第36話:王子宮にて

 カツカツと窓を叩く音に目覚めてみると、そこは森だった。


「はれ?」


 窓はある。床から天井まである窓は両側に大きく開くようになっていて、その先にはいつも乾布摩擦をするバルコニーがある。


 だがその両脇にあるはずの壁がない。壁だったであろう瓦礫が床に落ち、わさわさと木の枝が部屋の中に侵入してきていた。ブーンとでかいハチが目の前を飛んでいく。あれがキラービーというものか。その向こうには緑色の芋虫の様なものがあちこちで蠢いていて、それを追いかける小さな、これまた緑色の生き物が芋虫を捕まえてぐちゃぐちゃと食べ始めた。


 美しくない。これは、いつぞやのサバイバルゲームとよく似ている。ああ、これは夢か。


 寝ぼけた目を覚ますために両手でゴシゴシと擦り、今度はカッと大きく見開いてみた。


 窓はある。壁がない。蜂が飛ぶ。虫が蠢き、緑色の生物が捕まえて食べている。ついでに天井も殆どが崩れ、まるで廃墟のようだ。思わず自分がどこにいるのかわからなくなったシンファエルは、ベッドがら起き上がり、床に降り立った。


 夢じゃなかった。


『キュー』


 声のする方を見ると、空色のワイバーン、スカイが律儀にもバルコニーからこちらを覗き込んでいる。壁がないからこの部屋にも簡単に入って来れるはずなのに、窓を嘴で叩いている。


「ははは。馬鹿だなあ、スカイ。入ってこればいいだろ?」


 そう言いながらもシンファエルはいつも通り、へちまを手に取り窓を開けた。日課の乾布摩擦をするためである。


 が、その途端。窓によって支えられていた窓枠がぐらりと崩れ落ち、当然窓も外側に倒れ盛大に割れてしまった。目を丸くしたシンファエルは、慌ててスカイに降りかかったガラスの破片をはたき落とし、大丈夫かと声をかける。主人(番)に心配されたスカイは感極まって翼を広げシンファエルに抱きつき、長い嘴でシンファエルの頭にかぶりつきーースカイの愛情表現である求愛の踊りを披露した。つまり頭を咥えては出し、咥えては出しを繰り返し、ヨダレでベトベトにするマーキングのようなものだ。




「何してるんですか…」


 その一部始終を見ていた俺は、はあぁと盛大にため息をついた。


 王子宮は王城の端っこにある。王子宮なのに何故こんな端っこにあるのかと最初は思ったものだったが、そう言えば当時王子は異臭を放ちまくり忌み嫌われていたのだったと思い出し、元々離宮だったこの場所が王子宮になったのだろうと容易に想像がついた。


 その王子宮もかろうじて建物として立ってはいるが、王子の部屋の扉を開けると、そこは野ざらしに近い部屋が残されていただけだった。いまのいままで目覚めず、よくもまあこの阿鼻叫喚の中で惰眠を貪れたものだ。広々と広がっていた芝生は今や森になりつつある。ゴブリンがあちこちを徘徊している。そのうち村でも作りそうな勢いだ。


 離宮だから助かったのか、それとも魔物から父親だと理解されていて無事だったのか。


 後者っぽい気がする。


「シンファエル様ぁ!セレナが参りました!」

「せ、セレナ!君は牢に入れられたはず…!」

「ええ、ええ。確かに。ですが、私シンファエル様の子を産んだのです!その子達が牢を壊してくれて、わたくしを出してくれたのです」


 え、そう言う話だったの?


「私、いっぱいお祈りしてどうか私たちの中を引き裂く全てを壊して、シンファエル様に会わせてくださいと願ったのです。そうしたら、ぱあっと光が現れて、もくもくと煙が牢を壊してくれたのです。それから私達の可愛い赤ちゃんたちが私たちを隠すように森を作り、こうして再開できるよう願いを叶えてくれたのです!」


 え?何。何言ってんのこの子?悪魔と取引でもしたんじゃないのか。ぱあっと腹が破裂して、モクモクと瘴気を撒き散らしたの間違いだよね?そんで、瘴気から魔の森ができてゴブリンが口から生まれて、カオスを作り出したんだよね?ついでに君の腹、ブラックホールになってた様だけど?


 どう言う理解度してるんだ?闇魔法のせい?そんなに危険だったの、この魔法?


「それは、もしやエヴァンが!?」

「んなわけあるか」

「「え?」」

「失礼しました。絶対、私じゃありません」


 え、どうしようかな、これ。野放しにしたらまたゴブリン製作に励みそうだよね?


「殿下。私がいないほんの数時間の間に一体何やらかしてくれたんですか」

「あ、ええっと…その」

「シンファエル様のせいではないのです!私が、私がお誘いをしたのが悪いんです!」


 俺が王子に詰め寄ると、セレナ嬢が庇う様に前に飛び出してきた。王子はビクビクしながらセレナ嬢の後ろに隠れている。情けねえ奴だな、おい!


「いやいや、誘われたからってすぐさま襲い掛かるのは、人間としてどうかと言う話なんですよ」

「違うんです!違うんです!私が、シンファエル様をたぶらかしたと言う罰で、北の修道院に行かなければならなくなったので、最後にもう一度だけとお願いしたのです!お城への侵入はお母様に手伝っていただきました!お母様もこの罰には納得されていなくて、でも国王様の決定だから従わずにはいられなくて」

「セレナ…それほどまでに私を愛してくれていたんだね。嬉しいよ」


 ああ。侯爵夫人が裏で手を引いていたわけね。昔っから何かと突っかかってきてたから、何か恨みでもあるのかと思ってたけど。下位貴族のアルヴィーナに王子妃の座を奪われたのが気に入らず、娘を焚き付けたと言うわけか。侯爵家は闇魔法を使うって噂だったよな。魅了か何かを使ったか…。ボンクラはそんなの使わなくてもあっさり引っかかりそうだけど。


「こんなに愛らしいのに、アルヴィーナ様に無碍にされ王様はともかく、宰相様にも王妃様にも愛されないシンファエル様が不憫で不憫で!そうよ、誰にも愛されないのなら、私が愛してもいいでしょう!?誰もいらないゴミだ腐臭だっていうんなら私が引き取ったっていいじゃない!!みんながゴブリン王子だと呼んでも、たとえシンファエル様が禿げでも、デブでも、足が臭くて吐きそうになっても、寝てばっかりで全然役に立たなくても!私は彼を愛しているわ!」


 えーと。……ゴブリン王子って初めて聞いたよ。セレナ嬢、何気にディスってるって気づいてるかな。後ろで王子が白くなってるよ。


「……それとも、あなたも私たちの邪魔をするというの……?」


 セレナ嬢の声が地を這う様な声に変わり、俺はギョッとして飛びのいた。どす黒い瘴気…いや、違う。闇魔力がセレナ嬢から湧き上がった。


 ヤッベ。何か刺激したらしい。俺、口開いてないよね!?邪魔してないよ!?ここまで連れてきたでしょ!?


 闇魔法に対抗する術を俺は持たない。令嬢を殺してしまえば簡単だけど、そう言うわけにも行かないし。まだ(多分)人間だし。闇魔法の攻撃は防御はできるけど、闇の魔力を浄化するのは聖の魔力だけ。


「セレナ嬢、落ち着いて。ここまで連れてきたでしょう?邪魔はしませんよ」


 駆け落ちしても止めませんよ?どこへなりと、好きなところへどうぞ旅立ってください。


「そう、そうよね。王妃様もそう仰ったわ。でも結局は私では役不足とおっしゃった。王子妃になるには愛だけでは無理なんだと…なぜ?なぜ愛だけではダメなの?どうせ宰相や王妃様が国を動かしているんじゃない!だったらこれからもそうしていけばいいのよ!」


 ああ、ダメだ。おかしな方向に暴走してる。ひょっとして酵素洗浄エンザイムのかけ過ぎで副作用が出たか。余計なものを擦り落としすぎて、執着だけが残ってしまった。


 それって、俺のせいだよなぁ。


 まずいなあ。結界膜で絡め取ってアルヴィーナに差し出すしかないかな。


 セレナ嬢に守られる様に背後に立った王子を見ると、闇の魔力にあてられて白目を剥きながらも、腰がヘコヘコしていた。


 本能か!猿め!


 このまま放っておけばエンドレスで瘴気が倍増していくだけだ。仕方がない。令嬢にすることではないけれど背に腹は変えられない。


「申し訳ないけど、大人しくしててくれ。【捕縛バインド】」


 ひとまず魔力の縄で縛り付けたのだが、次の魔法を紡ぐ前にスカイの奇声に遮られた。


『キュィィィイイイイーーーーッ!!』


 ワイバーンの放つ超音波は、敵を数秒金縛りスタン状態にする。全く無防備だった俺たちは、敢えなく全員金縛りに遭ってしまった。やばいやばい!闇魔法に充てられてスカイまで暴走するとは思いもーー。


 パクリ。ごっくん。


 あっと思った瞬間にスカイはセレナ嬢をポーイっと宙に放り投げ、あーんと口を開け飲み込んでしまった。


「えっ」


 どうしよう。


 嫉妬か。空気中に漂う瘴気にセレナ嬢の魔力を感じ取ったのか、会話を理解してライバルだと思ったのかはわからないけど、明らかにセレナ嬢に対して嫉妬心を向けたのだ。つがいを巡って殺し合いをするのがワイバーンだ。ライバルと認識されたセレナ嬢はスカイに敗れた、ということになる。


「スカイ、嘔吐スピット!それは食べちゃダメだ!腹壊すぞ!」


 セレナ嬢がスカイの腹に収まったのと同時に金縛りが切れて、俺は慌ててスカイに命令した。じっとりした目で俺を睨み嫌々と首を横に振るスカイに、アルヴィーナのとこに連れていくから吐きなさいと何度か言ったがスカイはツーンとそっぽを向いた。


 えー…。どうしよう。もういっかな?俺のせいじゃないし?運が良ければ下から出てくるかもしれないし?…いや、消化しちゃうかな、やっぱ。


「殿下!殿下、しっかりしてください!【解毒】!【解呪】!」

「ふあっ!?な、なんだ!?どうした!私は今一体何を…」

「スカイがセレナ嬢を飲み込んでしまったんで、なんとかしてください」

「えっ、スカイ?」

『キュー…』

「私と同じものが食べたかった?ばかだなあ。私はセレナを襲ったけど、食べてはいないよ。いや、別の意味で食べたと言うのかな……とにかく、人間は食べちゃダメだ。とっとと吐き出しなさい」


 まともなことを言っているのか、間違っているのかもうわからなくなってきた。どこをどう突っ込んでいいのか迷っているうちに、スカイがおろろ、とセレナ嬢を吐き出した。


 胃液でベトベトになりながらも吐き出され、キョトンと目を瞬いているセレナ嬢を見て、ほっと息をつく。生きてたよ。流石の生命力。


 やっぱりすでに人間じゃないかもしれない。それにしても臭い。ワイバーン、何食ったらこんな臭い胃液が吐けるんだ。


 でも、これで浄化かけるとまた副作用が出るかもしれない。悩むところだ。とりあえず、水洗いなら大丈夫かな。


「【洗水ウォッシュ】【消臭デオドライズ】【乾燥ドライ】」


 これでよし、と。


 あとはこの辺りも千の槍グランドスピアで殲滅して、アースウェイブで地ならしすれば終了だ。あとでアルヴィーナと一緒に神の手ゴッドハンドを使えば緑竜シャムロックでさえ気にいる場所に生まれ変わるだろう。


 大量の水が頭から降ってきてずぶ濡れになり、熱風で乾かされたセレナ嬢は捨てられた猫の様ななりになってしまったが、胃液よりマシだよな。とっととアルヴィーナのとこ連れて行こうっと。

 


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