんですよ!その破裂した腹から緑色の、う、グエッ」


 クリスはその光景を思い出してしまったのか、エロエロと吐いてしまった。思わず、浄化。


「す、すみません。ええと、そう、緑色のゴブリンの赤子とか青虫っぽい幼虫とかが這い出してきたんです。ホラーですよ!ホラー!それで慌ててアルヴィーナ様とエヴァン様を呼び出してもらおうと陛下に願い出たら、もう、もう…」


 クリスはボロボロと大粒の涙をこぼして、これ以上話にならなかった。うん、まだ若いのに酷いトラウマになったようだ。


「それで、陛下と殿下は?」


「陛下はご自分の執務室に閉じ困って出てきませんし、殿下は殿下で王子宮にいましたので、騒ぎが起こった時には出てこれない状態になってしまいました」

「えっ?て言うことはボンクラ、まだ自分の部屋にいるの?」

「もし瘴気に侵されていないんなら、はい。そうですね。誰もあそこまでたどり着いていなければの話ですが」


 俺とアルヴィーナは顔を見合わせた。


「どう思う?エヴァン」

「どうもこうも…。セレナ嬢が魔人になった感じだよなあ」

「だよねえ」

「ま、魔人ですか!?そ、そんな」

「いや、でもなんて言うか、魔物の生産者になってるっぽいんだけど?」

「だって腹、破裂してまだ生きてるんだろ?人間じゃねえよなあ」


 しかも瘴気まき散らかしてるし。あれか、王子に怒った毎朝のことがセレナ嬢にも起こってるような感じ。でもなぜか倍速されてる。


「の、のんびりしてる場合じゃないですよ!騎士団も魔導士たちも一睡もしないで頑張ってるんです。なんとかなりませんか!?」


 って言うか、王国魔導士団が揃って瘴気も対処出来ないって、何してんだ、あいつら。


「わかった。じゃあクリスだっけ?とりあえず、全員この薬草畑の真ん中に集めといて?アルヴィーナは怪我人見てやって?あとこの薬草畑、聖地化されてるみたいだからひとまず現状維持だけお願いしてもいいかな」

「えー?エヴァン自分だけ暴れるつもり?ずるいなぁ」


 いやいや。そこで狂戦士化しなくていいからね。君、一応王子妃候補で令嬢の鏡だったでしょうが。


「だってほら、シャムロックも居るしね」

「ムゥ。わかったわ。じゃあ怪我人がいたらじゃんじゃん連れて来て!たっぷり寝たからどんどん浄化するわ!」


 浄化じゃなくて、治癒だよアルヴィーナ。


 「よし、まずは元凶を叩きに行くか」


 俺は勝手知ったる王城の庭を<舜歩>で駆け出した。まずは貴族牢の例の令嬢を浄化か。



 さほど時間もかからず、瘴気の濃いところへ向かえばその令嬢へと辿り着いた。その間に出会った魔物はほとんどがゴブリン。赤ん坊のようでいて目つきが危ない。涎を垂らしながらバブバブ言ってるけど、芋虫食ってるよ。気持ち悪い。浄化、浄化。蜘蛛の子のようにわらわらと飛び出してきては、別の魔物に食らいつく。人間はまだ強すぎるようで、メイドですら箒や雑巾片手にバシバシ叩き潰している。強いな、メイド。


「エヴァン様!戻って来てくれたんですね!」

「アルヴィーナ様もご一緒ですか!」


 充血した目で、肩で息をしている王宮メイドたちが俺を見て、歓喜の声を上げた。


「アルヴィーナは薬草畑にいるから、みんなと向かってくれ。ここは俺に任せて」

「「「ハイっ!ありがとうございます!」」」


 ひどくやつれてはいるけれど、怪我をしている人はいなさそうだ。瘴気の中で怪我をすると魔人になる恐れもあるから気をつけないと。まあ、魔物は薬草畑には入れないから、後で確認するとして。


「【ファイアーボール】【ターバイン】」


 人間がいないことを確認して、俺は火魔法と風魔法を同時発動させた。ギュオンッと火の粉が舞い、高速回転によって広範囲を焼き払う。この魔法は混合させることで竜巻のような現象を起こすのだが、魔力量はそれほどかからないのが良い。巻き込みながら焼却するので灰塵が舞うのが厄介だが、灰塵は魔植物が嫌うものの一つだ。いかに魔物でも光合成はするらしく、灰塵が葉に積もり、急速に萎れていく。栄養にはならないらしく、これを使って農地開拓をよくしたものだった。


「こんなところで役に立つとはね」


 フロンティア万歳だ。俺の通った後が焼け野原になるのはこの際仕方がないとして。


「あ、いた」


 貴族牢の残骸とも言うべき塔の成れの果ては、魔性の森となっていた。その崩れた瓦礫の中に座る妖怪、もといご令嬢は青白い顔をしてこちらを見ている。まだ生きてるあたり、やっぱり人間終わったかな。


「エヴァン様?」

「え?俺…私のことをご存知でしたか」

「ええ、もちろん。アルヴィーナ様のお兄様でいらっしゃいますわよね?」

「そう言うあなたは…フィンデックス侯爵令嬢で間違い無いです?」

「は、はい。こんな姿で失礼いたします」


 おかしい。なんで普通に会話してるんだ?


「あの、申し訳ないのですが。私、体が動かなくて。ちょっと手を貸していただけませんか」


 ええぇ。手助け、ですか。貴婦人の頼みは断っちゃいけないって紳士禄にあるけど。腹裂けて、瘴気が渦巻いてるんだけど。ゲロってゴブリン吐き出してるのちょっと気味悪いんだけど。


 えっと。

 人間じゃないよね?




 やだって言っても良いかなあ。








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